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席に座ると、聞き覚えのある音楽が耳に入り、思わず動きを止めた。あの日、村瀬のイヤホンから流れてきた曲だ。
「この曲……」
歌声は仁志の好きなバンドと良く似ている。
「この曲知ってる?」
稲見さんが、なぜか嬉しそうに尋ねてくる。
「いや、あんまり知らなくて」
厭世的な歌詞。
『すれ違って傷ついて
それでも二人は黙って
流れ出たモノを見つめて
腐っていくと笑うのさ』
そんな物悲しいフレーズに苦笑した。
あの時、村瀬は何を思ってこの曲を聴いていたんだろう。真面目な村瀬のことだから、俺と距離を置こうとか考えていたに違いない。
「これね、マイナーな映画の挿入歌に使われてたんだ。主人公の二人がね、両想いなのに馬鹿みたいに遠回りして周りに大迷惑かけちゃう変な恋愛ものなんだよね」
「な、なんかそれって……」
「ねー。どっかの誰かさん達みたい」
くすりと笑う稲見さんが、テーブル脇のメニューに手を伸ばす。表紙には、この店人気の「恋する乙女のパンケーキ」の文字が大きく連なっていた。
「その映画……ラストはどうなったの?」
俺たちは単なる平凡な高校生で。
どこかの映画みたいに、事件が起きたり、過去に壮絶な傷を抱えていたりだとか。
そんな劇的な日常があるわけじゃ無い。
ただ8年間という運命的な腐れ縁と、隣で笑い合った時間と。一緒に食べたアイスの味と、自転車の後ろに乗せた重みだけ。
つまり。
まだ何も始まっちゃいない。
「もちろん、ハッピーエンドだよ。私ハッピーエンド以外は観ないことにしてるの」
「へえ、いいね」
まだ、何も。
俺は伝えていない。
「ハローグッバイ」
「え……?」
「タイトル。その映画の、タイトル。すっごく平凡な映画だけど、きっと楽しいからいつか観て欲しいな」
「うん。覚えとく」
ハローグッバイ。
それはありきたりで、平凡な挨拶。
俺たち二人がずっと紡いできた日常と似てる。
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