五、八尋の罪

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八尋が二十歳になったときだった。縁談が舞い込んだ。覚悟はしていたが、やはり気が進まない。気が進まずとも、婚姻は義務だった。神守を次に引き継ぐため――後継ぎを育てなければならない。 親が連れてきたのは、隣村の小夜(さよ)という器量のいい娘だった。おしとやかで優しく、よく働く、とてもいい娘だった。そして何より……不憫だと思った。八尋の心には小夜ではなく、龍神がいたからだ。 それから一年が経ち、二年が経っても小夜に子は授からなかった。そのことで小夜はとても肩身の狭い思いをしていただろうに、愚痴も言わず、涙も見せずに、八尋の前では笑顔をたやさなかった。 悲劇が起こったのは、八尋が二十二の夏の終わりのことだった。秋の豊穣を願う神事が、神社で執り行われた後のことだ。すっかり人々もはけた境内で、八尋は社に手を合わせていた。 「八尋様」 か細い声に振り向くと、小夜が頼りない様子で立っていた。 「どうした、小夜」 「私……分かっておりました。ずっと、ずっと八尋様には心に決めた方がいらっしゃるのだということ」 小夜はうつむいて、肩を震わせた。いつもと様子が違う。 「……」 何も答えられなかった。違うと言えば、嘘をつくことになる。嘘を突き通すことが己の役目だ。されど……言葉が出てこなかった。 嘘を言ったとしても、小夜はもう気づいている。八尋はすぐに悟った。 いつもは笑顔を見せてくれる小夜は、うつむいたままだ。 「小夜、疲れているのではないか。戻ろう」 肩を支えようとした手が冷ややかに振り払われる。小夜がこんな態度を取るのは今まで初めてのことだ。 「私は気づいておりました。ずっと前から。八尋様の心にいるのは龍神様なんでしょう?」 「それは……」 小夜の潤んだ瞳から逃れることができずに、言葉を切った。違うと言えたらどんなに楽だっただろう。 しかし真実を告げるにはあまりに儚い。小夜はきっと壊れてしまう、そう分かっていた。 小夜がずっと我慢していたことは知っていた。己を押し殺して、何も言えずにいたことも知っていた。知っていて、八尋は見て見ぬふりをしてきたのだ。 「私は、龍神を愛してしまったのだ。神守になった時から」 八尋は覚悟を決め、真実を告げる。初めて、小夜と向き合う。 「そう。やっぱりそうだったのね。あなたは私を見ているようで、見ていなかったもの。違う先を見ていた。龍神様を、見ていたのですね」 小夜の頬に涙が伝って落ちていく。小夜はふらふらと八尋に近づいて、倒れこむように額を懐につけた。――その時。 「……っ!」 激痛が全身を貫いた。何が起こったのかを悟り、八尋は小夜を抱きしめ声を絞り出す。 「すまない、小夜。悪いのはすべて私だ。君は何も悪くないし、罪を背負う必要はない。すべて私があの世へ持っていく」 小夜の体が小刻みに震えていた。八尋は体を離すと、小夜の頬に触れ涙を拭う。そして小刀をきつく握りしめている細い手に手を添えて、刃ごと引き抜いた。 「くっ……」 八尋は両膝をつく。 「八尋様っ!」 悲鳴じみた声で、小夜は八尋にすがった。 「ああ、私は、私はなんてことを……。八尋様‼」 小夜の涙がぽたぽたと落ちて、とめどなく土にしみこむ血と混ざりあう。八尋は倒れこむと、血に濡れてしまった小夜の手を握った。蒼白な小夜の顔が霞んでいる。 「逃げろ、小夜――」 そう一言告げるのが限界だった。八尋の視界からすべてが消えて黒く閉ざされた。
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