49人が本棚に入れています
本棚に追加
六、花火と龍神
芽依は朝から緊張していた。ちゃんと言わなきゃとばかり思っていたら、とうとう前日になってしまった。
明日は町内の花火大会、これといってイベントごとの少ない町なので毎年楽しみにしていた。いつもは友達と行っていたけれど、今年は違う。
(一緒に花火を見ようって、ちゃんと言わなきゃ)
もたもたしているせいで、先約が入っていないかが心配だ。椋太は無頓着でまったくと言っていいほど気づいていないけれど、パートのおばさんやお客さんたちに人気があるのだ。顔立ちも整っているし、とにかく誰にでも穏やかで優しい。スーパーの隠れアイドル的存在なのだ。
それなのに本人はまったく自分の魅力に気づいていない。それでいて、この前の妖狐事件である。
(椋太さん、かっこよかったなぁ)
術をかけられていた最中、意識がなかったわけではない。芽依を全力で守ってくれたことは、ちゃんと見えていた。
あの後、椋太から神守のことを聞いた。水瀬神社の龍神のために、代々羽月家が世襲してきた神守を引き継ぐのだと。
八尋のことも聞いた。彼は椋太のご先祖様だということ。だいぶ安心したのを覚えている。
現に芽依も不思議なことを体験してしまったので、疑う理由もなくすんなりと信じることができた。
正直、椋太が気になって仕事どころではない。
長い時間だと思えたバイトもようやく終わり、帰るところだった椋太を呼び止めた。
「どうしたの? 深刻そうな顔して」
緊張の面持ちを見て取ったのか、逆に心配されてしまった。芽依は表情をいくらか柔らかくした。
「えっと、明日なんですけど」
「うん?」
気を付けていないと、とんでもないことを口走ってしまいそうで、芽依は慎重に口を開いた。
(この前の……理想の人だと言ってしまったこととか)
あの時は本気で嫌われたと思い、実は家でこっそり泣いたのだった。
「明日の花火大会、一緒に観にいきませんか」
「え、僕と?」
こくこくとうなずく芽依を、椋太は不思議そうに見つめていた。
「僕となんかでいいの? 友達と行ったほうが楽しいと思うけど」
芽依は目をしばたかせた。椋太はこともなげに、あっさりと、何の悲哀もなく、普通のことのようにさらり言うのだ。
たまらなくなり、芽依は口を開いていた。
「行きましょう! 一緒に! 私は椋太さんと観たいんです。椋太さんじゃなきゃ、嫌なんですー!」
「え……」
また引かれてしまっただろうか。はっとして芽依は口をおさえた。お客さんたちがこちらを見遣っていく。
(しまった……私ってばまた……)
やらかしてしまったかもしれない。椋太に恥ずかしい思いをさせてしまったかも。
「ご、ごめんなさい。忘れてください」
しゅんとうなだれると、芽依はくるりと踵を返す。なんて自分は馬鹿なんだろう。言いたいことを何でも口にしてしまう、こういうところが子供なのだ。
「待って!」
その手をぱっとつかまれ、芽依は思わず振り向いた。
「明日、一緒に行こう」
芽依は泣きそうになりながらも、大きくうなずいた。
「はい!」
(そうと決まったら浴衣、出さなきゃ!)
ありきたりだ。本当に単純だ。椋太の言葉一つで、こんなにもうれしくなってしまうなんて。それでもいい。とにかく、椋太を好きになれてよかった。
別れた後も気持ちは高らかだった。青空が愛しく、蝉の音が優しく、照り付ける陽光さえもうれしく思えてしまう。
(夏、最高ぉ!)
入道雲に向かう勢いで、芽依はめいっぱいペダルをこぐのだった。
最初のコメントを投稿しよう!