七、孤独な天狗

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七、孤独な天狗

  今日は嵐だった。雨風が強く窓をたたきつけている。ちょうどバイトもない日だ。 天狗はまだ姿を現さない。早く霊力を分けてもらい、龍神を目覚めさせたい。龍神に会いたい――。 はっとして我に返る。 (何を考えてた、今……) 朝食の片づけの手を再度動かし、龍神のことを頭から追いやる。気がつくと、そればかり考えている。 手元に集中していると、視界の端に白い何かが横切った気がした。鳥かとも思ったが気になり、庭先に降りてみる。すると吹きすさんでいた風がぱたりとやんだ。 後から、白い羽が足元に落ちる。拾い上げようとして、背後から声がした。 「八尋が言ってた神守って君?」 すぐに辺りを見回すが誰もいない。 「どこ見てんのさ。こっちこっち」 椋太は視線を上げ、驚く。 浅葱の水干姿の少年が、屋根に腰かけ見下ろしていた。山吹色の括り袴、背には白い羽、頭には天狗の面をつけている。見た目は中学生くらいだろうか。 少年は目を丸くしている椋太の目前にとんっと軽く降り立った。少年の手に携えられていた錫杖がしゃらんと音をたてる。 「ねぇ、君なの?」 少年は待ちきれないといった風に顔を近づける。まだあどけなさの残る大きな目がとても親しげに輝いた。 「うん、いちおう」 返事をすると、少年は椋太の周りをぐるりと歩いて、まるで観察するように眺めた。 「ふーん。神守ってけっこう普通の人間なんだ」 「八尋さんと比べたら、ね。君が天狗なの?」 椋太はこっそりほっとしていた。妖狐のようなあやかしだったら、また大変なことになりそうだったからだ。 「そうだよ。ここ何百年か神守なんて現れなかったから、呼ばれて正直驚いてる。最近、龍神の霊力を感じるようになったんだけど、きっとそれと関係があるんだよね」 龍神がいなければ、椋太は死ぬらしい。でもまだぴんとこないし、どちらかといえば龍神を救い出したいという気持ちのほうが大きい。 「でも、残念だったね。霊力の結晶を作れるのは、先代の大天狗なんだ。僕にはまだそこまでの力がないよ」 「その、先代の大天狗は……?」 何だか嫌な予感がした。 「死んだよ。十年前に」 少年はさらりと言うけれど、さっきまで輝いていた目が寂しそうに伏せられる。 いきなり大問題だ。 霊力の結晶がなければ、龍神を呼び戻すことができない。椋太は考え込んだ。 「僕は(かえで)っていうんだ。先代がつけてくれた名だよ。ねー、そんな難しい顔してないでさ。神守なんかより天狗にならない?」 大きな目が期待でさらに輝いた。 「天狗に? 人でもなれるの?」 「うん、なれるよ。天狗の契りを交わせばね」 楓は羽をはためかせると、再び屋根の上に立つ。 「僕だって、もともとは人間だよ。天狗と契りを交わして、修行すれば寿命もずっと伸びるし、羽だって生えてくる」 「僕は遠慮しておくよ」 椋太は苦笑しつつ答えた。少し前だったなら、彼の話に乗っていたかもしれないけれど。 「そう……」 楓は分かりやすいほど肩を落とし、再度降り立った。 「師匠が死んでから、僕はずっと一人だった。天狗の寿命は千年。僕は天狗になってから三百年だ。あと七百年も一人でいなければならない」 途方もない年数だ。少し楓が気の毒になってしまう。楓はぱっと顔を上げる。 「ね、神守。他に天狗になりたそうな人いない?」 「なんだって?」 矢継ぎ早に思いがけないことを言う楓。椋太は霊力をどうしようと考えている余裕もなかった。 「誰にも心配されない、神隠しにあっても誰も探さない、そういう人間」 無邪気に言う楓に、椋太は少したじろいだ。妖狐もそうだったけれど、やはりあやかしと人とは、だいぶ感覚が違うらしい。まったく悪気がないので、こちらも困ってしまう。 「いない、かな」 「そうだよね。今の時代ってさ、昔ほどいないんだよね……」 楓は途方に暮れるように砂を蹴った。それは椋太も同じだ。また行き詰ってしまった。 同時に、寂しそうな楓が少し気になってしまう。これからの、ずっと長い時間を彼は一人で過ごすのだろか――。 「僕はね、捨て子だったんだ。大天狗の師匠に拾われて、天狗の契りを交わした。修行はきつかったけど、人間の時よりもずっと、楽しいことばっかりだった。だから、なかなか忘れられなくてさ」 楓は寂しそうに笑うと、羽をはためかせた。 「ごめん、僕では神守の力になれそうにないや。力不足だもの。それじゃあ、行くね」 「あ、ちょっと待って!」 椋太は声を上げた。 「もっと天狗のこと教えてよ。天狗にはならないけど、知りたいな」 とっさに言ってしまう。楓の切なそうな様子を見ていたら、何もせずにはいられなかった。 「本当に!?」 楓は丸い目をしばたかせ、興味津々に降りてきた。 「いいよ! 神守に天狗のこと教えてあげる!」 楓は無邪気に笑った。  
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