49人が本棚に入れています
本棚に追加
/75ページ
かくして、お試し天狗が始まった。少しでも楓の寂しさが紛れるといい、そんな気持ちだった。
約束をしていた水瀬神社の欅の下に来ると、すとんと白い翼が降り立つ。
「久しぶりだなぁ、こんなにわくわくするの!」
先日見た楓よりもだいぶ明るい。彼から伝わってくる無邪気さで、こちらも楽しくなってきた。
「僕は最初、食糧調達から教えてもらった。ここよりも、もっと山の上に行くんだ。今回はお試しだから特別に僕が神守を運んであげる」
「え?」
抱えられたと思ったら、あっという間に上空にいた。
「ちょ、おお落ちる!」
「大丈夫だよ、暴れなければ。僕、こう見えて腕っぷしは強いんだ。天狗だからね」
ついっと空中を進んでいく。田畑や森林がとても美しい。すぐに山頂付近についてしまった。滝つぼにある大岩に、二人は腰を下ろす。
「はい、これ」
楓から釣り具らしき木の棒をもらう。先から糸が垂らしてあるけど、針はついていない。
「これで釣れるの?」
「天狗だから、針は必要ないんだ。霊力で引き寄せるから。椋太にも少しだけ僕の霊力を分けてあげるからやってみなよ」
椋太は水へ糸を垂らした。隣で楓も同じように糸を垂らす。と、楓にはすぐに魚が釣れてしまう。
椋太も真剣に糸を垂らすが、一向に引きはない。その横で、楓はもう何匹も釣っている。
「最初はそんなもんだよ。僕もそうだった。師匠はあっという間にたくさん釣っちゃってさ。僕は一匹も釣れなくて、悔しかったんだ。懐かしいなぁ」
少年らしい笑顔から、本当に師匠である大天狗のことを慕っていたのだと分かる。
「楓は、天狗になりたかったの?」
「なりたいって思ったわけじゃないよ。僕が捨て子だったことは話したよね。とある寺に預けられていたんだけど、みんなとうまくいかなくて、寺を飛び出した。たったの五つだった。もちろんすぐに行き倒れた。そんな僕を、師匠が救ってくれたんだ」
イワナやヤマメ、十分に取ったのでその場を離れる。楓は木々を集めると、火打石であっという間に火を起こし、慣れた手つきで魚を棒に差していく。
山の上らしい、涼しい風が通っていく。
「師匠は、僕に天狗にならないかと誘った。僕は二つ返事で答えたよ。だって、このまま人間でいたって何もいいことなんてなかったもの」
彼の話に耳を傾ける。自分が想像もしなかった時代が、確かにあったのだ。
「僕は、天狗になるほか生きる道はなかった。でも師匠に出会ってから毎日が楽しくてさ。釣りも、火の起こし方も、全部師匠が教えてくれた」
「天狗って、無理やり人をさらったりっていう怖いイメージだったけど、だいぶ違うんだね」
「悪天狗もいるよ。神隠しにあわせたり、人を驚かせたり、怪我をさせたり殺したりする奴もいる。でも、師匠は違う。天狗としての誇りを大切にしてたし、それを僕にも教えてくれた」
魚が焼けるのを待つ間、時がとてもゆっくりと流れていった。
「天狗の契りって何をするの?」
「難しいことはないよ。同じ盃に酒を汲んで、飲み干すだけだ」
「お酒かぁ」
椋太はあまり酒を飲む方ではない。妖狐に無理やり飲まされた酒を思い出して、少し辛くなる椋太だった。
最初のコメントを投稿しよう!