八、龍神様

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八、龍神様

椋太は、祖父が残してくれた羽織袴を身に纏い、八尋とともに水瀬神社にいた。 「社を開けたらもう、後戻りはできない。心の準備はよいか」 厳かな八尋の声を聞く。 椋太は一度ゆっくりと目を閉じた。心に浮かんでくるのは――。 八月も終わり、九月にさしかかる。まだ暑さは残るけれど、少しずつ秋の気配を感じるようになった。 ここに越してきたのは桜の季節。あっという間に時が流れて、これからは庭の木も色づいていくだろう。できれば、その時も変わらずに、こうして眺めていられたらと思う。 縁に座り、椋太は風呂上りの火照った体を冷ましていた。かたわらの蚊取り線香の煙が、宙をゆっくりと漂う。 星が流れた。小さな感動に浸っていると、隣に結斗が腰をおろした。珍しいこともあるものだ。 「もう夏も終わりだね」 何ともなしに椋太は言った。 結斗に対しても、身構えずにいられるようになるなんて。前までは少しも思わなかった。 「明日。行くんだろ、龍神のとこに」 結斗は椋太を見ないまま言う。 「……しくじるなよ」 「心配してくれてる?」 信じられない思いだったが、最近の結斗はまるで憑き物が落ちたようだった。自分だけではなく、相手も変わったのかも……なんて、本人に言ったら怒りそうだ。 「そりゃそうだろ。事情を知ってるだけに、戻ってこないことにでもなったら寝覚めが悪い」 「あーそうだよね」 彼なりに心配してくれている、ということだ。素直に言えない(たち)だということは、もう分かっていた。 「俺は、お前のことが大嫌いだった。きっかけは神守のことだ。ガキの頃。八尋に俺では神守になれないって言われて、むかついた」 「それでいじめてたわけ? ほんといい迷惑。どれだけ辛かったと思ってるんだよ」 少しだけ仲良くなれた今となっては、悪い思い出としてしまっておけるくらいにはなっているけれど、椋太はわざと悲しんでみせた。 「……悪かった」 椋太は結斗を凝視した。 「え、今ごめんなさいしたの?」 「なんだよ。じろじろ見んな」 「結斗が謝るなんて嘘みたいだから」 結斗は不機嫌そうに押し黙るも、その場から離れようとはしなかった。 「ここ数か月、お前と一緒にいたから分かった。人の罪を背負っているのに、お前は誰のことも責めなかった。誰のことも見捨てなかった。俺なんて、八尋から羽月家は男が不遇になりやすいって言われて、文句の一つ二つ言った記憶がある。そんな迷信信じない、見えない力の思い通りにさせてたまるかって、今までやってきたけどな」 結斗は結斗で、悩みながら努力してきたのだ。そんな中で、不甲斐ない椋太を見れば怒りたくなるのも分かる気がした。 「やっぱり龍神の加護を受けるべき神守は、八尋の言う通り、お前がふさわしいんだよ。俺では無理だ」 結斗は諦めたように苦笑する。初めて見る表情に、椋太もふっと笑む。 「これからは、時々こうやって話せたらいいよね。誤解しやすいし、お互いに」 「ああ。今度は酒でも飲むか」 「うん」 心地のよい時間が流れていく。 「しっかりと龍神の目を覚まさせて、過去の罪なんて突き返してやれよ」 椋太が力強くうなずいた時、また星が流れたのだった。  
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