八、龍神様

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――椋太は目を開ける。二人の思いは、ちゃんと胸に刻み付けた。後は、自分の気持ちを強く持つこと。それだけだ。 「行きましょう、八尋さん」 八尋はうなずくと、社の扉を開ける。その瞬間、辺りが暗転した。すべての音がやむ。 暗闇の中で、八尋の姿だけがみえる。彼は椋太に向き直ると、閉じた扇子を差し出した。 「龍神は舞を好む。神守が代々受け継ぐものだ」 「でも……舞なんてやったことが……」 「私の手と同じように、扇子を動かせばいい」 椋太は扇子を受けとると、ぱっと開いた。白練に金箔が散りばめられている。 暗闇の中でも、星のように浮かび上がって見えた。 「先代神守の私から、君へ。私が伝えることのできる、最後の役目だ」 八尋は凛々しく笑むと、くるりとこちらに背を向けた。椋太は返事の代わりに、しっかりと扇子を握る。 八尋の動きに椋太もならう。足元に波紋が立った。少しずつ水が満ちていく。扇の動線が、闇に光の線を描く。そのうちに、まるで体が勝手に動いているような感覚に陥った。舞なんて知らないのに、知っているみたいだ。 いつしか、八尋を意識せずとも舞っていた。幾筋もの光が闇を裂くように滑っていく。 「私にできるのはここまでだ。あとは椋太、当代の神守である君の領域」 八尋の姿はない。声だけが響いてくる。 「八尋さん……!」 椋太は手を止め、辺りを見回す。八尋はどこにもいない。光だけが椋太を弄ぶように舞う。 「――私の役目はこれで終わりだ。ここまで、よくついてきてくれた。今の君は、以前とは見違えるようだ」 そうだった。いつかは、別れる日がくるのだ。いつも身近にいてくれて、助けてくれて、一緒に悲しんでくれた八尋は、亡霊なのだ。引き留めたい気持ちをぐっと抑える。 「君ならばきっと最後まで成し遂げることができるはずだ」 闇は光に溶けていく。金箔を散りばめたような光の粒が、雪のように舞い始めた。 「八尋さん、僕は!」 椋太は、見えぬ八尋に向かって叫ぶ。 「八尋さんのこと、羽月家のこと、神守のこと。多くの因果を越えて、支えられて、ここにいること。今ならば、ちゃんと分かります。自分に生まれてきてよかったと、胸を張っていえます」 いなければよかった、小さい頃に八尋に言ったことがある。あの時の、八尋の優しい手がずっと心の支えになっていた。罪を背負って生まれてきたからこそ、八尋に出会えた――。 「八尋さんがいてくれたから、僕は生きることができたんです」 ふいに、光の中に人影を見た気がした。 「私は――君の幸福をいつでも祈っている」 まばゆい光が、辺りを飲み込み始める。八尋はようやく救われたのだ。解放されたのだ。長い間過去に縛られ、罪にとらわれていた。でももう、苦しまなくていい。 八尋が消えたのと同じくして、握っていた扇子も光と消えた。 やがて光の粒が一つに集まり、風となり道を示した。風が導く方へ椋太は歩む。  
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