エピローグ いつもの休日

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エピローグ いつもの休日

 季節は秋になり、澄んだ紺青色の空が広がっている。  久しぶりに境川沿いの公園を訪れた舞は、いつも座っていた木組みのベンチに腰を下ろすと、川沿いに植えられたトチノキやコナラをぼんやりと眺めた。 「この感じ、いつ以来だろう……」  公園にはほとんど人気がなく、川の流れる音と鳥の鳴き声だけが聞こえている。  柔らかな秋の日差しに照らされて、あたりは中黄色に染まっている。普段と比べて明らかに遅くなった体感速度にしばらく新鮮さを感じていたが、本来の目的を思い出すと我に返った。  舞が今日ここに来たのは、この川沿いの黄葉の写真を撮るためだった。持って来た一眼レフを構えると、境川が背景に写り込むように位置を調節してシャッターを切った。  スマートフォンを確認した舞は、カメラをしまって公園を後にした。    石橋を渡ってしばらく進むと、南町通りに差し掛かった。  休日のせいか、いつもよりも人で賑わっている。地域住民の中に、観光客のような若い二人連れが時折混ざっていた。彼らはスマートフォンを片手にあちこち歩き回り、次第に路地街の方へ向かって行った。  舞の会社が作っていた町歩きアプリは、今年の夏から正式にリリースされた。  観光協会がちょうど七夕祭りに力を入れた頃で、和紙を使った大きな竹飾りで町中が彩られていた。色彩の鮮やかさが話題を呼び、アプリのダウンロード数も好調だった。  今後のアップデートには県の助成がつくことになり、次の開発に向けて陽一や明が仕事を進めていた。  アプリのプロジェクトに参加していた司は、その後陽一が元いたIT系のベンチャー企業に入社した。リモートワーク体制の整った自由な風土で、最近は平日に店を開けることもある。  北町通りを抜け、商店街に入って「とものパン」に寄った。最近、ちょっとセンスのいい菓子パンが増えて来たように思いつつも、頼まれていた食パンを一斤買って、個人経営の雑貨店が並ぶ区画に足を向ける。  そして気づけば、あっという間に白い三階建てのビルに辿り着いていた。  大きなガラス窓の向こうには展示用の棚が見え、最近入荷した手回し式コーヒー焙煎機や金属工芸のろうそく立て、植物文様のプレートが並んでいた。  舞が店の扉を開けると、カウンター席に座っていた雅が大きく振り返った。 「あ、マイマイじゃん。どこ行ってたの?」 「ちょっと撮影に行ってたんだ。好きな場所があって」  カウンター席には、雅の隣に國彦が座っていた。最近壁際に設置した一人用席では、受験生となった千里が問題集に向かって勉強に励んでいる。  マホガニー材の棚には、ガラス瓶に入った琥珀糖が並ぶ。一月に期間限定で売り出した時に好評だったので、ガラス瓶を仕入れて定期的に販売するようになった。 「おかえり、舞さん」  カウンターの中でコーヒーカップを磨いていた司は、舞に視線を向けて穏やかに笑った。 「……ただいま戻りました」  舞は、持っていたビニール袋を軽く上げた。 「頼まれていたパン、買って来ましたよ」 「良かった。これで雅さんにフレンチトーストが出せるよ。丁度なくなっちゃって」  舞は身支度をすませると、カウンターに入ってフレンチトーストの準備を始めた。司は國彦が注文した二杯目のコーヒーを淹れている。 「すみません、オムライスお願いしていいですか」 「はーい、今用意するね」  カウンター席にやって来た千里に頷くと、フライパンを追加して手際よく用意を進めていく。  店内は賑やかな空気に包まれていた。店の扉が開くたびに新しい客がやって来て、コーヒーの優しい香りとともに時間を共有する。  舞はカウンターの中で注文を受けながら、隣に立つ司に微笑んだ。  今日も、いつもの休日が続いている。
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