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先代の週末文庫は喫茶店だったが、今の週末文庫は古家具販売がメインだ。
ならば、商品を前面に押し出さなければならない。
そのために必要なのは、まず商品を置くスペースだ。
棚は入って右手の壁沿いに配置されているが、その壁の裏側にもう一つ部屋がある。先代が引き取ってきた家具を保管していた場所で、片付けが追いつかないまま開かずの間になっていたらしい。
「うわ、これはすごい……」
一週間後、整理を買って出た舞は部屋の前で立ち尽くしていた。
薄暗い室内には、古びた家具や錆び付いた器具が無秩序に積まれている。
ぱっと目に付いた机は塗装が剥げ、木製のレジ棚には無数の傷がついている。手動コーヒーロースターはギアの部分が変色し、そもそも動くのかわからない。
本当に買い手がいるのだろうか。舞の目には、ガラクタの山のように映ってしまう。
いつから締め切っていたのか、室内の空気はすっかり停滞している。舞はニットの袖をまくると、部屋の端まで分け入って雨戸を開けた。
涼しい風が通り、レースのカーテンが静かに動き出す。
「……よし」
國彦が来る時間帯はいつも二時過ぎだ。
それまでは司も二階の片付けをすることになっている。
固く絞った雑巾を片手に、舞は手際よく仕分けを進めていく。
部屋の導線を確保し、すぐにでも店先に置けそうなものはまとめて外に出した。箱に入っていたシュガーポットやカットグラスは、表面を磨けば売れそうだ。
部屋としての機能がある程度戻ってきた頃、店の扉が開く音がした。
もうそんなに経ったかと舞は腕時計を見たが、まだ一時にもなっていなかった。
「張間さん、今日は早いです、ね……」
戸口に立っていたのは、明るい猫っ毛の男性だった。アーモンドグリーンのコートにバックパックを背負った姿は、旅慣れている風に見える。
店内をきょろきょろと見回していた彼は、舞に目を留めるなり不思議そうな顔で言った。
「あれー、知らない女の子がいる。君は誰?」
「え、あの……」
「飛鳥! いつ着いたんだ? 戻って来る時は連絡くれって言ったのに」
階段を降りてきた司に、飛鳥はへらっと相好を崩す。
「ただいまー。司、この子はどうしたの」
「週末、店に来てもらってるんだよ。清宮舞さん」
「初めまして、清宮です。先月からアルバイトで入りました」
彼は瞬きを繰り返した後、舞をまじまじと注視する。
「へえー、バイトの人雇ったんだ。そうなんだ。あ、ちょっと待って」
バックパックを床に降ろし、何やらゴソゴソと探し始める。
しばらくして奥底の方から小さなケースを発掘した彼は、淡い空色の名刺を二枚取り出した。
「見て見て、可愛いでしょ。俺の名刺」
「名刺なんて、どういう風の吹き回しなんだ」
「フラフラするならこういうのはしっかりしろって、小豆島のサッちゃんに言われたんだよ。サッちゃんが全部用意してくれた」
「小豆島? ついこの前は神戸にいるって」
「フェリーで一本なんだ。本当は神戸から帰ろうと思ってたけど、潮風に呼ばれちゃってさー」
仲が良さそうに話す二人のそばで、舞は渡された名刺に視線を落とした。
白い鳥が飛んでいくデザインに、銀色の箔押しで『旅するパティシエ 佐藤飛鳥』と印字されている。紙は優しい手触りだ。
「ね、どう思う?」
顔を上げると、飛鳥はじっと舞を見つめている。
「素敵な色ですね。……きっと、沢山考えて選ばれたんだと思います」
「――」
わずかに生じた間に舞が首を傾げた時、飛鳥は人懐っこい笑顔で頷いた。
「ありがとう。俺、司の同級生なんだ。よろしくね、マイちゃん」
飛鳥は待宵町の出身で、大学も司と同じだったという。
卒業後に単身フランスへ渡り、帰国後は店舗を持たずネットで注文を受けるスタイルを続けている。条件によっては出張営業も引き受けるため、結果的にほとんど町にはいないらしい。
「小豆島に行ったついでに、豊島で仕事もしてきたんだ。美味しいジャム屋さんがあってね、一週間そこのお店でケーキ出してみた」
「それもネットで依頼が?」
「ううん、サッちゃんに紹介されたんだ。友達のアンズちゃん。それで声かけられたから流れで行ってみた」
カウンター席に座っていた飛鳥は、舞が出したカップに口をつける。
「美味しい、香りがよく出てるんだね。誰かに教わったの?」
「常連の方がアドバイスしてくださったんです」
「常連……?」
「先代と親しかった人がいるんだ。メモもなかったから助かったよ」
「なるほどねー。司は味音痴だからなぁ」
肩をすくめた司に、飛鳥は笑って振り返る。
「でも、ちゃんと店らしくなってるじゃん。あの後どうなったかなと思ってたんだ。……そこの部屋は大掃除でもしてたの? ずいぶん荷物があるけど」
「あっすみません。ドア、開けっ放しにしてて」
「いいよ清宮さん、気にしないで。片付けありがとう」
慌ててエプロンを外し、カウンターを出た舞の背中に司はのんびりと声をかける。
「物の状態はどんな感じだった? 売れそうなものはあったかな」
「陶器のシュガーポットと、カットグラスは状態が良かったです。家具類は敷布が破れていたりしたので、そのまま出すのは厳しいんじゃないかと。で、ちょっとわからないのが、このあたりの……」
部屋に入って行った舞は、机の上にまとめた雑多な品々の前で立ち止まった。
持ち手に細やかな装飾が施されたカトラリーはどれも灰色にくすんでしまい、五体もある小さな人形は着色が剥げて木目がむき出しになっている。
そして一際目立つのは、楕円形の大きな木板だ。深い焦げ茶色になった板をなんとか抱えた舞は、困惑した表情で司を振り返った。
「これ……メニューボード、でしょうか?」
そのひのきぶん 500円
たいせつなえいよう 600円
ふわふわであったかいもの 900円
どようびのしあわせ 800円
板に直接刻まれていたのは、まるで子供の落書きのような文字だった。
「そんなのあったのか。一体どこから引き取ったんだろう」
「先代のお部屋に控えはないんですか」
「それらしいものはまだ見つからないんだ。うーん、値段まで彫ってあるのか。修正できないなら買い手もつかないな」
板は年輪が何層にも重なり、周りを囲むように樹木や鳥の図柄が彫り込まれている。
「へえー、面白いじゃん。俺にもよく見せてよ」
椅子の背から身を乗り出した飛鳥に促され、舞はメニューボードを持ったまま部屋を出た。
彼女の上半身が覆われるほどの大きさで、運んでいる間に重さを実感する。
飛鳥の隣の椅子にメニューボードを下ろしたものの、一つでは大きさが足りなかった。カウンターから出てきた司が板を支え、椅子をもう一つ並べてやっとバランスを取る。
「困ったな、こんなに大きいと余計に売りづらい。せめてサイズが小さかったらまだ良かったのに」
「今まで、似たような商品は取り扱っていたんですか?」
「卓上型の小さなメニュー表はいくつかあったんだよ。それなら需要もあるみたいで、あまり日を置かずに売れていくんだけど」
「いっそ、材木店に持って行って表面削ってもらいます?」
「えっ、削る!?」
「板としては需要があると思いますよ。とても立派な年輪ですし」
「そ、その発想はなかったな。確かにね……」
しかし、司はメニューボードを見たまま何かを考え込んでいる。舞が彼の様子に気づいた時、飛鳥が突然声をあげた。
「ここで使えばいいじゃん、味があるしさ」
「……飛鳥?」
「コーヒーとホットドッグしかない店なんて寂しいし、品数を増やすいい機会だと思うけど。このメニュー名に合う内容を考えればいいんだよ」
こともなげに言った飛鳥は、舞に視線を向けた。
「司はともかく、マイちゃんは料理できる子でしょ? 当面はマイちゃんに頑張ってもらうしかないけど、なるべく手間のかからないメニューにしてみるとか。なんなら、司の教育は俺が責任持つし」
「でも、メニューを考えると言っても、私たち素人がそんな……」
「大丈夫だよ、ゼロから生み出すわけじゃないんだから。もちろん盛り付けのプランは俺も協力するよ。こういうの考えてる時って楽しいよねー、帰ったらすぐに試作してみなきゃ」
「飛鳥、少し落ち着けって」
二人を完全に置いてけぼりにしたまま、飛鳥は嬉々として荷物をまとめ、あっという間に席を立った。
「じゃ、このメニュー名に合う料理を各自一品は考えてくること! ドリンクとスイーツでもいいよ、来週までの宿題だからねー」
「あ、おいっ」
風が吹くように店を去った飛鳥に、二人は唖然と立ち尽くした。
店内にはしばらく沈黙が流れる。舞は司を見上げ、おそるおそる尋ねた。
「佐藤さんって……いつもあんな感じなんですか?」
飛鳥が座っていた席には、彼がさっきまで飲んでいたカップが残されている。中身が綺麗になくなったカップに視線を落とし、司は深々と息をついた。
「……あんな感じだね」
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