一話 刻まれたメニューボード

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 そのひのきぶんは、満場一致で飛鳥のミックスジュースが採用された。  カウンター席に座った三人は、司のタブレットを囲んであれこれと話し合いを続けていた。  白い画面に『そのひのきぶん』とタッチペンで書かれた周囲には、飛鳥が考えてきた組み合わせがいくつも書き添えられていく。 「でも、今日のレシピ頂いてしまっていいんですか。元はアンズさんのものなんですよね」 「彼女はジャム屋を閉めたんだ。だから、自由に使っていいって言われてる」 「えっ……」 「飛鳥が一週間ケーキを出したのは、閉店イベントってことか?」 「そんな感じ。最後だからお祭りみたいにしたいって言われて、サッちゃんとも相談してちょっと盛大にしてみた。お客さんも沢山来てくれたし、賑やかだったよ」  飛鳥が急いでこの店を訪れたのは、ジャム屋のことがあったせいなのだろうか。  舞が考えを巡らせる間もなく、彼はあっけらかんと言った。 「しばらくは今日俺が作った組み合わせで提供して、材料費の変動具合でまた考えるっていうのはどう?」 「それがいいと思います。最近、果物の値段高いですしね」  ミックスジュースの配合について、メモを取っていた司の手が止まる。 「果物って、最近高いの?」 「季節のものならまだなんとかって感じですけど、買うのにちょっと勇気がいる時もあります」 「そっか、なるほどね。気にしたこともなかったな」  納得した様子の司に、飛鳥は呆れたように頬杖をついた。 「どうせ、司は買い物とかろくに行かないんでしょ。一体どんな生活してるわけ?」 「別に、普通に暮らしてるって。サプリとか、必要なものはネット通販で定期的に届くようにしてあるし」 「うわ、出たよそういうの。行き過ぎた効率思考だ」 「うるさいな、これくらい皆やってるよ。清宮さんも使ってるよね」 「水とかトイレットペーパー類は利用してます。結構便利ですよね」 「えー、マイちゃんもそっち派の人!? 俺だけ仲間はずれかよー」  大げさに嘆いた飛鳥に、舞は曖昧に笑った。  時間のない司には、ネット通販は必需品なのだろう。  舞もつい最近までかなりの部分を頼っていただけに、思わず遠い目になる。近所のスーパーが夜遅くまでやっていなければ、食品もきっと頼んでいただろう。 「清宮さんは作り置きしてるんだよね。メニューは事前に決めて買い物に行くの?」 「スーパーで値段見て、その時に安かった野菜次第で考えてます」 「すごいな。料理できる人の台詞だ」  タブレットの画面をスクロールした司は、新たに現れた白い画面に『たいせつなえいよう』と書き込んだ。 「もし、清宮さんが良ければ……このメニューは、清宮さんの作り置きを三つくらいまとめて出してみたらどうかな。前菜みたいな位置付けで」 「私の?」 「最近、いつも分けてくれるでしょ。なんか、栄養を摂っている感じがしたんだよね」  目元を緩めた司に、舞は何故か言葉がつまる。  確かに、最近は毎週必ず持って来ている。  司が食べることを見越して量もちょっと多めに作っていた。  しかし実のところ、自分がしていることはある意味、差し出がましい振る舞いではないだろうかと心配もしていたのだ。 「それいいじゃん! 事前に作ってあれば提供に時間もかからないし、俺も賛成」 「どうかな? もちろん材料費はこちらで持つし。でも、清宮さんも平日仕事があるから、これはあくまで負担にならなければの話なんだけど。無理はしないで欲しいんだ」 「――大丈夫ですよ。最近は余裕もあるので、私で良ければ頑張ります」  ほっとしたように頷いた司は、少し傾斜のついた字体で『清宮さんの作り置き案 採用』と書き込んだ。 「マイちゃん、さっき一つメニュー思いついたって言ってたよね。あれはどれのことだったの?」 「『ふわふわであったかいもの』なんですけど……オムライスがいいかなと思ったんです。でも、卵で綺麗に包むのは結構大変な気がして」 「うーん、そうなんだよね。マイちゃんはともかく、司に習得できるかって考えると」  飛鳥に視線を向けられた司は、即座に首を横に振る。 「薄焼き卵なんて作ろうと思ったこともないよ。何年かかるかって感じ」 「ですよね。なので、逆オムライスにしてしまえばいいんじゃないかと」  舞の返事に、二人は顔を見合わせた。 「……逆オムライス?」 「チキンライスでオムレツを包むんです。これならオムレツが多少型崩れしていても問題ないですし、半熟で仕上げておけば食感も残りますよね。私たちがプロのシェフでない以上、味や仕上がりで他店と勝負するのは難しいと思うので、だったら意外性で押してみるのはどうかなって」  思いついたきっかけは、職場でもらったマロンクリームのどら焼きだった。  あえて忍ばせてあった白こし餡を見て、この手法をオムライスに応用できないかと考えたのだ。  薄焼き卵を均一に焼くのは難しいが、オムレツならその心配もいらない。司が練習するメニューとしては現実的な線だろう。  とはいえ、舞としては苦し紛れな発想な気もして不安だった。説明した後に二人の様子を伺うと、飛鳥は嬉しそうに拍手した。 「採用! とってもいいアイデアだと思う。ふわふわであったかいものは逆オムライスで決まりだね。それにしてもしっかりした説明だったけど、普段から企画とかやってるの?」 「いえ、私は総務ですよ」 「総務?」 「少し前までは社長秘書と人事も兼ねてました。営業にも出ますし、週末は展示会のスタッフをやったりとか、あとは……」  そこまで話した時、舞は飛鳥の微妙な視線に気づいた。 「マイちゃん、めちゃめちゃ働いてない? よく週末も働く気になったね」 「最近は業務量が減ったんです。それに、身体が丈夫みたいで特に体を壊したこともなくて。その点は親に感謝してます」 「いやいや、仕事がなくなったんならその分休みなよ! おい司、なんでマイちゃんを働かせてるんだ」  司に詰め寄った飛鳥に、舞は慌ててフォローした。 「私は雇ってもらえて助かってるんです。時間を持て余して困ってましたし、残業がなくなった分だけ収入も減ってしまったので」 「本当に? マイちゃんがいいならいいんだけど……まあ、この店客が来なくて暇だしね。下手な副業するよりいいのか。司にこき使われそうになったらいつでも相談するんだよ、俺はマイちゃんの味方だから」 「飛鳥、一言余計だ。大体、お前にはアンズちゃんがいるだろ」 「あの包容力に敵う人は確かにいないけど、それで言うとサッちゃんも面倒見良かったんだよねー」 「またそうやって目移りばっかりして……」  二人がやり合う姿を見て、舞は思わず笑う。  飛鳥と話している時の司は、なんだか年相応に見えて親しみやすかった。    そのひのきぶん、たいせつなえいよう、ふわふわであったかいもの。  ここまでは順調に決まっていったが、最後の『どようびのしあわせ』は話し合いが難航した。それなりに意見は出るものの、いまいち決め手に欠けるのだ。  タブレット画面はメモでいっぱいになり、新しいページに切り替えられた。飛鳥は両腕を組み、うーんと唸っている。 「なかなか、いいのが思いつかないねえ。このメニュー名難しくない?」 「今までのメニューとのバランスを考えるなら、甘いもので考えるのはどうでしょう。まだ出てないですよね」 「スイーツね。簡単に作れるやつっていうと……パンケーキとか? でもなあ、あれは綺麗に丸く焼いて積み重ねてこそなんだよなー。ちょっと難易度高いんだよね」  舞と飛鳥が二人で延々と悩んでいるそばで、司は何か考え込んでいる。メニューボードを見ていた時と同じ横顔だ。脳裏にその姿がよぎった舞は、思わず声をかけた。 「どうかしましたか?」 「……このメニュー、フレンチトーストとかどうかなと思って。価格帯もちょうどよさそうだし。僕に作れるかどうかはわからないけど」 「工程は単純だから、司も練習すればなんとかなるラインだと思う。マイちゃんはすぐいけるでしょ。今まで作ったことある?」 「何回かですけど、多分大丈夫です」  そう言いながら、舞は首を傾げた。 「土曜日とフレンチトーストって、何か関係があるんですか?」 「個人的な話なんだけど、子どもの頃、父親が土曜の朝に必ず作ってたんだ。メニューを考えている時、その姿が浮かんでさ」 「そうだったんですか。橋本さんにとって、きっといい休日だったんですね」  舞の家も普段は和食だったが、休日はホットケーキが用意されることもあった。平日と違って時間がゆっくり流れる週末の朝食は、それだけで特別感があるような気がしていた。  しかし、何気なく舞が打った相槌に、司は釈然としないような表情を見せた。 「私、なにか変なこと言いましたか」 「いや、そういうわけじゃなくて……どうしてそう思ったの?」 「お話しされている時、とても懐かしそうだったので」  何故か生まれた奇妙な間に、舞はますます困惑した。  司は一体何を考えているのだろう。気に触るような発言だったかと悩み出した時、飛鳥が底抜けに明るい口調で割って入った。 「よし、じゃあフレンチトースト案で採用にしよう! トッピングにジャムを乗せるのもありだよね。俺、最近ジャム作りにはまってるからそれ使ってよ。夏場はアイスを添えてもいいし、色々アレンジが利いていいと思う」 「ジャム作りって、それも豊島で教えてもらったのか」 「ふっふっふ、アンズちゃんの秘伝のレシピだよ。俺は後継者として認められたんだ」  話題は飛鳥のジャム作りに移り変わる。彼はフレンチトーストに添える組み合わせをあれこれと提案し始め、そのまま時間は流れて行った。
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