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二話 空っぽのガラス瓶、それも沢山
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十二月に入る頃には、日が短くなったのを感じるようになった。
気温にまだ大きな変化はないが、天気予報は中旬以降に一段と冷え込むだろうと伝えている。
「飛鳥はいつもこうなんだよ。先のことなんてまるで考えないんだ」
迎えた最初の日曜日。
週末文庫の様子は、先月と比べて内装に変化があった。
純喫茶の頃から使っていたテーブルや椅子を一部撤去し、引き取った古家具を代わりに据えたのだ。
植物の柄が描かれた四角い銅板のテーブルや、真っ赤に塗られた丸いカフェテーブル、背もたれが日に焼けたイギリス製のアンティーク風チェアなど、修繕の済んだものを並べている。
雅の勧めもあって、週末文庫は今月からホームページを公開し、写真共有アプリでもアカウントを作った。
ホームページの更新は司が担当している。商品を引き取った経緯や、元あった喫茶店がどんな場所だったか詳細が綴られている。
オンラインでも販売を開始したことで、遠方客からの注文も一件あったらしい。
舞が更新するSNSは、商品紹介を連動させる他はすべて舞に一任されていた。最初に投稿したのは雅からもらったグラスの写真だったが、その後は全部舞が撮った。販売スペースの一部を切り取った写真をアップしたところ反応があり、店内の家具を商品と交換する案を思いついた。
真面目に写真を撮るのは、大学時代に入っていた旅行サークルの活動以来だった。
机の奥にしまい込んでいた一眼レフはまだ使えたので、スマートフォンと合わせて使っている。
店のために始めた写真だったが、舞は案外楽しんで撮っていた。思い返せば、大学時代も旅行よりカメラの方を楽しんでいた気がする。
しかし、目の前に並ぶ大小様々なガラス瓶は、どう撮ってもただのガラス瓶にしか写らなかった。
「どうしたもんですかね、これ」
このガラス瓶は今朝になって突然、飛鳥が持って来た。豊島でジャム屋を営んでいた「アンズちゃん」から、大量に引き取っていたのだ。
彼女が閉店を決めたのは、喜寿のお祝いで世界一周ツアーに参加するためだったという。
帰って来た頃に体力が残っているか不安だという理由で店を畳んだらしいが、いちご栽培自体は息子が継いでいる。それに飛鳥の話を聞く限り、彼女は極めて元気だ。おそらく営業は再開されるだろう。
「本人が処分するつもりだったならそれで良かったのに、どうしてわざわざ貰って来たんだ? 飛鳥の辞書には計画性って単語がないのかな」
「……使うかと思ったけど余った、って言ってましたけど」
ダンボールを抱えてやって来た飛鳥は、一方的にガラス瓶を押し付けると「ハナちゃんと打ち合わせがあるから」と慌ただしく出て行った。
棚の前に置かれたダンボールを見下ろし、司はため息をつく。
「せめて形が凝ったやつだったら、商品として出せたかもしれないのに」
「こういうガラス瓶、百均でも売ってますしね、新品が」
朝から司と二人、このガラス瓶の処遇を延々と考えているものの、建設的な案が思いつかない。状態としてはどれも悪くないが、とにかくなんの変哲もない普通のガラス瓶なのだ。
「いっそ佐藤さんにジャムを沢山作ってもらって、これで販売したらどうですか」
「最近忙しそうなんだよ。クリスマスシーズンだから稼ぎ時だって言って」
「あー、なるほど。それは頼めないですね」
十二月はただでさえ繁忙期だ。舞の会社も年末進行になっている。去年と比べるとかなり楽になったとはいえ、事務処理はいつもより煩雑になっている。
「元はと言えばあいつのせいなのに……」
司が恨めしそうに呟いた時、店の扉が開いた。
「おつかれー! なんか、内装の雰囲気変わった?」
今日の雅は白いニットにダメージジーンズ、耳元には大振りのゴールドピアスが揺れている。
「アカウント見たよ、いい感じじゃん。平日も投稿してなかった?」
「先週末に撮っておいたんです。少しずつ出していこうかと……」
「マイマイ、また敬語になってるよ」
「う……ごめん」
言葉を詰まらせた舞に、雅は笑った。
「あれ、全部マイマイの写真なんだ。やっぱ勧めて正解だったわー」
カウンター席に座った雅は、カフェラテとフレンチトーストを注文した。舞はカウンターに入り、フライパンを温め始める。
「ハッシー、それどうしたの? めっちゃあるじゃん」
「飛鳥に押し付けられて、どうしようか困ってたところ。このままだと値段もつけにくいから、無料配布するか処分してしまうか……」
「何か入れて売ってみたら?」
「中身が思いつかなくて。雅さんなら何を入れる?」
「あたし? そうだなー」
フレンチトーストを用意しながら、舞はカフェラテの準備にとりかかった。國彦から合格をもらったので今月からメニューに追加している。
耐熱ボウルに牛乳を注いで電子レンジにかける。コーヒーミルにかけた豆は、音を立てて粉になっていく。
ほどよく温まった牛乳を取り出すと、泡立て器で空気を含ませるようにかき混ぜる。三分ほど経つ頃に現れた泡を、崩さないように気をつけながらスプーンで別の器に取り分けた。
コーヒーを入れた後に牛乳をゆっくり注ぎ、その上に泡をそっと乗せていく。真っ白な泡が中央に浮かび、境界線は雪が滲むように淡くぼやけている。
「お待たせしました、カフェラテとフレンチトーストです」
今週のジャムはりんごだった。ほんのりと優しい赤に染まった色合いは、紅玉の色素によるものだという。剥いた皮をパックに入れ、一緒に煮込むと自然に色がつく。
「これって昨日載せてたジャムでしょ? 気になってたんだよねー」
雅は嬉しそうにフレンチトーストを一口食べ、カフェラテに手を伸ばす。
「マイマイさー、ラテアートとかちゃっちゃとできないの?」
「えっ、ラテアート!? 無理だよそんなの」
「なんで? 色々できるしいけそうじゃん。練習すればきっとすぐできるよ、その指先は絶対器用だって」
「そんな無茶苦茶な……」
困惑した表情を見せながらも、舞は雅の率直な物言いを好ましく思っていた。雅のような人と付き合うのは初めてだったが、ある程度は打ち解けて話せるようになっている。
「やっぱ、季節感は大事にしなきゃだよねー。今の気分はホットのカフェラテだけど、これを真夏に飲みたいかって言われるとビミョーだし」
雅はカフェラテを飲んで、ふぅと息をついた。その指先はグレーのネイルに彩られている。クリスマスを意識しているのか、イルミネーション顔負けの大粒ストーンがどの指にも輝いていた。
「ハッシー、それ一つ貸してくれる?」
司がガラス瓶を渡すと、雅はガラス瓶を眺めながら考え込む。
「何が入ってたらいいかなー。冬はやっぱ、キラキラするものがいいじゃん」
雅の手元で、くるくるとガラス瓶が回る。空っぽの中身を見つめる彼女の瞳は、まるで何かが入っているかのように一点を捉えている。
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