第一話:だいかいじゅうとしゅうまつばくだん

5/7
前へ
/43ページ
次へ
 ネロは溜息を吐いて、人間の形である掌をミチルの髪の上に置いた。まだ子供髪質の、細い毛だった。 「俺が恐くないのか? 外人だし、触手だし」 「ネロはかっこいいよ!」 「人間じゃないんだぞ」 「それでも……」 「この国を滅茶苦茶にしに来たんだぞ」  圧倒的な軍事力と技術力で世界の覇権を握っている強国を崩して、その支配から世界を解放する。  それが、ネロが上から聞かされた『理想』だった。『世界征服』の理由だった。もっと世界はより良くなる、悲劇だってなくなる――だからネロは改造人間になった。生体兵器となった。 「どうして、ネロは怪人になったの?」 「恋人と、復讐の為さ」  ネロはへらりと笑った。そうしてやおら身を起こし、UFOのようなオブジェクトの穴から出る。完全に体が真夏の日差しに晒された頃には、両腕はまた幾本もの触手となり、顔も不気味の黒色の怪物へと変貌していた。  橙色の無機質な眼球が見据える先には、この国の軍事力の一端であるロボット兵士が立っている。2メートル以上はあろうか。無骨な装甲は一切の装飾がなく、どこまでも機能性を突き詰められている。その機械の体には、そこかしこに兵器が仕込まれていることをネロは知っていた。改造人間として研ぎ澄まされ過ぎた五感が、本能が、警戒信号を発している。あれは危険な存在だ、と。  ――勝てるのか? あんなバケモノに。  いいや。俺だってバケモノなんだ。  勝てる。勝たなきゃならない。  ここで立ち止まる訳にはいかない。  もう状況は「がんばる」とか、「どうにかせねば」ではなく、「どうにかする」しか残されていない。 「ミチルくん、そこでじっとしてろよ」  ネロは不気味な咢を開いてそう言った。背後に、オブジェクトの中で小さくなっている子供の気配を感じながら。  ――土を蹴る。砂煙が上がる。銃声、唸り声、堅いもの同士がぶつかる音。  ミチルはUFOの隙間からその光景を見ていた。目まぐるしすぎて人間の目では追いきれない攻防。黒い触手が空を切り、機械の武装ユニットがいくつもの弾丸を放ち――装甲がひしゃげる、切り落とされた肉片が転がる。  少年は知らない。ネロが、ミチルの方へ流れ弾が向かわないように立ち回って戦っていることを。防ぎきれない時はその身を呈して守っていたことを。ただ少年はじっと、じっと、男の背中を凝視していた。自分を守るように戦ってくれている人間の姿を。「恋人と、復讐の為さ」。そう言って笑った彼の横顔が脳に焼き付いていた。  ――ネロには恋人がいる。  この国がばらまいた汚染兵器によって、彼女の体は『少しずつ溶けて朽ち果てていく症状』に陥っていた。現時点で特効薬も何もない。命を長らえさせるだけでも莫大な労力が必要な、極悪非道なものだった。その果てに、発症した人間は必ず死亡する。酷い苦しみを伴いながら。  ネロは足掻いた。少しでも彼女が生き延びられるように苦しみが少ないようにと力を尽くし――ほどなく金は底を尽いた。もう彼女の延命を諦めなければならない状況にまで追い詰められていた。彼女は「もういいよ。私を捨てて新しい人生を過ごして」と言ったけれど、その言葉の奥に「お願いだから見捨てないで」という感情が滲んでいたことを、男は悲しいほどに見抜いてしまっていた。……どれだけ気丈に振る舞おうが、彼女とて人間だったのだ。「私を捨てて」「私を見捨てないで」がどちらも本音だからこそ、ネロは苦しくて悔しくて仕方がなかった。  男は彼女を愛していた。特別な存在で、居場所だった。だからこそ、現実の理不尽を嘆いた。どうして我々がこんな目に遭わなければならないのか。悪いことなどしていない、ありふれた人生を送ってきただけなのに。いったい何の罰なのか。罪があるというのなら、どうか懇切丁寧に教えて欲しい。  ――神様。  お願いです。なんでもします。  どうか彼女を助けてください。  俺はどうなっても構いません。  だからどうか、どうか、神様。  そんなネロの願いは――かくして、神に届いてしまうのだ。  国の『偉い人』の遣いがやってきた。  ネロの願いを叶えると言った。  その代わり、ネロの命を使わせて欲しい、と。  そうしてネロは生体兵器となった。  彼女は今――国を挙げての治療が行われている。はずだ。  きっとよくなる。ネロはそう信じる。  もう二度と、彼女と会うことはできないけれど。  ……それでもいい。彼女がこれから生きる世界を護れるのなら。  本音を言うと悲しいけれど、でも。  これでよかった、以外は考えたくない。ましてや「もっといい方法があったかもしれない」なんて、想像したくもなかった。 「ミチルくん、俺はこの国を滅ぼしに来たんだよ。この国が滅んだら、お前は生活できなくなっちゃうだろねぇ。死んじゃう可能性の方が高いし、生きていてもきっと地獄だ。俺は君が生まれ育ったこの国が心底憎いよ。俺の恋人を酷い目に遭わせて、俺の国の経済もメチャクチャにして、だから復讐しに来たんだよ。全部全部、お前の生まれ育ったこの国のせいなんだ」  ――とは、言えなかった。この幼い少年に。何も知らない少年に。  この国が憎いのはどうしようもなく事実。だけど国民ひとりひとりに罪があるかと言われれば答えはNOだ。それぐらいの分別は携えているつもりだった。  それに――生体兵器となって、命を使い捨てに来たのだ。そんななのにミチルの死を止めておいて「死ぬな」とほざいたなんて、説得力がなさすぎるし、純粋にかっこわるい。だから内緒。怪人の使命は、永遠に秘密。少年の目に映るのは、かっこよくて悪い怪人のままで。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加