第一話:だいかいじゅうとしゅうまつばくだん

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 男の正体はよその国の工作員である。今からこの国の政治の中枢を戴いたエリアへ赴き、『一仕事』することが使命だった。それも、命懸けの。  全ては恋人の為と、復讐の為であった。  追手を振り切り、あるいは返り討ちに、黒ずくめのスーツの男は――いいや、怪物は町を疾駆する。  少しだけ回り道があって、予想に反してこの国に存在を察知されていたけれど、概ねは予定通りだ。  思い残すことは――ある。未練は、ある。  死にたくないし、恋人と二人で生きたかった。  どうして自分に白羽の矢が立ったのだろう。きっと天文学的確率で。  そんな運命を呪うべきなのかは、もう誰にも分からない。  高いビルの天辺だった。ネロは取り囲まれている。  たくさんの銃口が向けられている。たくさんのロボット兵士が身構えている。  この人達にも家族がいて、友人がいて、人生があって、きっとそれらを護るために頑張っていて。そうは思うけれど、男は躊躇をしなかった。「躊躇しない」という選択を、迷わず取ることができた。  心まで怪物になっていたのかもしれない。なんて自嘲して――ネロはビルから身を投げた。重力。引力。ビルの電光掲示板に表示された時計と一瞬ですれ違った。人ならざる動体視力は、その一瞬で今が何時何分何秒か数字を読み取ることができていた。  ――時間だ。  ネロは変身する。何に? 悪の怪人なのだ。悪の怪人が変身するとしたら――巨大な怪獣だろう。お約束だ。  それは数多の触手を縒り合わせたような、真っ黒くて悪夢のような大怪獣だった。天へと伸ばされる数多の『腕』は根のようにも見える。まるで空に向けて逆様に木が生えているかのようだ。  巨体という兵器が、存在するだけで町を壊す。幾つも幾つもある触手を振り回せば、呆気ないほど建物が砕けて地面が割れていく。阿鼻叫喚をもたらしていく。戦闘機を叩き落とし、戦車を薙ぎ払い踏み潰していく。酷い有様だと怪物の中でネロは不思議と客観視していた。そして、こんな姿になっても心は消えたり暴走したりしないのだな、と。  大怪獣は暴れまわる。この国の中央を担うあれやこれやをぶっ壊していく。重要な人間を諸共に圧砕していく。この国がメチャクチャになるように。機能不全になって、他の国に負けてしまうように。あるいは「こんなに恐ろしい兵器があるのだから、諦めろ」と理解させるように。  その間にも、ネロの体に爆炎が上がる。この国を守ろうとする人々の攻撃は激しさを増していた。大怪獣はボロボロになっていく。体が千切れ、燃えて、崩れて―― (ああ、)  大怪獣は夏の空を仰いだ。眩しい。明るい。遥かな光に手を伸ばした。  人は誰でも、その生涯で15分だけは有名になれるらしい。  15分。時間だ。  目を閉じて、幕を下ろそう。  サヨナラだ。  ――大怪獣を中心に、町を大きな光が包んだ。  そいつの体には爆弾が仕込まれていたのだ。  それは世界に最期をもたらす、終末爆弾。  太陽よりも眩く、全てを飲みこむ光。  ●  ぼうっとして、現実感がなくて、ミチルは「あれからどうなったのか」を詳しく覚えてはいない。  ただ気が付けば病院にいて、ベッドに横たわっていて、母親が抱き締めてくれていた。  あなたが無事でよかった。生きててよかった。彼女はそう言って、泣いていた。  そうしたらどっと安心して、心と体に輪郭が戻ったような気がして、少年は母親を抱き締め返していた。病室の外では「大きな戦いが始まるらしい」と声が聞こえたけれど、少年にはどうでもいいことだった。言いたいことはたくさんあって、いろんな思いがぐるぐるしているけれど、どれこれもうまい言葉にはならなかった。顔中に巻かれた包帯が息苦しくて煩わしい。目の前がじわりと涙で滲んで歪む。  ネロは世界征服できたんだろうか。できたのなら、世界はより良くなると言っていた。  きっと世界征服できたんだろう。だって、世界がより良くなった気がするから。これからは大丈夫な気がしたから。  ネロは頑張ったんだ。成し遂げたんだ。  よかった。  よかった。  それはかつてない安心だった。少年は酷く酷く泣いた。  母親が頭を撫でてくれる。いつ振りだろうか。嬉しかった。だから――今なら許されると思って、少年はこう言った。 「お母さん……メロンクリームソーダが飲みたいな」
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