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 かなり疲労の色が濃かった小峰を彼の自室に送り届け、誠一郎はこう言った。 「小峰さんは部屋で休んでいてください。僕が報告をしてきます」  それはもちろん、展示物の骨董品の持ち主であるこの屋敷の主人にだ。  小峰は驚いて、 「い、いやいや! そんなことを君に任せるのは申し訳ない!」  と珍しく大きな声を出した。 「いえ。小峰さんは体が辛そうですし、望月さんが担当していた時とはいえ僕に責任がないわけではありません」  その望月はどこかへ行ってしまったわけなのだが。 「いや、でも……」  誠一郎は、小峰が自分をかばうように食い下がるほどに、この屋敷の主人は怒るとどれだけ恐ろしいのだろう、などと想像してしまう。  そこからしばらく「一人で行く」「君は行かなくていい」という押し問答を繰り返したのち、結局小峰が折れた。  小峰はとても申し訳なさそうに、 「深沢くん、本当にすまないね……。こんなことに巻き込んでしまって」  と、小さな老体を丸めて頭を下げていた。  日の暮れかかった夕刻に屋敷の主人が帰宅した。  玄関に車が滑り込む音が聞こえて、誠一郎は心を決めた。  車を専属の運転手に任せ、一人で屋敷に戻ってきた主人を数人の女中が迎える。  実は、誠一郎はこれまで一度も屋敷の主人と話をしたことがなかった。仕事の内容の説明も、屋敷の案内も全て小峰がしてくれたし、普段の生活でも広すぎる屋敷のせいですれ違うこともなかったのだ。  初めて見た屋敷の主人は、誠一郎が話を聴いて想像していた通りの人だった。広い屋敷で骨董品を山ほど集めるようなお金持ちと言って庶民が想像する人物の平均を取ったような人。  身の丈はさほど高くなく、恰幅(かっぷく)の良い体を高そうな着物と羽織りで包み、カンカン帽子を外した頭頂部は少し寂しい。どんな仕事をしているのか分からないが、感情の読みにくい表情からどこか狡猾なやり手という印象を受ける。  帰ってきた屋敷の主人を女中らと共に迎え、自己紹介と報告したい件があることを述べた。初対面の自分へ向けられる捉えどころのない表情の中、目の奥が笑っていない気がした。  そして、夕飯前に時間を取ってもらい、書斎で一連の報告をした。  申し訳ありませんと直角に頭を下げるも、そこにかけられた言葉は意外なものだった。 「そうか……」  話を聴いた主人は、意外にも反応が薄かった。誠一郎は拍子抜けしてしまう。怒鳴り散らされる覚悟くらいはしていたというのに。  自分の家で盗難があったという事実を知らされたら、多かれ少なかれ人はもっと動揺するのはないだろうか。おもてを上げ、ちらりと主人の顔色をうかがった誠一郎はそう思った。 「……盗られてしまったものは、今さらどうしようもないな」  太い葉巻の紫煙をくゆらせながら、大事な収集品を諦めようとするような発言をしている。  いぶかしむような誠一郎の視線に気づいたのか、主人は言葉を重ねる。 「いや、まあ……そういった本職の人にきちんと頼まなかったのは私の落ち度だ。これまで何も問題がなかったから、この先もきっと大丈夫だと思い込んでいたんだよ。うん。君や望月くんが気に病むことはない」  どうやら望月のことは知っているようだ。それと、彼がここにいないことを責めたり疑問に思っているような口ぶりもない。むしろ、かばうような発言が目に付く。 「そもそも……離れの準備で小峰が展示室を外すことが多くなると聞いたときも、私は別に見張る者の追加など要らないと言ったんだ。盗みに入る者なんているわけがない。この十数年、ほぼ放置していても何もなかったのだから。でも、小峰に『専門の方でなくても、どなたかいてもらった方が』と何度も進言されて、やっと折れたくらいなんだよ。私は無駄遣いをしたくない性格だからね……」  誠一郎はこの発言にも違和感を覚えた。  屋敷の主人は改めて誠一郎に向かい合うと、淡々と今後の話を始める。 「当然だが、こんなことになっては報酬の件は無かったことにしてもらう。それから、物騒な者に狙われる可能性があると分かった以上、この家の警備を強化する。安全のためにも展示室は閉じるすることにする。もうこの仕事は終わりだから、明日、車で君の町まで送らせよう」  こんな事態になっては報酬など出されるわけはないことは納得している。展示室を即時閉鎖することも当然の判断だ。  しかし、あまりにすんなりと進む話に、誠一郎は当たり前の疑問を差し挟む。 「あの、警察に連絡してきちんと捜査してもらわないのですか?」  骨董品の盗難だけでなく、ガラスを割って屋敷に侵入されているのである。 「あー……いや、まあ、それはいいんだ……うん」  奥歯に物が挟まったような言い方でごまかされる。  腑に落ちないが、それ以上踏み込んで質問できるような空気でもない。  桁の違う金持ちにとって、安価な壷を一つ取られたくらいではさほど動揺などしないのだろうか。  主人に「もう下がりなさい」と言われてしまうと、おとなしくそれに従うしかなかった。  怒鳴り散らされたり、責任を取れと責めたてられたりしなかったことは本当に良かった。  でも、なんとなく色んなことに違和感がして、気持ちが悪い。  自分の客間に戻る薄暗い廊下をたどりながら、誠一郎は黙って考えていた。  屋敷の主人は、盗難があったことをすでに誰かから聞いていたのだろうか。あまりに驚きがなかった気がする。それと、この件を警察に連絡できない事情でもあるのだろうか。  また、先程の屋敷の主人の話は、ところどころ小峰の説明と食い違っていた。以前に小峰は「旦那様に必ず見張りの者を立てるように言われた」と言っていたが、今の屋敷の主人の説明では「小峰に言われて仕方なく雇うことにした」ということだった。  そもそもあの展示室の様子もおかしかったのだ、と、さらに考え始めた時。 「わっ! な、なんだよ、おどかすなよ……!」  廊下を曲がって出会い頭にぶつかりかけたのは、あれから姿を見ていなかった望月だった。  両手にはずいぶん大きな荷物が抱えられている。恐らくここに持ってきたものをすべてまとめたのだろう。 「もう展示室は閉鎖してこの仕事は終わりなんだろう? 僕はお先に失敬するよ、ビン底眼鏡クン」  決してビン底眼鏡などではないのだが、今はそんなことに構っている場合ではない。  早足で隣をすり抜けて去ろうとする望月に、誠一郎は尋ねた。 「明日、車で送っていただけるようですよ。もう日が暮れました。今からどうやって帰るんですか?」  ここはあまり栄えた町とは言えないので、徒歩で公共交通機関の通っている所までたどり着くのはだいぶ時間がかかる。どこの住まいか知らないが、もしこの町の近くだったとしても、民家同士にも結構な距離があるので歩いて帰るのは大変だろう。  望月はその疑問を鼻で笑って答える。 「ハッ。貧乏人の発想だな。ここまで僕の家の車が迎えに来るに決まってるだろ」  “僕の家の車”ということは、望月の家はここに負けず劣らず相当に裕福とか、良い家柄なのだろう。  その時、誠一郎はある可能性をひらめいて、少し突っ込んだことを訊いてみた。 「もしかして……望月さんのお父上は、警察関係の方ですか?」  望月は、どうしてそんなことを知ってるんだ、とばかりに目を見開いた後すぐ、 「この家の連中の誰かに聞いたんだな。小峰のじいさん辺りか? あんまり言うなって言っといたのに、有名人ってのはこれかから困っちゃうね。そう、僕はこの町の警察署長の息子さ」  と、勝手に納得して、勝手に想像して、勝手に得意げに嘆いて、勝手に名乗った。  誠一郎はこれでようやく合点がいった。小峰や他の手伝いの者たちがその横暴な発言や素行を注意できなかった理由。  町の警察署長の子息、しかもこんな性格の人物に無闇に注意などしたらその後どうなるか。この町の人間でない誠一郎でも、十分に想像がつく。  だからこそ彼は、これまで誰にもふるまいを正してもらうことなく、良い意味で鼻を折られることもなく、こんな性格に育ってしまったのかもしれないが。  あとそれから、今のことからもう一つ推測できること。それを確認するためにさらに尋ねる。 「強盗に入られてからすぐにどこかへ行っていたようですが、お父上に連絡を取りに行ってたんですか?」 「ああ、そうだよ。もう終わりだしはっきり言うけど、僕は将来警察関係の上層部に就くことが決まってるわけなんだよ。こんな下らない仕事の失態なんかで、僕の経歴に泥を塗るなんて真っ平御免だ」  そう言って、「ったく、よりによってどうして僕の当番の時にコソ泥が入んだよ……」と、顔をゆがめて悪態をつく。もし強盗に入られたのが自分の当番の時でなければ、きっと鬼の首を取ったように誠一郎を糾弾していたことだろう。 「連絡を取ったのは捜査の依頼のためではなく、この盗難の件をもみ消して欲しい、ということだったんですね」 「そーいうこと。盗まれた壷の金額分は僕の父さんが支払ってやるって言ってるし。どうせこの家の主人だって、叩けばほこりが出てくるようなあくどい金の稼ぎ方をしてるんだ。それで波風が立たないならお互いにとって良い事だろ」  とんでもない理論を振りかざしているが、誠一郎はいくつか分かったことがあった。  屋敷の主人は誠一郎から報告を受ける前に、望月に泣きつかれた望月の父から既にこの盗難事件のことを聞いていたのだろう。  被害を警察に届け出ないと渋々決めたのは、息子をかばう望月の父から警察沙汰にしないよう圧力がかかったから。盗まれた壷の代金は支払うし、望月いわく“叩けばほこりが出るような”やり口の家業にも目をつぶっておいてやるから、ということなのだろう。  先程の屋敷の主人の口ぶりはずいぶん歯切れが悪かったが、こんなこと歯切れ良く説明できるわけがない。 「君も、くれぐれも余計なことを口外しないでくれたまえよ。まぁ、そんな地位があるような大した知り合いも居ないんだろうけど。どうせ家族はみんな冴えないビン底眼鏡で、知り合いもみんな本だけがお友達の陰気な奴らなんだろ」  いつものように悪気なく暴言を残してさっさと会話を切り上げようとする望月に、最後にもう一つ、気になっていたことを訊いた。 「あの……最後にうかがいたいんですが。望月さんはどうしてこの仕事を引き受けたんですか?」  今は“下らない仕事”などと言っているが、当初は誠一郎に嫌味を言うほどかなり使命感に燃えていたはずだ。警察署長の息子ともあろう人が、どういった経緯でこの仕事を引き受けることになったのか。  少し話しにくそうに、望月は仕方なく口を開く。 「ああ……。直接誘ってきたのは、小峰のじじいだよ。僕はしばらくちゃんと働いてなくて……いや、ずっと無職の君とは違うからな。何度か社会勉強がてら父さんの知り合いの会社とかに行ってやってたんだが、他の連中の程度が低いことに嫌気がさして、辞めたんだ」  望月の主観を取り除いて要約すると、底抜けに悪い性格のせいでどこに行っても馴染めず仕事が長続きしなかった、ということだろう。 「久しぶりにちゃんと働くってんで、父さんも喜んでいたんだ。小峰のじじいが『警察署長のご子息はきっと警備がお得意でしょうから』とか言うからせっかく来てやったのに。こんなことに巻き込みやがって……」  そう吐き捨てるように言って、望月はうんざりしたのか、 「もう迎えの車が玄関まで来てるころだから、帰る。余計な時間取らせるなよ」  と不機嫌そうに去って行った。  誠一郎はそれを引き止めることなく、黙って彼の背を見送る。  望月との話で、いろいろな事が分かってしまった。  しかし、分かったけれど、心の中の霧は一向に晴れていない。  今の誠一郎の中にあるのは、ただ純粋な“疑問”だった。  それから。  誠一郎は夜を待った。  消灯され、屋敷全体が寝静まったころ。  部屋を抜け出し、ある人物の部屋の扉を叩いた。 「夜分遅くに申し訳ありません。深沢です。少しお話よろしいですか」
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