ゴルドベルグ・死に至る煩悶

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ゴルドベルグ・死に至る煩悶

第21話 『マクシミリアンの受難』 法律事務所長の日記 5月某日 土曜日  このところ晴れ続き、本日も晴天に恵まれ慶事には言うことなし。  魚屋の主人宅で執り行われた結婚の祝いに参加した。新郎新婦共に初々しい若さにあふれ、歳も近い。集まる者も皆純朴な喜びに満ちた近隣の住人で、将来この二人が包まれるであろう(ひいな)の幸せをしみじみ予感させる良い宴だった。  しかし往生した。私の兄上が音楽の方面で著名であることを知る誰からともなく、店の隅で埃をかぶっていた古ぼけたピアノで一曲を、と請われたことだ。  幼くして音楽家であった我が父からは、ピアノもバイオリンも才なしと看破された私だ。しかるにその薫陶らしきものなどほとんど受けてはいない。楽器の類はからきしだ(歌曲の世界で身を立てていらっしゃる兄上とても、父に教授されたのは声楽において決して外さぬ音感とリズムが中心であり、弾ける楽器は多くはない)。  こちらが固辞すればするほど謙遜と勘違いをする来客から押し寄せられ、ほとほと困り果てていると、イアンが進み出て 「それでは先生の代わりに僕が。拙いものではありますが、お耳汚しに」  と、傷んだ鍵盤を調律し彼の故郷ダルマチアの地方曲を一節(ひとふし)披露してくれた。  王と農村の娘の恋歌だという、清冽な旋律の中に若干の哀切を帯びた美しい調べ。あとで内容を尋ねるとこんな風だとドイツ語で教えてくれた。 ♪ 窓辺に出で来た金の月 夜空に煌々(こうこう)と白粉散らして 王と乙女 愛を取り交わす 花の(かんばせ)乙女は歌う 我がつわものよ この身尽きるとも 汝への誓いを捨てはせぬと 王は髭長く戦を待つ身 (こうべ)垂れ乙女に請うことには 我を忘るることなかれ さすれば死地に赴くとても 愛に護られ汝が元へたち(かえ)らん 乙女また誓う 我を信じ心安らかにおいであれ 故郷の土を踏むまで この指輪は王のもの もしこの約束が偽りの実を結び 他の誰かに心移りしときは 我が胸を切り開き 心臓の盃をもって血を飲み干して 魂の渇きを癒やしたまえ 戦終わりて夏過ぎぬ  遥か異国の戦場(いくさば)で 空駆け巡るは黒き鳥 黒き虫 山跳び行くは 名もなき虫 名もなき(けだもの) 帰らぬ王 亡骸を哀れ野に晒す 愛の約束は冬を迎えその葉を落とし そして乙女はすぐに王を忘れた 窓辺に出で来た銀の月 乙女の谷を霧の闇に閉ざして 今宵誰かが乙女を呼ぶ…  陰を含んだ歌詞はいささか婚姻の門出には不吉なようではあるが、テーマは「永遠の恋」だとのことで、とっさに出てきたのがこの曲というのだから咎めるにはあたるまい。  それにしても驚きだ、彼にあんな隠し技があるとは!なんでもピアノの手ほどきをしたのは彼の母上らしい。その母上はさらに祖母から鍵盤の扱いかたを教わったと語ってくれたが、家族の歴史というものは意外な局面に現れるものだ。  私の窮地を救ってくれたイアンの技倆(ぎりょう)に座が湧き、あれは弾けるかこれを弾いてほしいと更に更に催促をされ、宴席の間じゅうピアノのそばを離れることができなかったのは悪いことをした。  当の私はといえば芸人気取りで、イアンに伴奏を頼んではアリアを歌ったり得意のポルカを踊ったりしていたらしい(全く記憶にないのだが)。  帰宅の際にはブレーズともども石炭袋よろしくイアンの双肩に担がれていたと、今朝がた起き抜けにドロテアが教えてくれた(これもまた記憶にない)。 5月某日 月曜日  ドロテアの進歩が著しい。  家事仕事の合間やお茶の時間にイアンが教授するドイツ語の文法・数の数えかたや計算方法、基礎的な科学に金銭の知識も獲物に出会った蛇のごとくにするすると飲み込んでいく。  吸収力の高さもさることながら、彼女の置かれた状況を鑑みるに、学ぶということを知らなかった反動かもしれない。才能と機会が正しく巡り会えば、目覚ましい発展と喜びを得られるという良い見本だ。  袖捲りをしたドロテアが机に齧りつくような格好で、食事の時間すら忘れて瞳を輝かせながら綴りをノートに練習しているのを眺めていると在りし日の我が身を髣髴(ほうふつ)とさせられる。  ギムナジウムに上がる前、幼い私に読み書きを教えてくれたのは兄上だ。自分や家族の名前が初めて読めた時はことのほか嬉しかった。今でも憶えている。あの頃の私のようにドロテアも初めて触れる知識、それ自体が実生活の技能でもある読み書きに夢中になっているようだ(ドロテアは実学よりもむしろ座学の方に向いているのではないかとも思うが、それはうがちすぎだろうか?)。  そしてメニエ夫人のところに通わせてまだひと月やそこらだが、立ち居振る舞いにおいても日増しに淑やかさを自分の新しい持ち物としてきている。  今日などはメニエ夫人が「宅で内輪のお茶会を致します。彼女へのテストとしてご覧くださいな」とドロテアを女主人(もしくは主人の代理を務める娘)役にしてサロンめいた茶会を催してくれた。  これはどうやらドロテアには不意打ちの様子で、馬上試合に初めて挑む若武者さながら、気負いのある顔を見せていた。  結果は申し分なし!無作法どころかナイフとフォークでの食事の作法でさえつまずいていた、かつて窃盗で糊口をしのいでいた少女。それが見違えるばかりの洗練された礼儀正しさを示してくれたのだ!(私達が成果を見せてくれ、と頼んだときだけではあっても)。  私達のもとに来るまでは恵まれた境遇であったとはいいがたく、掏摸(すり)の老女を親代わりとして荒んだ生活を…人生のほとんどを歩んできたにもかかわらず、もともとどこか()れたものを感じさせない不思議な子だ。  表面的には男のようにズボンを穿き、ブレーズの真似をして少年と見まごうなりふり。だがその皮膚と肉の奥に、流れる血潮に、なにかゆかしくいわくいいがたい(とうと)さが溶けている。それが時折彼女の輪郭を透かして見えるような気さえする。  おそらくこれは、メニエ夫人のもとでなければ(私達の男所帯では)開花しなかった生まれ持っての才なのだろう。  メニエ夫人は貴婦人の原石を磨くことにかけて、熟練の庭師だけが持つ剪定の技さながらの腕前を持っているらしい。  私、イアン、ブレーズという招かれた客分にたいし、紅茶やコーヒーを振る舞い菓子の皿を上げ下げするドロテア。その表情も動作も緊張に固く張り詰めてはいたが、テーブルマナーも作法もしっかりと慣れ親しんだもののように板についていた。 「コーヒーを淹れたりする手つきにはまだ危なっかしいものはありますが、及第点以上の評価をつけてもかまわないでしょう」  食器を下げて、全てが終わった後のこのイアンの科白で緊張の糸がほどけたのか、へなへなと椅子に座り込んでしまった。それを軽くたしなめたメニエ夫人もご愛嬌だ。  ともすると私以上にマナーには厳しいイアンをして、これほどの賞賛を(彼は「褒めてはいません、正しく評価しているだけです」と言うが)得られようとは。  その嬉しさを肴に夕食は少しばかりワインのグラスを重ねてしまった。イアンには見抜かれて 「ドロテアの向上心にかこつけて堕落なさいませんように」  と釘を刺されてしまった。 「まだ修行をはじめたばかりなのですから、脇道に逸れず慢心しないこと。そしてそれを厳しく見守ることが肝要なのですからね」  と言うイアンも、引き締めて緩めない眉根の下の瞳は微笑んでいた(私にはそう見えた)。 5月某日 水曜日  思いもよらぬ来訪があった。あすの昇天祭の祝日にささやかな午餐を開こうと、ブレーズとドロテアを伴わせ、イアンの仕事の虫をなだめて買出に出た帰り、我がフェルダー法律事務所のドアの前を飾るかのように我がパリの友人(アミ)ラウル=ド=リブロンが佇んでいたのだ。全く予期せぬ突然の来訪だった。  それにしてもラウル君は遠くからでも宝石のごとく目を引く。薄い紺のコート、漆黒の鉱石を削ったような正絹(シルク)のスーツという装い。いでたちはまったく地味であるにもかかわらず、寝物語に登場する神話の人物か精霊であればさもあらんといった趣深い雰囲気を醸し出している。  風雅の化身というか…別世界のひと(エトランゼ)というか…  やめだ。私は文才に秀でたタイプではない。彼の雰囲気を表現するための適切な言葉を持たないのだから。陳腐な表現などで彼の神秘性を損なわせるなど余計なことだ。センスのない者が一流の芸術作品に賞賛を投げると、時として野次を飛ばすのと変わらなくなってしまう。  この哀れな頭脳の土壌からは平凡な作物しか生えてはこない。記憶の辞書からひいてこられる言葉は「いとあえかなる」程度が関の山だ。そういうことは、そう、むしろイアンのように詩才に長けた者に任せよう。  かの虎人はかける言葉を忘れて見惚れている私達に簡潔な来意を告げ、 「どうも私はこちらの昼餉どきに登場してしまう癖があるようですね」  と笑った。  無論のこと、彼も交えての突発的な昼食会となった。フランスに帰国してから音沙汰なく、正直少し寂しい思いを抱いていたが、彼の方も同じ気持であったらしい。私達を懐かしみ再びの逗留の機会を伺っていたのだと語ってくれた。  重要なことを忘れてしまうところだった。この度の来朝は彼の新作となる戯曲の取材であるそうだ。その内容にも関わるお忍びであるため、我々は他言せぬことを肝に命じなければならない。  もっとも、この事務所の人間の内に唯一人ブレーズという要注意人物があっての危険はあるが… 「もし酒場や近所の知り合いにしゃべったりしたら、フランス旅行の機会もあちらの綺麗どころとの引き合わせもになるぞ」という私の脅しが功を奏したらしい(少なくともいまのところは、だが)。  今回ばかりは純粋に客人としてもてなしたかったのだが、リブロン君は単なる食客に甘んじることは詰まらないとばかりに上着を脱ぎシャツの腕をまくり、瞬く間にメインとなる皿を幾つかこしらえてしまった。本当にどこまでも能動的な人物だ。  以前と変わらず、いや以前にもいや増して彼の料理の腕がすばらしかったことは言うまでもない。我がフォークとナイフの進軍は美食の前にあえなく敗れ去った。過食が祟って、これを書き記す夜半になっていても腹がくちくて横になれないほどだ。  こんな幸せが願わくばいつまでも続いてほしい。  イアンは学友がほとんどいない。彼が前に少しだけ明かしてくれたパリでの暮らしや交友にまつわる話などから総合すると、大学関係における孤独は明白だ。  彼はけして人嫌いのする男ではない。むしろ、深く付き合えばその懐の広さは自然と居心地の良い安寧をもたらしてくれる。己の舌鋒の鋭さを呪っている(ふし)があるが、彼が自分で心配するほどのものではない。  思うに、彼は自分への評価自体が厳しいのだ。それも、彼が繊細であるが故のこと。  彼に友人が少ない原因は周囲ではなく彼の(生来のものかどうかは測りかねるが)人付き合いを苦手とする性質によるのだろう。これは非常に勿体無いと言わざるを得ない。彼の損失のみならず、彼を将来必要とするであろう人々の損失でもある。  だからこそ、私と共通する友人でありイアンのソルボンヌでの知己であるリブロン君とは懇意にしていてもらいたい。いや、私がそう導いていくべきなのだ。  あの愉快なリブロン君と、どちらかというと生真面目なイアンが仲良くなってくれるなら、こんな喜びはない。二人の持つ、対照的な輝きを放つ魅力が手を携えるなら、鬼に金棒というものだ。  二人を遅くまで引き留めてしまったので、いっそここに一泊してはどうかという私の提案は 「いえ先生、ラウルもそこまでされるのはかえって気後れがするというものでしょう。それに彼の文筆業というものは、四六時中賑やかに過ごすよりも一人静かにグラスを傾けたりする時にこそ霊感が降りてくるものだと聞きます。宿泊の招待はまた日を改めてにしましょう。今夜は私が彼のホテルまで送ります」  とイアンからにこやかに一蹴されてしまった(非常に貴重な彼の笑顔に反論できなかった)。  確かにここはベッドが少ないし、ブレーズは一つ上の階の私の部屋に達し床を揺るがすような(いびき)をたてる。ときたま深夜の電話もある。  そういった喧騒に繊細な作家の神経をさらし、むやみに時間を消耗させることもあるまいと思われたので、必ずいつかは泊まって欲しいと念を押してラウル君とイアンを送り出した。  ()しなにイアンが 「彼が…ラウルがここに泊まるときには、僕も、きっと必ず、絶対にそうします」  と強く言ってきた。これはつまり、やっとイアンもリブロン君と打ち解けてきたということだろう。わざわざ虫の好かぬ人間と一つ屋根の下に寝ることを申し出はすまいから。  そうだ、そのときのために客用のベッドを用意しておこう。となれば手狭にならぬよう、家具を動かして大々的な模様替えが必要となる。これは大変な手間だ。  だがこういった手間は大歓迎だ!  きっとイアンは事務所の出費を渋るだろうが、知ったことか!所長は私なのだから! 5月某日 金曜日  ここ最近仕事が立て込んできて、なかなかサロンへ出かける時間が作れない。ともすれば殺伐となりそうな生活を、リブロン君の来訪が潤してくれる。  今日などは何やら非常に入手が困難で貴重なものだという絵画を「いまパリをはじめとするヨーロッパの諸都市で流行っている品です。話の種にどうぞ」と数点持ってきてくれた。  一枚目は艶やかな直線と目の覚めるような曲線が組み合う素晴らしい風景画で(しかも版画なのだというではないか、あんなものが人の手で作れるというのか?)、色使いの大胆さ、濃淡の変化や人文や動物の輪郭の的確さに舌を巻いたのだが、問題は二枚目からだった。  そこには何というべきか…或いは淫らな夢の神の遊びのような、それとも自然と人間が性というものについて真剣に検討しているような…何と形容すべきかは定かでない、ともかくも直截的な男女の交合の場面が描かれてあった。  その見事さと迫力に絶句している私の手許を覗き込んだイアンなどは 「なんです、おかしな顔をなさって。たかが絵でし」  と言葉を紡ぐ前に固まった。そして一拍置いてから背骨が折れたように()()った。  ブレーズは「むっひょお」と歓声を上げるや眼を丸皿のように見開き、唾を何回も飲み込んで細部までとっくり観察していた。それから急に 「あーおら用事思い出しただー、うん、大切な用事があったんだべなあー」  と言って外に出て行った。彼が何を催したかは推して知るべしだろう。ギムナジウムの時代、その手の話をしている最中ちょうどあんなように前に身をこごめつつそそくさとトイレへ立つ級友が何人もいた。…私もそのうちの一人だった。  かく言う私は終始興奮に我を失い、メデュウサによって石に変えられたごとく見入っていた。チョコレートやある種の香草(ハーブ)には人間をそちらの方面に興奮させる作用があると聞くが、こういった絵画にもそのような力が備わっているとは。  私がその絵画の魅力にとりつかれているのを見てとったリブロン君は 「ウキヨエという日本の芸術です。ご所望でしたら、どうぞこちらに」  とそれらの素晴らしい絵画を事務所に置いて行った。気前の良いことだ。  リブロン君が去るやイアンとのお叱言合戦が始まった。 「年甲斐もなくそんな物にうつつを抜かして、身を慎むべき紳士として、また法律家としての体面はどこに失くしてきたのですか」 「いいじゃないか、野の獣達がそうであるように、太古から人類もまた異性に惹きつけられて子孫を残してきたのだし。それが自然の掟、人生の摂理というものだよ」  という私の第一の反撃に 「本能に逆らえとは申してはおりません。ですが、これは明らかに淫らなものです。空腹によらぬ美食が暴食の大罪に至る道標(みちしるべ)であるように、度が過ぎた欲求は姦淫の罪を招くもの…少なくとも余人の目にはそう映りましょう」  と芸術愛好趣味としても度が過ぎていることを衝いてくる。 「堅いことを言い募るのは止めにして、どうだい君も?口止め代わりに好きなのを一枚やろう」  と、とびきり扇情的な場面の描かれた一枚を渡そうとしたが固辞された。しかもその後退勤まで一言も口をきいてくれなかった。  男なら誰しもなくすことのできない素直な欲望という急所を狙ったつもりが、かえって彼の防御を固める結果となってしまった。  まったく堅い青年だ。私がもっと道を拓いてやらないと、ゆくゆくは一生独り身で過ごしはしないかとそれが心配なのだが。  あの夜、義理の兄弟の絆を結んだ私には、彼を善導する義務がある。急がず、しかし手を尽くして彼に女性への奥手さ(警戒といってもいい)を解かせなければ。  しかしウキヨエ自体は困ったことにドロテアの眼につかぬよう隠すのが一苦労だ。敬虔なイアンは包装に触れることさえ疎ましく感じるらしく、仕方がないので彼に手伝ってもらって高いところに置いておくのは諦めて、金庫の中にしまうことにした。  それにしてもリブロン君は親切な人間だ。誠実で博愛の徒であり謙虚さも兼ね備えている。そこへフランス風のひねり、例のエスプリとかいうものをも持ち合わせている。  実に多方面に渡る知識があり、料理、弁舌、医学に運動はては戯作と様々な技術があり、人徳に溢れ、この複雑怪奇な現代社会をユーモアで包み込むような解釈もできる。  私は到底あのようにはなれない。本当に、彼のような友人を得て幸せだ。 (日記上の空白) 6月某日 土曜日 や つ と ペ ンが 握れ る 6月某日 日曜日  経過は良好  。  抜糸(ばっし)の跡 も 思ったよりはきれい だ 。  穴が開いたのが 胸でなく 掌で運が 良かった。  半分がた冗談のつもりで 言ったの だが、  イアンにまた「ろくでもない ご冗談を」と怒鳴られてしまった。 6月某日 水曜日  あれから丸々ひと月も経ってしまった。病毒に臥せっている内に針を止めていた懐中時計を久しぶりに巻き直す。つまみを挟むとまだ手の甲から掌にかけて齧られるような痛みが走る。  コチコチという時を刻む微かな秒針の鼓動に耳を澄ますと、ようやく常の生活が戻ってきたのだという実感もひとしおだ。  先日…いや先月来の出来事を少し書き留めておこう。大したことではないが、元の状態へ戻すための復帰活動の一環と思うことにする。私は怠け性だから。  まずはじめには感謝を書くべきだろう。私はそれを忘れてはならない。  感謝。ありがたい。喜ぶべきこと。自分自身によるものではなく、私のかけがえのない友人達の徳のおかげでこうして今私はペンを握ることができる。  ありがとう、リブロン君。  ありがとう、ブレーズにドロテア。とくにブレーズの向こう見ずな勇気と果断な体当たりがなかったなら、今頃私はあの下手人の凶刃で息の根を止められ、冷たい墓石の下に柩を埋められていただろう。そしていずれ(しお)れる弔花とともに干からびていったはずだ。  そしてその他にも、たくさんの人々へ…  自分がいかに多くの人の善意と好意に支えられてこの地上に存在しているかを深く知ることになった。その全ての人への感謝を、私は生涯忘れてはならない。  聖人とは教会の彫刻のように冷たく微笑むものではない。温もりある血が通い、向こう三軒両隣のドアを隔ててけたたましく生活しているような平凡な人々の内にこそ、その魂が宿っているのだ。  とくに───私が特別の感謝を捧げるべきは、我が無二の朋友でありこれからも人生を共に歩んでいく魂の義弟ともしているイアンに対してだ。  ありがとう、イアン。彼が精魂を傾け自らを顧みず、寝ずの看病をしてくれたおかげでこうして息を吹き返している私だ。有難い。彼にこの恩をどう返せば…それはその重大さに見合うだけの時間をかけてじっくりと思案せねばなるまい。 今回、事務所の今後の経営について考えさせられたところもある。私が文字通り身動きが取れない間にもイアンが遅滞なく業務を進められることが分かった。  神は助けたまわった。私達が住むこの「神よ助けたまえ」通りの名の由来は他力本願に過ぎる皇帝の口癖からだが、現実にそのようになったのは奇跡というよりも純粋な人の子の善行に対して神が応えたということなのだろう。  ここにイアンが居てくれなかったら。リブロン君がイアンの友人ではなかったなら。かつてブレーズが私に紹介されていなかったら。ドロテアがイスタンブールでブレーズと出会っていなかったら。  様々な偶然の成り行きが神妙なる運命の縄をない、こうして私は生きながらえた。  …とりあえず今日はこのあたりにしておこう。そろそろ指が疲れてきた。イアンはまだ早いと言うが、医師でもあるリブロン君からは 「やりすぎということはありません。傷口が塞がったのですから、たゆまぬ手指の運動で利き手の感覚を取り戻すのです。痛みがあるからと怠っては繊細な筋肉の機能をかえって損なう結果になりかねません」  と釘を刺されている。傷を負った部分やその周りに少しずつ負荷を与えることで本来の調子を取り戻させるのが彼の言うところの「機能の回復を目的とした厳然たる治療運動」だそうだから。  最後にもう一度。ことに優しく心配症気味の彼に感謝の言葉を書こう。  イアン。私の最も愛する友よ。  ありがとう。 7月某日 日曜日  包帯がとれたので、久しぶりにミサに参列した。区域の教会までイアンが()いてきてくれ、私のことは外のカフェで待っていてくれればよいと言ったのだが、頑として譲らず、ミサが終わるまで 堂内の隅で静かに座していた。  私の身辺にまだ危険が及ぶ可能性が残っている限り、この護衛を続けると意気込んでいた。宗旨の違う彼に如何程の負担をかけていることか。  しかし、彼の心配を無碍にすることはひとえに互いの友情への侮辱に他ならない。異教徒たるキリストの民のために働くことの意味が複雑であることを、啓典の民である彼自身がよほどよく解っているだろうから。  今回の事件が顛末を書き記すことができるような結末を見るまで、ここは彼の好意に甘えさせてもらおう。私がひとこと礼や感謝を口にすれば 「くどくどと喧しいですね。口より先に手です。その指をもっと動かしていなさい。サボっていては承知しませんよ。貴方には一刻も早く全快してもらわねばならないのですから」  と迷惑そうに眉をしかめるのだから。奥ゆかしい親切には一刻も早く報いねば。  痛いの痺れるのとつべこべ言っている暇はない。 7月某日 月曜日  久方ぶりの法廷。早めに到着して寛いでいると、ツィッパート、シュレヒト両名が声をかけてきた。著名な事務所に所属していたがこの冬に二人組で独立し、現在は共同名義の事務所を構えて土地問題の全般を専門的に扱っているとのこと。 「いきなり君の名前が新聞に出て驚いたぞ。やくざ者がらみのこともほのめかしてあったが、あれは記者のでっち上げなんだろう?」  とツィッパートが豹人の尾を鞭のように鳴らしながら早口にまくし立てた(この豹人は私と同じく貴族の地位にいながらにして所謂「庶民派」であるが、口調からして平民訛りが強いことをギムナジウムでよくからかわれていたものだ)。 「君への襲撃の謂れについては不明瞭なまま、刺激的な面だけにフォーカスが当てられて、肝心な君という被害者の行末はぼかされていたからね。ちょうどさっきまで彼と君の見舞いに行こうと話し合っていたところだよ」  とは冷静極まるシュレヒト。彼とは大学法学部からの付き合いだが、ツィッパートのくだけた言動とは対照的にやたらとしっとり落ち着いた物腰がさらに洗練されていた。猫人の瞳を細めステッキをなぞるさまは、宮廷の高位の官吏を思わせる。  イアンのことは既に紹介済みなので、(いかめ)しい彼が物言わぬ守護神のごとく私の後ろに控えている理由だけを説明した。  豹人猫人は二人して「それにしても大袈裟すぎやしないか。まるで貴婦人に忠誠を尽くす騎士のようじゃないか」と揶揄した。  用心してさえいれば、私だって自分の身一つ暴漢から守るぐらいのことはできる。それは確かだ。ギムナジウムでは剣術(フェンシング)をたしなんでいたし、腕前は級友達の中でも三本の指には数えられていたのだから。それを知っているからこその彼らのからかいだ。  審理前のお定まり、紙面を賑わしている重大公判への考察や展開を見据えた推論を交えた談笑のあと、私と二人きりになってイアンが 「…僕は別に貴方に恋い焦がれているのではありませんからね」  と言ってきた。彼には珍しい冗談で、襲撃が遠のいてようやく気が緩んできたのかと聞くと、黙りこくってしまった。怒りの沈黙ではなく、微笑を伴う静かな表情だった。  それがなんとなく物寂しいようにも思われたので、景気付けに居酒屋にでも行こうかと提案したが、これは傷に障るだろうからと却下された。  私がなにか元気を削がれるようなことを言ったのだろうか? 7月某日 水曜日  奇しくも私への襲撃事件を載せた同じ新聞、同じ紙面位置にその人物の訃報が報じられた。  今回の事件は自分自身の身の上に舞い降りたという意味で非常に印象深いものになった。しかもその結末が…そうなるのではないかという漠たる予感がしてはいたのだが…  誰かの死で締めくくられる物語は、それが創作であれ現実であれいやなものだ。  彼の名前も初めて知った。彫刻の分野の芸術にはうといせいで、彼のこれまでの華々しい功績、受賞歴、その後のスランプなどを記事から教えられた。  私にとって救いであり悲しみであったのは、彼もまた人生に行き詰まり、苦しみの果ての狂気という果てしない井戸の底へ突き落とされた、哀れな一個の人間であったということだ。  この件は私だけの胸の裡にとどめておこう。亡くなった者のために祈り、その秘密を彼の墓の外に漏らさぬようつとめよう。  リッツェン=ゴルドベルグの御霊よ、安らかなれ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!