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──誰かの泣いている声がする。
ああ、ゆうちゃんだ。
幼い頃、母の入院先で知り合った女の子。
俺が母方の祖母の家に預けられることになって、お別れを言ったから泣き出したんだっけ。
「一緒に行く」って聞かなかったな。
「じゃあ、僕が大きくなったら迎えに来るから」って言ったら、すごい笑顔を浮かべて頷いたっけ。
──でも、今日は泣き止んでくれない。
その泣き声はだんだんと大きくなって。まるで電子音のように変化していく──。
そこで糸原晴人はハッと目を見開いた。
遠くでスマートフォンの着信音が鳴っていた。
スマートフォンは、かなり長い間鳴り続けているようだった。糸原はまんぜんとした意識の中、早く電話に出なければと焦りを募らせた。
だが、身体が思うように動かない。
やがて「糸原です」と、聞き慣れた声が電話に応じる。妻・由佳の声だ。
──なんで……。
糸原の意識は急激に現実へと引き戻された。その勢いのまま、ベッドから身体を引き剥がす。
薄闇を、カーテンの隙間から漏れた一筋の光が照らしていた。由佳の姿は隣にはなく、整えられた枕が鎮座していた。
糸原は両手で顔面を拭った。ヘッドボードの置き時計を確認すると『AM2:18』と表示されていた。
──こんな真夜中に電話なんて……。患者の容態が悪化したのか……?
しかし、隣室にいる由佳の声はくぐもっていて、会話の内容までは聞き取れない。着信音は糸原のものだったので、自分にかかってきた電話であることは確かなのだが。
ベッドから立ち上がろうと、足を床に着く。と同時に、リビングへと繋がるドアがゆっくりと開いた。
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