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3 破滅の瞳
二人が逃げ込んだのはこの宿街で5本の指に入る、知事御用達高級宿だった。
本当は、確実に里のものと見分し確かめてから連れ帰る予定だった。
しかし寝台にしどけなく脚を崩す少年に何かを感じ、確認もせずに衝動的に連れ出してしまった。
直感は侮れない。
里の女達が持つ、花色ならぬ、感情に色を変える彩変の瞳と同じ、濡れたようなとろりとした艶をたたえた大きな瞳。
ひたっと向けられ、魅了されたら、欲望をかきたてられ、堪らなくような心地を男に与えてくるその目を。
年端もゆかぬ少年の瞳に見たのだった。
「さてその格好だけどな」
二人きりの怪しい雰囲気を壊すように、ロファは無理に明るく声をかけた。
流石に艶かしすぎるからこれを着てくれと言って、ロファはゴソゴソと自分の着替えを探り、適当な服を少年に手渡した。
宿で客を取るときに着させられていたのは桃色の絹でできた腰元のみを帯として結ぶ長い上衣で、足元には裾がまつろい、形よくまっ白な脚が太ももも顕にさらされていた。
足の付け根で紐を結ぶ布の小さな臙脂色の下着は完全に女ものだった。
白い輝くような胸元には桜色の飾りが見えていて、この宿のものには、年端も行かぬ子どもを連れ込んだ完全に好きものと認定されてしまっただろう。
本人はなかなかに胆の座った性格らしく、
むしろ高貴なほどにすっと背筋の伸びた、堂々たる立ち姿だ。脱ぎ捨てた衣が足元にすとんとおちる。
ロファの服は少年にはダブダブで、暗い緑色の上着だけでも少年の膝上まで来る。
またもや肩や胸の飾りとまっ白な太ももは見えたままになった。
「明日服を調達するから少し辛抱してくれ」
「いえ、これでいいです」
ニッコリと少年は笑った。男が与えてくれたものならなんだって嬉しく感じると思わせるような。男心をくすぐる笑みだった。
ややあって少年は急に真顔になると前に立つロファの胸元に指先しか出ない袖もとを、
つっっと滑らせた。
そして切なげにロファの胸板の下に顔を埋め、そのあと花のように美しい顔をあげ、上目遣いにロファを見上げた。
オイルを垂らしたような艶のある瞳になんの色も浮かばない。
空を写した湖面のような静けさをたたえていた。
「ロファ様、お情けを下さい」
まるで王を誘う寵姫のような婀なる姿で、しかし小刻みに震える薄い肩をロファは見逃さなかった。
「そんなことをするんじゃない。
そんなことをしなくても俺はお前のそばにいてやるから」
瞬間氷が溶けたように涙がぽたぽたと少年の頬に伝っていった。
ロファは少年のうすい体を抱きしめ、幼い我が子にするように抱き上げたまま、長椅子に座った。
やはりあの立ち姿は少年なりの虚勢だったのだ。まるで戦う前の武人のような、決意のある姿は。
泣き止むと甘えるように首元に手をかけてすり寄ってきた。むしろ先程よりも煽られるような、自然の媚態だった。
ロファは努めて冷静な声を出す。
「目の色はどうやって変えていたのか?」
「憎めば憎むほどに。瞳が赤くなると試しました。瞳の色がどんなものでも変われば男は喜ぶものです」
怜悧な声色で、簡潔な答えだった。
「確かに。あれは魔眼といって、里では人を呪う目として禁じられている。お前はもっと心を穏やかに保つことが必要だな」
「魔眼……」
「虜にした男を破滅させる目だ。
これほどの美貌にあの目を向けられたら男はひとたまりもないだろう」
ロファは優しく手のひらで少年のまろい頬を包んでやった。少年は嬉しそうにその手に、柔かい頬を擦り付けたあと、
口元を白い指先で優雅に覆った。
「あの男たちは破滅するのですか?」
「さあな、ただ昔は里でも女を巡る争いはたえなかったらしい」
少年は思案げに長い瞼を伏せ、自分を抱く男の胸に持たれた。
「恐ろしいところなのですね」
「ああ、恐ろしいところだ。だが心配するな。里にお前のことを連れて行ったら、その後は俺の家族と暮らそう。ロキナ……」
少年はゆっくりと無垢な瞳を男に向け小首をかしげた。
「お前の名前だよ。ロキナ。良い名だろう。次にこどもが生まれたら名付けようと思っていた名前だ。お前に贈ろう。
俺の名前ロファと2つになる俺の息子サナの名前からとって」
「ロキナ、ぼくはロキナ」
それは大輪の白い花が芳香を振りまきながら開くのような、快心の笑みだった。
ロファも自分のことのように嬉しく思い、
つられて笑った。
「ロキナ、さっき俺があの宿の男の肌の色を変えたのはわかっただろう」
「まるで神の怒りに触れたようでした」
「あれは神の力ではない。色変幻師のもつ魔法だ。大なり小なり、俺の里には思った色にものを染められる魔力を持つものが生まれる。一色のものもいれば、多色も操るものいる」
「ロファ様は、赤?」
「様はつけなくて良い。俺はお前の主人ではないからな。
俺は赤と青だ。息子はまだわからないがおそらくかなりの色を使えるはずだ。お前も何らかの色を持っていると思うが、よそ者との間の子だと力の伝授はかなり僅かだ。里の女で子どもを連れて逃げたものは一人。その子であるならば父親は里のものかもしれない」
「僕の母は、本当にロファと同じ里の出身だったのでしょうか」
「おそらくは。男で瞳の色が変わるものは僅かもいない。お前の場合、特異な環境で発現されてしまったようだ。非常にやっかいだが。まあとりあえず色を出せるかやってみよう」
「さっきの魔法は恐ろしかった……
あのひとは死んでしまったの?」
「まさか!あれは漆にかぶれだ赤を流したんだ。のたうち回る痛痒さだが何日かすればもとに戻るだろう。手を貸してご覧」
先程つないで逃げたときのように、大きなロファの手に載せた。
「これから赤い色の魔力を流してみる。ビリっとくるかもしれないが魔力を流す力が強ければつよい程、相手も流れる感覚がわく。
赤い無害そうなモノの色を連想してくれ。もしくはそのものの中味のイメージは抜いて純粋に色だけを写すように。あの店の寝台の布でもよい」
店の周りの小さな世界しか知らないロキナはロファがヒントを出すとほったしたような顔をした。
「そうだな、そこの寝台を赤く染めてみよう。触れてご覧」
ロファの手のひらから身体を駆け抜けるようにビリビリ、ザワザワとした感覚が指先に向け駆け抜けていった。
傍らの寝台の白いシーツをぎゅっと掴むと、握りしめたところが手の汚れがついたように
染まった。
「赤です」
「いや、これはかなり青みが強い。赤紫にちかいな。今度は青を通すから同じようにやってみてくれ」
今度は細い指先でくるりと円を描く。
青というよりと冴えざえとしたアイスブルーの綺麗な円になった。
これは、出色を調整したら、もしかしたら……
「ロキナ、お前はこれから絶対に人前では青は使わないようにしろ。里では特に」
「なぜ?」
「色には比較的出やすい色、出にくい色がある。中間色は持ってる色をバランス良く扱える人間だけが出せる。出にくい赤青二色そろって更に抑制がきく力を持つと紫を出せる」
本当は里につれて行くとは気が進まないが、このまま妻子の待つロズクに連れ帰り、後にロキナが強い力を発揮した場合、里に黙って勝手に我が物としていたとうけとられては困る。それが元で妻子に危害を加えられないとも限らないからだ。
「これから行く里では、希少な色を持つ人間は死ぬまで里を出られず、できるだけ多くのものと子をなすことを強要される。
従わないとわかると呪いをかけられ里に閉じ込められるんだ。赤だけならば、俺の父や弟のような魔力の強い伝承者がいるから、今はそれほど重要とされないはずだ。絶対に守り通せ。さもないとフイゴにされる。いいな」
「フイゴ? フイゴとはなんのことですか?」
ロファはしまったといった顔をして、言葉を濁した。これは聞いてはいけない類の言葉なのだと聡く思い、ロキナは引くことにした。
男と情けを通じ、彩変の瞳を持つようになってしまった男は里ではフイゴという隠語で呼ばれ、魔力を貯める生きた憑座にさせられる。
魔力の強い様々な色の男達に交代で犯され魔力をその身に貯められる。
その色を使えるようにはなるが、使うことは許されず、貯まった魔力を女の腹に流しこませ、多色の子を孕ませる道具にされる。
魔力を燃え立たせ、子が孕むのを煽るのだ。
ロファが里を支配する一族に生まれながらもその因習を忌まわしいと嫌悪し、里を出て大国の色変幻師まで登りつめたのは、ひとえに愛する妻を守り里を出たかったからだ。
その後折につけ聞いてもロファはフイゴの意味を教えてくれなかった。のちにロキナがその意味を知ったのは人生でそう何度もない最悪の瞬間でであった。
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