5  小さな騎士

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5  小さな騎士

瞼を閉じていても日の光が透過して、血潮が動くのを感じる。 寝転んだ草の柔らかな感覚。青臭さと少しの花の香り。温んだ風が優しく前髪をゆらし、額をくすぐっては消えていく。 鳥のさえずり、木の枝の間を渡る風の音。 目をつぶっていても五感に沢山の情報を感じることができる。 今まで体験できなかったことすべて、 味わい尽くして生きろ。 職人であり芸術家でもある ロファらしい言葉。 それには本ばかり読んで固まっていく頭を、開放する瞬間が必要だとロキナは思っていた。 今こうして自然の中に身を置くように。 ふいに誰かが近寄って来るのを感じた。 足音が伝わって来る。 この場所にロキナを探しに来てくれるのは、愛しい師のロファだろうか。 目をつぶったまま優しい若草色の瞳を思い浮かべ、微笑みをまとった唇。 なにかとてもふわっと暖かく柔らかいものがそれに触れた気がしてロキナは瞳を開いた。  目の前には凛々しく整った、まだ年若いつるりとした顔。 紫水晶の瞳をもつ少年が、身体を起こし、片膝をついて傍らのロキナを笑顔で見つめていた。 ロキナは驚いて飛び起きるが、 少年はお構いなしに騎士が貴婦人に取るような仕草で、地面についていたロキナのまっ白な手を取ると、恭しく口づけてこういった。 「私の花色の乙女よ。 どうかあなたの愛しい瞳を、 一生私に向けてください」 「き、君今なんて?……」 出会って一秒で結婚を申し込しこまれた。 これが後に運命とも悪縁とも称される、 ユノ・マティアスとの出会いとなった。 「柔らかな草むらで眠るロキナは白いローブ姿。光の中に透けるようで、妖精の姫君が姿を表して眠っているのかとおもった」 「それからそれから?」 「このまま消えてしまうかもと思った俺は、思わずロキナに口づけた」 「うぉ!」 「目覚めたロキナの瞳は濡れたような艶があって、藍玉みたいな薄い色の瞳に、そのときは熟れた桃のような色がさしてた。眠りのふちから戻ったばかりの潤んだその目に見つめられたら、もうだめだった」 「ごくりっ」 「ロキナの美しさに心を打たれた俺は、あの日から恋の虜になっているのさ。 その場でプロポーズした。そこらにゴロゴロいるロキナ目当ての横恋慕野郎共とは格が違うのさ」 そういって、食堂内にひしめきあう、ロキナを見つめる多感な時期の少年たちを牽制の眼差しをぐるっと見回した。 「二人とも口を動かしてないで手を動かしてください!」 ロキナは頬を紅潮させて、机を小さくパチンと叩いた。 ここはシェルザード魔法技術学園の学生寮のサロン。 多くの寮生が授業の合間に食事をとったりお茶をしに来たり、寮生以外の友人との団欒の場に使ったりもしている。 庭に突き出した日当たりの良いサンルームは人気で、身分と学年の大きなものが常に占有していた。同じ魔道具の講座をとっている貴族の息子レナードは学年主席で寮生のロキナの帳面を写しにやってきていた。 そのサンルームに二人きりになるのを邪魔するように、生徒代表会の仕事を持ち込むユノは、将軍ご令息でこの大国指折りの名家の息子だ。 市街に別邸、市内に本宅を構え他に小さな別宅がいくつも持つマティアス家は、本来は寮に住む必要はない。だがロキナが師の家を出てこちらに移り住んだときに同じく寮のに部屋を構えた。 曰く、こんなに危なっかしいやつを放っておくことなどとてもできないと。 12歳のとき、ロキナはロファの妻子とともに、ロズクの首都である城下町で暮らし始めた。 旅から戻るとロファはロキナに基礎的な色変幻魔法を教えていった。ロファやミレイには劣るが、筆で彩色する程度の質量の、並の色変幻師と比べたら、そこそこの量と速さで色を出せるようになった。 同時にいくつもの家庭教師をロキナにつけて魔法学園に入るまでの予科3年の過程を、1年足らずで身につけさせた。 当初は入学が遅れても時間をかける予定だったが、ロキナは非常に賢く、一度見たもの聞いたことは大体頭に入り、得意の自然科学の教師からは、一年経つ頃には逆に意見を求めるられるほどであった。 育った環境のせいでもっとも育まれなかったのはやはり情緒だった。 しかしそのことが思いの外、ロファやミレイの手を焼かせた。 ロファの傍は安心だと心身ともに気がつくと、今までの大人びた雰囲気はなりを潜め、ロファの後をついてまわり、姿が見えないと幼子のように泣きはじめたり、逆にぼんやりしたりと、まるで2歳のサナがふたりになったようで手に余るほどだった。 ロファはサナの世話をミレイにまかせて、ロキナにかかりきりになり、しばしミレイに呆れられた。 まるで生まれ変わって再び成長し直そうと心が求めているかのようだった。 それも半年ほどで落ち着いたが、考え事をしているときや一般的な常識の欠如した部分から、浮世離れして多少ぼんやりうっかりしたところが残った。 ロファが紅の騎士団の鎧を納品に行ったとき、ロキナの話を子供をもつ騎士に話したら何がどう伝わったのか騎士団長のマティアスが息子の遊び相手にしたいと館を訪れることになった。 なんにでも秀でているが、なんに対しても今ひとつ興味が持てないでいた息子に、一つ年上で頭の良いロキナは最適だと思ったのだろうか。 しかし実際ユノは、別の意味でロキナに大きな興味関心を持ってしまったのだった。 ロキナは年齢は13歳の夏に、一つ年下の者たちと魔法学園にはいった。 その年の初冬、ロファたち一家が仕事でミサキ国に招かれたのを期に、ロキナは入寮を果たすことになった。 今ではすっかり学園生活に馴染み、才色兼備で学校始まって以来の秀才と、教授たちからはもてはやされているロキナだが、入学当初は違っていた。 魔法技術学園と銘打つだけあって、技能職を目指す男児のほうが圧倒的に多く、専門職や軍人を目指すものには貴族出身の官僚や高位な軍属の子弟が多くいた。 ロキナは国家の仕事をする色変幻師の養い子ではあるが、貴族出身ではないため貴族の子どもに下に見られることも多かった。 また少女のような容姿から絡まれたり、好意の裏返しのような嫌がらせをされることもあった。 ロキナ自身は毅然として、嫌がらせなどどこ吹く風だったが、ロキナを自分の唯一と公言してはばからないユノが、四六時中べったりくっつき目を光らせていた。 ロファたち家族と別れたことにより、寂しさを埋めようとしていて、ロキナは勉学に益々励んだ。 しかし時には寂しさから、寮に遊びに来たユノと一晩中語り合い離さず。 寮近くの別邸に帰らぬ若い主を心配した侍従が、寮の部屋を夜中に探し歩き、同じ寝台で仲良く寝落ちした二人が叩き起こされる騒動が起きた。 それを期にユノも寮に部屋を持つことになった。 そしてともに競うように勉学に励んだ二人は博士の小の年、15歳と14歳になっていた。 レナードが帰った後、教授に呼ばれて部屋を訪れていたロキナを、壁に寄りかかってユノは忠犬のように待っていた。 部屋からロキナがでてくると、大型犬よろしく飛びついてくる。 こんなに体格が立派になっても、こういうところは可愛らしいなあと、弟のように思える。 「このまますぐにでられるだろう?」 「でられます。早くバードゲージに乗りたい。楽しみです!」  ニコニコと機嫌の良いロキナは来年成人するとは思えないほどあどけなく可愛らしいが、せっかく自分と出かけるのにバードゲージ目当てかとユノはがっかりした。 今日はロファの妻ミレイが半年かけて王城の壁一面に手掛けた絵が、明日の公開に先駆けて内外の招待客に披露される祝典が午後から行われる。 家族のようなものであるロキナと、現王の甥のユノは、そのさらに前、完成直後の絵をみせてもらっているので、今日は、夕刻から開かれる各国の招待客のための宴席に招かれていた。 王城に夕刻からいると寮の門限には間に合わないため、諸外国や遠方の客が泊まる会場隣の迎賓館に彼らも宿泊する。 しかし、豪華な宴よりも。ロキナの目当てはこの間お目見えしたばかりの、学園から職人街市場に、直接降りられるゴンドラに乗ることだ。ロープに釣り下げれ、宙を渡る、通称バードゲージ。 それは魔法技術学園の粋を集めて設計されたもので動力はユハマ国産の巨大な魔法石で、ぐるぐる歯車を回させてロープをひたすら引っ張り続ける魔力を封じているそうだ。 ずっと動いているので飛び乗るのと飛び降りるのがスリリングだ。 ユノはそんな危なそうなものに乗るなと家で禁止されているらしいが。 しかしついにその禁をおかして、二人で乗ってしまった。 景色はぐんぐん下に下がっていき、上から見た城下町の道は白く、螺旋にまいた貝殻のようだ。 しかしところどころ行き止まりになっている。攻め込まれた際の知恵なのだそうだが、ロキナは未だに案内人なしでこの街を歩けない。 思いのほか揺れて少し気分が悪くなりそうだが、ユノも自分の家の方を指差したり、年相応の少年らしい顔してうれしそうにしているのを見てほっとした。 ユノはロキナの下げていた一泊分の荷物を入れた質素な布袋の薄さを見て怪訝に思った。 着替えが一着あるかなしかの厚みだ。 対してユノは荷物など持っていない。 そんなものは従者がとっくに運び入れているのだ。 「ロキナ、お前まさかと思うがその格好で出席するとか言わないよな」 ロキナが着ているのは紺色の上下に白い立ち衿のシャツ。首元には臙脂色のタイをつけ、黒色のマントを羽織った普段はあまり着ない魔法技術学園の制服だった。 ロキナは誰もが目を見張るようなたおやかな美人だが、食べるもの着るものは質素を好み、頓着しない。 放っておくと飾り気のない生成りのチュニックに黒色ズボン、もしくはそれの色違いの青を着回し続ける。 「そうだよ。これが一番ちゃんとしてるし。ユノはその格好ででるの?」 「向こうに用意してあるものを着るのに決まっているだろう。」 呆れた顔で勝ち気な眉を上げる。 今年14歳のユノはこの3ヶ月で背が8センチ伸びた。 若木のように日々ぐいぐい伸びているようで、もはやロキナの背丈はとっくに越していた。 背が伸びるごとに顔が引き締まり、端正な目鼻立ちがますます目立ってきた。 学園の隣にある女性の多い、職種別の専門学校の生徒たちもユノをみると悲鳴を上げて喜んでいる。 女の人はこういう背の高くきれいな男が好きだよなあと思った。 着飾ったユノは、どれほど立派だろう。 赤が似合いそうだ。紫の瞳に合うような暗く深い赤。 ロキナに髪を赤く染めてほしいとねだってきたので、人間相手は初めてだが試して見るところだった。できたら似合いそうだ。 ロキナはユノの姿を夢想して、水色の目を細めた。 ユノはゴンドラの窓に肘を付き、ロキナをみやる。 「まあいい。」 ニヤリと笑ったユノもまた、ロキナが着飾る姿を想像していた。 王城の敷地内、王族が住まう本宮に近い離宮。ユノの祖父母が住まう、貴族でも一部しか入れない場所に連れ立って歩いていた。 ロキナは不敬にならないよう、顔も上げられぬほど緊張して、ユノに手を引かれていた。 通された部屋にひかえていたのが顔見知りのマティアス家の侍女と侍従であるとわかると、心底ホッとした。 「そんなに緊張するなよ」 勝って知ったる部屋のようで、ユノがまるでこの城の主のような寛ぎようだ。 「俺も隣の部屋で用意してくるから、おまえも続きの間で用意してもらうといい」 ロキナは王族の方にあったことはないが、ユノを見ると王とはこのような感じなのかなと想像する。 ここに来る前も王様が出てくる話は、男が持ってきた本にあった。花色の瞳の伝説の乙女が出てくる話だった。 王は尊大で、何もかも手に入れていて、堂々としていて、そして乙女に安らぎを求めようとするほどに心は孤独だった。 なぜユノをみてこう思ったのか、ロキナは自分の心持ちを不思議に思った。 そんなロキナお得意の、遠くを見る目をしていると、顔見知りの侍女たちにぱぱっと服を脱がされてしまって遅れて赤面する。 「ロキナ様!腕をそうして上げていてください!」 何だわからないままにどんどん着付けられていく。 月光色の腰丈の体の線に沿った上衣の上に、銀糸の繊細な刺繍の入った薄く透ける生地のベストを着きつける。 踝上までの長さのそれはまるでドレスの裾のように優雅で、同色の幅の広いトラウザーズは光沢のある滑らかな生地で脚もとを優雅に見せる。 もちろん靴も履き古したものからつややかな布靴に変えられた。 背中の半ばまである髪は半分は垂らし、半分は結上げられ、薄い水色の細かい花と白金の繊細な飾りがついた髪飾りがしゃらりと音がしてとめられた。 目元に瞳が更に輝くような影を入れられ、 続き薄っすらと紅をさされそうになり固辞した。 腕には紫水晶の実と銀で出てきた葉がぐるりと巻かれたブレスレット。 胸元には同じく妖しい赤い光の差す、大きな紫水晶のペンダントがかけられた。 「これ、ユノの瞳に、似ていますね」 「それはもう」 侍女たちはど天然な答を返す主の想い人を、とにかく飾りたてて歓喜の声をあげ、姿見を運んでくる。 まるで月の精霊のような美麗な姿を、姿見越しに見たユノはやや頬を上気させるほどだった。 ユノは紅海老茶の騎士服に似た上着に黒のスラックス、前髪を上げて、貴公子然としたおとなびた面差しだ。 「あまりに綺麗で息が止まるかと思った」 侍従たちを片手を上げて下げさせると、初めてあったときのようにロキナの前に跪き、その手をとる。 「ロキナ。これからも変わらずに  俺のそばにいてくれ」 あの日光の中でであった小さな騎士は、 少年から青年へ変わりつつある。 本当はこれほどの貴族の子ならば婚約者はいて然るべきだろう。 いなくても添いたいものは、それこそ高貴な者の中でもいくらでも。 弟はいても、ユノは長子だ。いつまでもロキナにかまけてはいれないはず。 それに……自分のようなものがユノと添うべきではないとも思う。 「私は師の元で色変幻師として活躍したい。貴方の伴侶に相応しくありません」 でも今宵は本当にありがとう。 礼を言うとせっかくセットされたユノの髪をまんべんなく触るようにして撫ぜる。 すると髪の色が赤く変じていった。 しかし思うよりも、もとの焦げ茶が残り、正直斑なところもある。 こんな大切な夜になんてことをしてしまったとロキナは青ざめた。 「ど、どうしましょう!髪が」 鏡を見たユノもぎょっとした顔を見せる。 「本当に、お前というやつは」 呆れて立ち上がりかけたユノをロキナは慌てて制し、待って、と声をかける。 そのままの勢いでかがみこむと、髪を撫ぜたまま、ユノの唇に自分のそれを押し当て、柔らかい舌をおずおずと差し入れていった。 それは初めてロキナから与えられた口づけだった。 ビリビリと伝わる何かの力がロキナの魔力であると気がつくより先に、甘いロキナの唇にユノは、酔いしれた。 と同時に抑えがたい衝動も駆け抜け、思わず立ち上がる。 慌てるロキナを抱えるようにして抱きしめ、自ら唇を合わせ直した。 苦しそうにロキナが拳で胸を打つ。 離してやると、氷のような瞳に薄っすらと花の色が刺した。 あの日以来久しぶりにみた、花色の瞳だった。 潤んだ眼差しはもとの色にすうっと冷め、ロキナは弟にするように親しみを込めた雰囲気でユノの額を小突く。 「なにをする。せっかく魔力を馴染ませて色を均等にしてたのに」 恥らって頬を染めながらロキナは怒ってぎゅっとユノの袖を掴んだ。 その仕種にも胸が鷲掴みにされて、 ユノは思わず天にも登る心地だった。
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