4.気持ち

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凛は深呼吸をすると、そっと鍵盤に手を置いた。そのまま指を滑らせていく。突然流れてきた優しい旋律に、広場を歩く人たちがピアノに目を向ける。 千広の作ったその曲は優しく滑らかな旋律から情熱的な旋律に変わっていき、切なくも聞こえる。太陽が降り注ぐような日のピアノの音が、雨の日の薄暗い日のような音に変わる。そしてまた優しい太陽の光を感じる音に。 (弾きやすいな) 凛はピアノを奏でながらそう感じていた。 今までの曲ももちろんよかったが、この曲は素直な気持ちが出ていて弾く方も気持ちが良い。千広の恋愛もきっと、そうなのだろう。 その隣に、自分がいたい。もう気持ちを隠していたくない。こうして会えたことはきっと運命なんだ。今日こそ、告白しよう。そう思いながら弾く凛のピアノの音色はさらに優しく、情熱的になった。 千広は凛を見つめながら立ち尽くしていた。 理想の音色だった。今日初めて楽譜を見たとは思えないほど。 結局、千広は凛を思いながらこの曲を書いた。覚悟を決めて書いているうちに、想いは溢れ出ていた。 弟に対するような愛情ではない、友人でもない。明らかにこれは恋愛感情だ。 津田の仕事を見にいくなんて、ただの言い訳。ここにくれば広場にピアノがある。凛がいる 凛の顔が見たくて、楽譜も持ってきた。まさか偶然似合うとは思って無かったけど。 気がつくと群衆がピアノを囲んでいた。みな凛を見つめている。そして千広の曲を聴いている。 ゆっくりと最後のフレーズを弾き終えて、凛が鍵盤に指を置き止めるとあたりは一瞬静寂に包まれた。そして群衆から盛大な拍手を贈られた。 千広が群衆を見ていると、女子高生二人が近寄ってくる。 「戻ってきたの?」 急に声をかけられ、戸惑っているうちに思い出した。凛とセッションしていた時に、何度か聴きに来ていた二人だ。凛にではなく、自分の方に来たことに驚く。 「今日はたまたま、寄っただけで…」 「そうなのー?残念!あたしたちあれから二人居なくなってがっかりしてたのよ。そしたら、あの子がピアノ配信してたからずっと見てて。今日、たまたまあの子が弾いてたから、お兄さんもいるのかなあと思って」 ショートの子が、まくしたてるように喋る。 千広は勢いに押されつつも、そんなふうに思ってくれていたことが嬉しくて、ありがとうと頭を下げる。 「今日はセッションしないんですか?」 隣にいたポニーテールの子にそう言われ、千広が顔を上げると二人は期待の目で見つめてきた。 (そうだな、せっかくだし…) 千広はにっこりと笑い、今からするよ、と答えて凛の方を向く。 凛はピアノの蓋を閉めようとしていたが千広がそれを制した。 「凛、一緒に弾こう」 千広にそう言われて、凛が笑顔になって蓋を開け、身体を寄せて千広が隣に座る。 「なにを弾くの?」 「じゃ『亡き王女のためのパヴァーヌ』を」 この曲は凛と千広が初めてセッションした思い出の曲だ。凛は照れるように笑って頷いた。 二人で弾き始めると小さな拍手が聞こえた。最前列にいた、小さな子供が拍手をしてくれたのだ。周りの人たちもつられて、拍手をする。 凛と千広は顔を見合わせて、ピアノを奏でていった。 *** 「よかったよー!やっぱり生で見るといいね」 演奏を終え、戻ると拍手をしながら市瀬が笑顔でそう言った。二人は少し照れくさそうに笑う。その様子を見ながら市瀬は手元のスマホを見て時間を確認していた。 「長峰、今から田辺と会うからさ。ここで解散な」 そう言いながら凛の耳元で、千広に見られないように市瀬がこっそりと呟いた。 「寮母にはうまいこと言っとくからさ。今日モノにしろよ」 「…市瀬ぇぇ」 じゃあ、と千広に一礼して市瀬は改札をくぐっていく。群衆もいなくなり、広場に残ったのは千広と凛だけ。急に気まずくなった空気に二人の間にさらに沈黙が訪れる。お互い、意識をしてしまって声が出ない。 その沈黙を破ったのは凛だった。 「あの、千広さん。泊まり?」 「今日は帰るよ。急だったから、泊まる準備もしてなかったし、まだ新幹線間に合うから」 「えっ」 「へっ」 ゆっくりと凛が千広のスーツの裾を引っ張る。 「ご飯食べよ!俺奢るからっ」 「何言ってんだ、家で飯…」 「俺、寮生活なんだよ。外で食べても文句言われないから!もっと千広さんと話したいんだ」 その言葉に千広が驚く。凛はすがるような目をしてさらに裾を強く引っ張った。 「もっと千広さんと一緒にいたいです…!俺、千広さんが好きなんです!」 勢いで出てしまった自分の言葉に凛は、あっと口を思わず手で押さえた。 (こんな、ついでに言いたかったわけじゃないのに) 凛は顔を背け、千広の手を握り、どんどんと歩き出す。引っ張られていく千広。 「ちょっとどこいくの、改札は向こう…」 慌てて千広が凛を咎める。凛は振り向きもせずに言った。 「ご飯行こう。千広さん、今日泊まって!」
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