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4.気持ち
結局、千広は凛の言うことを聞いて駅前のホテルを取った。明日の仕事の予定を考え、昼からの出勤に出来ると判断したからだ。こんな時でも仕事のことを考えるなんて、と自嘲する。
ただ、凛が夕食を奢る件については断固拒否した。サラリーマンが高校生に奢ってもらうなんて無理だと断った。
「じゃあ、割り勘…」
「いいから、凛は大人しく食べときなさい。何がいい?」
「…焼肉」
ブハッ、と千広は笑う。見かけはモデルのような子でもやっぱり男子高校生なんだな、と。焼肉屋に徒歩で向かっている間に、凛は歩きながら千広に聞く。
「あの、さっき俺が言ったの本気だからね」
もう一度口に出したら凛は怖いものなしだ。
「俺、千広さんが好きだから。兄貴としてじゃないからね!キスしたいしその先だって」
「凛、街中だから!声」
真っ赤になって先を行く千広が振り向く。
千広は驚きはしていたけど、一緒に焼肉を食べてくれるし、気持ち悪いと引いていない様子だ。凛はだんだんともしかしたら、と自分に都合の良い方へ考えるようになってきた。
「ねぇ、千広さんは、俺のことどう思ってくれてるの」
それを聞いて赤い顔がさらに赤くなっていく千広。そしてまた前を向き、凛から目を背けた。ただ、そっと凛の方へ手を差し伸べる。後ろから見た千広の耳たぶは真っ赤になっている。
「焼肉屋、行くぞっ」
差し出されたその手を見て凛は笑顔になり、自分の手を重ねて、ギュッと繋いだ。
***
「美味しかった、千広さんありがとうね」
「高校生が気を使うなって」
焼肉屋を出て、二人すっかり冷えてきた夜道を歩く。時計は二十一時過ぎだ。平日ということもあり、人通りが少ない。
千広は不意に自分のスーツがすっかり焼肉の匂いがついてしまっていることに気づいた。
「美味しかったけど、シャワー浴びたいなあ。匂いが染み付きそうだ」
背伸びをしながら千広がそういうと、凛がまたスーツの裾を引っ張る。今度は何だ、と千広が凛の方へと顔を向けた。
「…一緒に泊まっていい?」
凛の言葉に一瞬、固まる千広。そしてブンブンと頭を振った。
「お前、寮にいるんだろ?門限とか」
「大丈夫だよ、市瀬がいいようにしてくれるって」
「そ、それにしたって」
更に断ろうとする千広に、凛はじれったくなり、スーツの裾を更に自分の方へ強く引いた。引かれた千広の唇を目がけて、凛がキスをした。
「……!」
触れるだけのキスだったが、効果はてきめんで千広は驚いてその場に立ち尽くす。頭を掻きながら凛が言う。
「あのさあ、千広さんも俺のこと好きだよね?そんな真っ赤な顔して、今更違うとか言わないよね?」
パクパクと鯉のように口を動かす千広。小さくため息をついて、凛が再度顔を近づけてきた。
「覚悟決めてよ、千広さん」
まっすぐな目が千広を見つめる。高校生の凛に、サラリーマンの自分が攻められるなんて、と千広は恥ずかしくて仕方がない。凛のその目に降参して、千広が呟いた。
「…俺も、好きだよ」
その言葉をしっかりと聞いて、凛は再度、キスをする。
「じゃあ、泊めさせてくれるよね?」
ニッコリと笑う凛に、千広は抗うことができず小さく頷いた。
チェックインを済まし、カードキーで部屋に入り、扉を閉じると同時に凛が千広に抱きついてきた。荷物を放り投げて。そしてすぐにキスをする。
「んん…っ」
こんなに凛が積極的とは思っておらず、千広は押されてばかりだ。おずおずと千広が凛の華奢な身体を抱き締めると、ビクンと体が震えた。
(流石に、これは犯罪だろ…)
唇を離すと、千広が言う。
「凛、落ち着いて。あの…今日はそういうこと、しないから…」
「えっ」
凛が身体を離し、千広の顔を見る。
「そんなに、急かなくても、いいと思うし…その、大切にしたいから…」
千広は消え入るような声で凛に告げる。それを聞いた凛は呆気にとられる。
(なんて真面目なんだろ…)
その真面目さが愛しいような、じれったいような。きっとここに市瀬がいたら、『いいから押し倒せ』っていうんだろうなと思いながら、凛は笑う。
「分かった。でも、一緒に寝ようね、千広さん」
ぶわわっと千広の顔が赤くなっていく。
シャワーを浴びて、二人は同じベットに入る。シングルの部屋をツインに変更してもらったのに、結局狭いシングルベットに二人で入っている。
「なあ、本当にこっちでいいのか?狭いだろ」
「いいの!千広さんと手を繋いで寝たいから!」
ぎゅっと手を繋ぐ凛。その仕草が可愛くて千広も思わず笑う。
本当は千広にはまだ迷いがある。凛が自分を好きでいてくれたのはとても嬉しい。こんなに甘えてくる凛を、愛しいと思う気持ちは間違いじゃない。
ただ、遠距離で学生と社会人で男同士。凛が寂しい思いをしてしまうことは明らかだ。こんな状態で、付き合うことなんてできるだろうか。
千広自身も当然、同性での恋愛は初めてだ。キスの先、どう進めばいいのか、正直分からない。年上である自分がリードしなくてはならないのに。
(不安なことだらけだな)
「ねえ、何考えてるの」
気がつくと凛がじっと顔を見ていた。笑ってごまかしてみるものの、凛のまっすぐな目に何もかもバレている気がした。
「千広さん、色々考えすぎ。気持ちはわからないでもないけど…。でもさあ、安心して」
凛は自分の手をだし、千広の頰に触れる。
「俺が、千広さんを幸せにするから」
ニッコリと笑うその笑顔に、千広はくらっとする。年下のくせに。この余裕は何だ。
(もう、ダメだな俺)
きっとこのまま、凛に引っ張ってもらったほうが、うまくいくのかもしれない。情けないけど変な意地をはるよりは、よほどいいのかもしれないと千広は断念する。そう考えるとなんだか、凛がもっと愛おしくなってきた。
「じゃあ、幸せにしてもらおうかな」
顔を近づけて、千広の方からキスをする。凛は驚きながらも、嬉しそうに笑った。
「うん!任せておいて!」
***
それから一年後に二人はピアノ演者としてデビューすることとなった。
千広が書いた曲を、凛が弾く。たまに二人でセッションすることもある。オリジナルのファーストアルバムはピアノ演者としては異例のヒットとなった。
二人が出会った、あの広場のピアノには『ivoryの二人が初めてセッションしたピアノ』と書いたパネルが置いてあり、ファンが写真を撮ったりする光景が見られる。
デビューする前の二人の迷いと、その後の甘い日々のお話は、また今度。
【了】
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