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2.配信
出張先のホテルで遅い夕食を部屋でとっていると、千広のスマホが着信を知らせた。相手は友人の柚木だ。大学からの親友で、今は地元で居酒屋を経営している。久しぶりの連絡に、何かあったのだろうかと心配になった。
『もしもし』
『ああ、船澤!久しぶりだな、元気してたか?』
相変わらずの、大きな声に思わずスマホを遠ざける。商売のせいもあるのだが、大学時代からえらく大きい声だったことを思い出した。
『元気だよ、どうした?』
『いやー、大した用事でもないんだけどよ。お前さあ、大学の時、曲作ってなかったっけ』
突然、柚木に言われて千広は驚いた。そう言えば仲の良かった柚木や数人の前で曲を披露した事が何回かあった。
『よく覚えてたな。作っていたけど、それがどうかしたのか?』
『三木覚えてるか?記憶力の抜群に良かったやつ。あいつがさ、ウチの店によく来るんだけど、お前の曲を動画サイトで聞いたっていうんだ。俺は勘違いなんじゃないかって言ったんだけど、三木が絶対そうだっていうからさあ。すごい印象に残ってた曲らしくてなあ』
柚木の話に、千広はスマホを落としそうになる程、驚いた。三木は確かに桁外れの記憶力の持ち主だったが、数回聞いたくらいの曲を覚えているなんてそんな事があるだろうか。
『それが、弾いてるのはお前じゃなくて、高校生みたいな学生らしいんだ。三木がそれが不思議でたまらないって、俺に言ってきたからさあ。お前の子供か?って言ってたけど』
『何歳の時の子供だよ、計算合わないだろ』
『まあな。あいつたまに変な事、言い出すからなあ……それはともかく、お前は心当たりねえの?』
きっと三木が見た動画は凛だろう。まさか友人が見ているとは思わなかった。千広は今、自分の書いた曲を高校生が弾いてそれを配信していることを柚木に伝えた。柚木はかなり驚いているようだ。
『へえ、お前がそんなことするとは思わなかったなあ、どっちかというとそういうアピールとかしないタイプだもんなあ』
『うん、自分でもびっくりしてんだけどね』
『まあ、生活にメリハリがついて良かったじゃねえか。三木もスッキリするだろうから、店に来たら、教えてくよ』
そのうち、有名な作曲家になったら店に来てサインしてくれよ、と柚木は言いながら電話を切った。
電話を切った後、千広は面白いこともあるもんだなあ、と思いながらスマホを手にしたままでいると、再度着信が入った。相手は凛だ。
『もしもし』
『こんばんは。もう電話終わった?』
柚木と話をしている間に、電話をかけて来ていたのだろう、凛がおずおずとそう言った。
『ああ、もう大丈夫だよ』
千広はさっき柚木から聞いた話を、そのまま凛に伝えた。すると凛はその偶然、すごいねと電話先ではしゃいた。
『それだけ、俺らの動画が見られてるってことだよね。千広さんの曲、たくさん聴かれてるんだね』
『お前、そんなに褒めても何も出ないぞ。そう言えば、凛の用件はなんだ?』
そう言えば自分ばっかり話してしまって、凛の用件を聞いてなかったことに千広は気が付いた。すると凛は少しだけ言いにくそうに話し出した。
『あの、来週の連休、千広さん家にいる?俺、そっちに用事があってさ。ちょうどいいから千広さんに会えないかなあと思って』
いつもハキハキと話すのに、凛の声が若干、トーンが落ちていた。
『こんなに遠いのに』
『親なら大丈夫だよ、ちゃんと言ってあるからさ』
千広さんはそういうとこ厳しいもんね、と凛が笑う。何の用事でこっちに来るのかは分からないが、久々に凛に会えるなら、と千広は快諾する。良かった、と凛が心底ホッとしたような声を出した。その後、待ち合わせ場所などを話して電話を切った。
見て欲しい曲の楽譜もあるし、ちょうどいいやと千広は思いながら、すっかり冷めてしまった夕食を続けた。
凛の本心を知ることもなく。
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