83人が本棚に入れています
本棚に追加
蓮見涼嘉はごく普通の会社員だ。
強いてあげるなら、少し家庭状況が複雑である。彼の働く会社は平然と労働基準法を無視しているが、今の世の中ではそんな事は問題視されないので、これも一般的と言えるだろう。
しかし、正直のところ苦しい。
同じ状況下に置かれながら、今も笑顔を絶やさないような超人は世の中に幾人もいるかもしれない。
だが、涼嘉の場合そうはいかなかった。
マニュアルだけを適当に渡され、口頭での教育も実践もないまま仕事を任され、放置され。
挙句の果て待っているのは数時間にもわたるお説教なのだ。
暴言と罵声で時間を浪費したあとは、否応無しにサービス残業だ。
体の細胞が、みるみる壊れて行くのがわかる。それはまんまと精神面に異常を来たし、ついに涼嘉を出社拒否の道へと葬った。
三日も休むと、どれだけ電話がかかってこようともう出勤する気にはなれなかった。
入社当初から変わらぬ対応に、二年半も耐えたのだ。もう良いだろう。
そんな思いは、不思議と体を楽にしていった。
それから一週間も経てば、会社から連絡が入る事はなくなり、漸く平穏な日々が訪れることとなった。
しかし、幸せと言うのはそう長くは続かない。
早朝六時、ドアの外で聞こえる怒声に目を覚ます。
声の主も、その人物が此処にきた目的も全て知っていた涼嘉はドアを開けるのを躊躇したが、さすがに近所迷惑になる。
仕方なくそのドアを開けた。
開くと同時に、僅かな隙間が出来るなり怒声の主はズカズカと土足で涼嘉の家に足を踏み入れた。
泥酔し、根拠のない罵詈雑言を浴びせながら、涼嘉の胸倉を掴み、殴る。
もう何度目だろうか。
涼嘉は逃げることも出来ず、ただその人物から目を逸らすだけだった。
その人物と言うのは、涼嘉の実の父親である。涼嘉の最も憎んでいる相手だった。
何時からか、父親は母親に暴力を振るうようになり、衰弱させ、命を奪った。
外面の良い父親を、法的に追い込む事は出来ず、子供ながら無力な自分を呪ったことをよく覚えている。
母親がいなくなってからも暫く父親と暮らしていたが、標的が自分へと変わったため、高校入学と同時に家を出た。
そこで漸く解放されるのだと思った。
だが現実はそう甘くはないらしく、新居に移ってからも、父親は涼嘉の元に顔を出しては、彼をストレス発散の対象とした。
昔から大人しい性格だった涼嘉は、特に頼れる友人も持っていなくて、会社に入ってからは時間も取れなくなり人から声が掛かることも、誰かが家を訪れることも、すっかり無くなってしまった。
違法企業から逃げて、一人暮らしを始めて、やっと静かに暮らせると思ったのに。
夜になると、情けない涙が零れてきた。
最初のコメントを投稿しよう!