【プロローグ】

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 そうと分かってしまえば、逃げる気さえ失せてくる。そもそも、最初から逃げる気などなかったのかもしれないが。 「何だか面白くない子ですねー」  青年は不思議そうに涼嘉を見つめていた。  たしかに、常人なら多少暴れるなり、抵抗するなり、何かしら脱出方法を探すだろう。 「彼はまだ怖さを分かっていないんだろう。そんな余裕を持っていられるのは今日までだろうけどね」 「そうですねー」  二人の意味深な会話の裏は、多少汲み取れた。自分はきっと、明日にでも殺されてしまうのだ。 「とりあえず自己紹介いっときましょうよアルさん!」  青年の台詞に、涼嘉は僅かに顔を顰めた。しかし表情の動きが乏しすぎて、二人は気付いていないようだ。 「えーと僕は中司(なかつかさ)音斗(おと)です! 十八歳です!」  在り来たりな自己紹介だったが、歳の割りに幼稚だ。 「アルだ。よろしくな」  男は男で、必要最低限すぎる。  そして、何故自己紹介などするのだろう。もうすぐ死ぬ獲物に、それは必要なのだろうか。  素朴な疑問を抱きつつも、涼嘉も流されるように開口した。 「……蓮見です」 「蓮見くんて言うの?」  音斗は本当に知らなさそうな顔をしている。何も知らないまま此処に連れてきたのだとしたら、奇妙だ。  涼嘉は不可解な気持ちに襲われながらも、自分に支障が出ない程度に返事をしていく。 「……いえ、それは苗字ですが」  「名前は?」 「別に必要ないでしょう……」  涼嘉は音斗の言葉から逃れるため、顔を背けた。  正直、涼嘉という名前は好きではない。母親がつけたものらしいが、何処となく女々しくて、あまり呼ばれたくない。 「まぁ良いじゃないか音斗くん。蓮見くんも疲れているんだろう。休ませてあげようじゃないか」 「はぁーい」  若干不服そうな返事だったが、音斗はアルに促され部屋を出て行く。  一人残された涼嘉は、真っ赤になった自分の手首を見つめていた。
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