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「……なんか、その……ごめんね……」
ココアの入ったマグカップを両手で持ち、目を逸らしながら謝る。
目の前にいる奏はと言うと、安心したように一息吐いて気にしなくてもいいよ、と言った。
「……また鍵空いてた?」
思い出したように訊ねると、彼は目を円くした。
「あれ閉め忘れてただけだったの?」
「え……、うん……」
「そうなんだ、開けておいてくれてたのかと思った」
「…………ごめん」
二度の謝罪に、奏は少し残念そうに笑った。
最近は神経質になっているのにも関わらず注意力が鈍っているのか、施錠をし忘れていることが多いようだ。
自覚は全く無いのだが、奏との会話で気付く事が多々ある。
勝手に入ってくるのが悠輝じゃなくて良かった、と何時も安心してしまう。
「……それより、どうしてあの部屋に行こうとしてたの?」
奏が切り出し、澄晴はまた押し黙った。
事件の真相の手掛かりを探そうとしていた、などと言えるはずがない。
彼は誠が不慮の事故で亡くなったと思っているようなのだ。それだけでもショックを受けていたのに、首吊り自殺による窒息死が本当の死因だと知れば、自分と同じく廃人と化してしまうかもしれない。
況して誠が巡流を殺した犯人だと伝えるなど、以ての外だ。
事件後暫くは自宅に警察が来ていた所為で、巡流が何かしらの事件に巻き込まれた事は知っているようだったが、その内容も恐らくは伝えられていないだろう。
配慮からか、奏も巡流や誠については何も聞いてこない。ゆえに、彼の中の情報は間違ったままなのだ。
今更それを塗り替える事は彼を巻き添えにすることになる。
苦しむのはもう、自分だけで良いのだ。
澄晴が答えを出そうとやっと口を開きかけたとき、奏が遮るように言葉を発した。
「もしかして布団とかを取りにいこうとしてたの?」
「えっ……あ、うん」
思わず頷く。皮肉にも自分は嘘を吐くのが得意だが、言い訳は上手くないらしい。
「……布団いつもどうしてたの?」
「和室にお母さんの使ってた布団があったから……それを使ってたんだ」
これは事実である。しかし母親の布団は時期的に生地が薄く、そろそろ毛布を出さなければいけないと思っていたところだ。奏もまた同じところに着眼しているようで、
「あの布団は今時期だとちょっと寒いもんね」
と微笑んだ。
「いいよ、俺が布団取ってきてあげる。澄晴はここで待っててよ」
空になったマグカップを机上に置き、奏が席を立つ。
彼の甲斐甲斐しい背中を見送り、澄晴は少し冷めてしまったココアを傾けた。
居間に敷いた布団に横たわる。掛け布団の間に毛布が加わったので、随分と暖かい。澄晴は羽毛に鼻を埋め、身体を丸くした。
夜になると、何時も不安になる。
特有の静けさや暗さがそうさせている事は分かっていたが、当然自然には抗う事が出来ないので、ひたすらに耐えるしかなかった。
目を瞑れば瞼の裏に、鮮明な情景が浮かぶ。
目を開ければあるはずのない家族の姿が映り、更なる孤独感が押し寄せる。
逃げ場も行き場もない感情を如何にか出来る術さえ今の澄晴は持っていない。
冷や汗の滲んだ掌を握り、澄晴は何度も自分に『大丈夫』と言い聞かせた。
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