死者の街

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死者の街

 九月二十日 北海道 登別市 登別温泉街      ホテルまほろば 4F 客室廊下  血と腐臭に溢れた世界を、兵士はただ走り続ける。  仲間の鮮血を浴び、その断末魔の叫びを聞いても、兵士は決してその足を止めない。 何がそこまで兵士を駆り立てるのか。  生への渇望はない。名誉など求める気もない。彼は『任務』を遂行することだけを考える。仲間が死のうが、街が一つ滅びようが、彼には一切関係のないことだ。  黒色のガスマスクと迷彩の戦闘服に身を包んだ、屈強な陸上自衛官。  「ーー駄目だ。時間がない……。」  無線機を通して相棒の切羽詰まった声聞こえた。    前方にゾンビが二体。  ゾンビ。  三日前、突如この街で発生した動く死体。屍に付けられた名前だ。    動くモノには敏感に反応し、生き物ならばそれが人間であろうと骨の髄までむしゃぶり尽くす。ウイルスが原因なのか、何らかの寄生虫により引き起こされる感染症なのか。  原因は分からない。彼には分かる必要も無い。与えられた任務を完遂する、ただそれだけなのだから。  ーー感染していない民間人を保護せよ。  そう言われて来たものの、ホテルは声なき呻きをあげる亡者に埋め尽くされている。生存者がいるとは到底考えられ無かった。  ヘリから屋上に降下し、10Fから生存者の捜索を開始した。現在は4F。それまでに見たのは全身が腐り果てたゾンビだけ。     「ァァァググァァァ!?」  肉体は腐敗し、その白濁した瞳をこちらに向けている。兵士を獲物だと認識した瞬間、ゾンビは大きく犬の様な唸りを上げた。既に人間だった頃の知能は無い。彼らには本当の死が最大の供養になる。  兵士は大腿に付けたホルスターからSIGP226拳銃を抜いた。冷静な動作で狙いを定め、突進して来た女のゾンビの脳天に向かって引き金を絞る。サプレッサーを取り付けたハンドガンが、パシュという音と共に弾丸を吐き出した。    9mmパラベラム弾がゾンビの頭蓋を貫く。力なく一体が床に崩れ去るのを瞬時に確認した後、兵士は二体目に向かって引き金を絞った。その身のこなし一つ一つに無駄は一切無く、全ては任務を完璧に遂行するためだけに習得した技術だ。  兵士が放った弾丸は寸分の狂いも無く飛翔。ゾンビの脳幹を破壊し、永遠の眠りへと追いやった。    「行け、ジョーカー01。離脱しろ。」  「ーー置いていく訳には行かない!!」  兵士の相棒であるヘリパイロットに向かって言い放つ。既に日本政府はこの街への『滅菌作戦』を命じた。  『燃料気化爆弾』、通称FAEの大量投下。    航空自衛隊三沢基地から発進したF2戦闘機が到着するまで、時間的猶予は無い。  「長い間」「連続して」「全方位から」襲いかかる十二気圧にも達する爆風と、全てを焼き尽くす三〇〇〇℃に及ぶ高熱。  この街は数分後には煉獄の炎に包まれ、地図上から消滅することになる。  兵士にはタイムリミットまでに、ピックアップポイントである正門にたどり着けるという確証は無かった。全ては任務のため。人情など下らない物のために優秀なパイロットを死なせるつもりは無い。  兵士はついさっきまで機能していた館内放送からエントランスホールが閉鎖されているのを確認すると、素早く迂回路を脳内でシュミレートした。次の瞬間には作戦は既に決定されている。  走り続けると廊下の中ほどで、エレベーターホールへとたどり着いた。  美しい日本風の絵画、色とりどりの花々が挿された綺麗な花瓶が飾られている。しかし、其処は多くの感染体によりすし詰め状態だ。    「ガルルルゥッ……。」  飛び掛かる感染した野良犬。どこからか紛れ込んだ化け物をナイフで一閃。  キャうんという情けない鳴き声を漏らし、喉仏を掻き切られた感染犬は地面へと墜落した。  戦闘で発生した物音で反応したゾンビの頭をハンドガンですかさず射撃。倒れ込んだゾンビの心臓にダメ押しでもう一発弾丸を叩き込む。完全に感染体は沈黙した。  屍達のおぞましい唸り声。  想像以上に状況は思わしくなかった。  ゾンビの数が多すぎる。予備弾薬も残り僅か、SIGP226ハンドガンのマガジンが一箱、の89式5.56mm小銃のマガジンが二箱、上司に無理を言って準備させたM870ショットガンの残弾は七発。  兵士は地獄を駆け続ける。  任務を完遂するためだけに。他に理由は要らなかった。  彼が『死神』でいる事に、理由など必要ない。  「ーーこちらジョーカー01。応答しろ結城二尉!!頼む急いでくれ!!」  「駄目だ。撤退しろ。最後に、お前と戦えて。まあ……楽しかった。」    兵士はそう告げた後、無線機を切る。  任務を完遂するか、無様に焼け死ぬか。  兵士は誰にも悟られる事なく、静かな笑みを溢した。    
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