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終章 虹色のとりどり世代美術館
【2035年】
…あれから15年か。3年どころか、その5倍もたっちゃったわね。
私は40歳になっていた。もう40歳か、という感慨と、まだ40歳か、という活力が、心のうちにある。なってしまえば、意外としっくりくるものね。
ここは「巡鳥館」の中の館長室である。外では、驟雨が降っているようだ。
紆余曲折はあったが、結局、別館の名前は巡鳥館、じゅんちょうかん、に決まった。
漂鳥館だと「ただようイメージが強すぎて軸足が定まっていない」という意見が出された。プロティ館だと、「プロテアやプロティアンのことを知らない人から、プロテイン飲み放題の筋トレ美術館と勘違いされるのではないか」と言われた。しかし一番の決め手は、「じゅんちょうは、順調にも通じる。順調にいってほしいという願いを込めたい」という、ツル世代の七二田みつるさんの言葉だった。まさに、鶴の一声。別館の命名問題は、解決した。プレゼンで問題提起をした私は、みんなに考えてもらうこと、それこそが目的だったので、この命名過程を通して、機運が盛り上がったことに満足していた。
巡鳥館の副館長になった私は、館長である祖母の手足となって、働いた。
本館である転卵館と、別館である巡鳥館。2つあるわけだから、来館者にまずその説明が必要になった。また、クラシック音楽の「展覧会の絵」自体を知らない人が多いから、せっかくの見立て、プロムナードや絵画も、その元ネタがわからぬままに帰る人も多かった。そこで来館者向けに、「ガイダンス」を行うことにした。パンフレットを制作し、音声案内を作り、時には私がフルートで「展覧会の絵」の曲を披露した。…最初のうちは少し混乱したが、今ではこのガイダンスもすっかり定着している。
来館者アンケートも実施した。これまでは、ぐるりと回っておしまい、だったのだが、最後に簡単なアンケートに答えてもらうことで、来館者からの意見を集めて「見える化」したのである。…あまりにも私が「見える化しましょう!」と言ったものだから、みれるじゃなくて「時鳥みえる」と言われたりもしたが、今では良い思い出である。
「お屋形様、パーティーの準備が整いました、どうぞお越しください」
私の回想は、黒羽さんの声によって破られた。
「…黒羽さん、その、お屋形様って言われると、なんかむずむずするから、やめてくれませんか?」
「では、みい坊様とでも呼べばよろしいので?」
にやりと黒羽さんは笑う。
「すぐに行くわ。先に行ってて。…晴れるといいんだけど」
「承知しました」
黒羽さんは、私が小さい頃から、祖母の指示を受けて私を見守っていてくれたらしい。みい坊、とは私のことを小さい頃にそう呼んでいたそうだ。実は、零前さん、青羽さん、赤羽さん、白羽さんも、私にわからないように、家や学校で私を見守っていてくれていた。だから会ったときに既視感を感じたんだよな…。私は初対面のつもりだったが、彼らにとっては懐かしの対面だった。
あれから15年。
私の肩書は副館長のままだったが、巡鳥館の館長である祖母は、就任当時3歳。それにちょくちょく外に出かけていくので、実務は私が行うことが多かった。今日、私は、名実ともに館長に就任する。それは同時に、巡鳥館の館長と、転卵館の館長の退任式も兼ねていた。
私は、壁をちらりと見た。そこには、瀬戸黒画伯が描いてくれた、巡鳥館のスタッフたちの絵が飾られている。祖母の姿は、本人が子どもの姿で描かれるのは嫌だと言い張ったので、転卵館の旧館長、ほうさくさんの絵の年齢に合わせた姿にしている。
絵のタイトルは「Life Puzzle Searchers」。ライフパズルを探す者たち、である。
私は、パーティー会場である、受付のある入り口ホールへと向かった。
巡鳥館と転卵館との間は、新しいプロムナードでつながっていた。もう影たちと戦う危険はない。
プロムナードの名前は、こう変えた。「生きた言葉による生きた者への呼びかけ」と。
「よっ、新館長! 待ってましたっ!」
五四田やしちさんの歓声に、会場がどっと沸いた。全員が一堂に会すのは、久しぶりだ。私はテーブルの上を見た。祖母とすわんさんの料理にも、ますます磨きがかかっている。
この美術館の中では、時間の流れが異なる。私と祖母、それに転卵館の館長であるほうさくさん以外の面々は、あのプレゼンの時と変わらぬ姿だった。
「みれるちゃん、じゃなかった、巡鳥館の新館長! これからもよろしくね!」
零前さんが、優しく声をかけてくれた。背中の袋が動いていたが、…いまだにその中身は謎である。転卵館の副館長であった彼女は、今度、転卵館の新館長に就任する。
新たに副館長となるのは…。
「本場のたこ焼きやで~。みんな、食べてんか~。…お代はたったの100万円や!」
どっと笑いが起こった方に、私は目を向けた。そう、この転卵館と巡鳥館を建ててくれた鳶色ふえきさんが、転卵館の副館長となるのだ。別館である巡鳥館が完成した後で、彼は祖母からいささか強引にスカウトされて、ここのスタッフに加わったのだった。当然、彼女も…。
「さあ、クロワッサンが焼けたわよ! たこ焼きよりも美味しいわよ!」
「なんや、りゅうこ。喧嘩を売るなら買うたるで!」
「売った! お代はたったの100万円!」
「もうええわ!」
鳶色りゅうこさんは、私の後を引き継いで、巡鳥館の副館長となってくれる。敵に回すと恐ろしいが、味方になってくれると、頼もしいことこの上ない2人だった。
祖母とほうさくさんがいなくなった後は、この4人を中心に、ここを運営していく。不思議と、不安はなかった。この仲間たちとならば、全く心配はない。
「お二人がいらっしゃいましタ」
「皆様、拍手でお迎えくださイ」
文字通り「架け橋」となって、転卵館と巡鳥館をつないでくれているカササギの2人。外国語にも対応できる貴重な戦力。ケンブリッジさんとポントワールさんの声に、みんなが立ち上がり、拍手した。
…年老いたほうさくさんが、18歳となった祖母に支えられながら入場してきたのである。
カクテルが、みんなに配られた。シェイクしたのは、カササギの双子だ。ほうさくさんも久々に、その名人芸を披露したが、さすがに全員分を作るのは難しそうだった。息が切れて座り込んだ後は、カクテルの弟子の2人を、嬉しそうに眺めていた。
零前さんには「イエローバード」。青羽さんには「ブルーハワイ」。赤羽さんには「レッドアイ」。白羽さんには「ホワイトレディ」。黒羽さんには「ブラックルシアン」…。それぞれのカラーに合ったカクテルが、どんどん作られてくる。
ほうさくさんには、「レインボー」と呼ばれる、虹色をした奇麗なカクテルが作られた。あれ、一度飲んでみたいんだよな…、と思っていたら、ポントワールさんがすっと、私が飲む用のレインボーを置いてくれた。私は驚いて、ほうさくさんを見た。紳士的に微笑んでいる。椅子に座って休んでいた彼が、いつの間にか、作ってくれたらしい。みんなにグラスが行き渡り、準備は揃った。…司会の零前さんが、口を開いた。
「それでは、これより就任式・退任式、兼、お別れパーティーを始めます。まず、転卵館の前館長である、七三上ほうさく様より一言、お願いします」
祖母に支えられて立ち上がったほうさくさんは、それでもしっかりと前を見据えて、言った。
「長々しくお話するのは、カクテルと料理に失礼というもの。でも、これだけは言わせてください。皆さんのおかげで、ここまで運営できました。本当にありがとう」
深々とお礼をするほうさくさんを見て、零前さんが涙ぐんだ。本当は、ついていきたかったんだろうな。でも、転卵館を任せられるのはあなたしかいない、と言われ、彼女はここに残る。
「おうかと私は、これからインドに向かいます。あちらでインド版の転卵館と巡鳥館ができましたら、戻ってきます。その頃には、私も立派な美青年になっているでしょうが…」
会場から笑いがこぼれる。そう、ほうさくさんは、自らの最後の地を、インドに定めたのだった。そこでまた、新たな命へと自らの姿を変える予定である。
「皆さんもぜひ、遊びに来てください。美味しいカレーをご馳走します。以上です」
万雷の拍手。次いで、祖母が立ち上がった。
「続きまして、オーナーの七三上おうか様に、乾杯の音頭をお願いします」
「…私からも一言だけ。みれる! しっかりやんな!」
私は深々と頭を下げる。祖母の叱咤激励もしばらく聞けなくなると思うと、涙がこみあげてくる。顔を下にして、涙を見られないようにするのに必死だった。
「転卵館と巡鳥館。みんなのおかげで、どっちも大好評だ。礼を言うよ! 転卵館は、こうのさんに任せておけば安心だ。巡鳥館のほうは、これからは私の孫、みれるが館長となる。みれるには2つの美術館、合わせて『とりどり世代美術館』の代表館長も兼ねてもらう。それぞれの持ち場で協力して、しっかりとやっていくんだよ!」
全員が力強くうなずいた。
「さ、料理が冷めないうちに、さっさと乾杯して、おおいに食べようじゃないか!」
カクテルグラスを手に取る。
「人生は、いつだってこれからだよ。乾杯!」
「乾杯!」
…パーティーが終わると、別れの時がきた。私たちは、美術館の入り口に揃っていた。雨は、いつの間にか止んでおり、雲の間から光が差し込んでいた
「では、みなさん。後はよろしくお願いします」
「みれる、泣くんじゃないよ。代表館長、しっかりやんな」
ほうさくさんを助けながらインドまで飛んでいくには、力がいる。また、向こうで老人を抱えて、生まれ直した後は赤ちゃんを抱えて生活するには、ある程度の年齢が必要だ。そういう理由で、祖母は18歳になるまで待ったのだった。…と説明してくれたが、本当は私に館長業務をしっかり教えるのに、時間が必要だったのだろう。
隣を見ると、零前さんも泣いている。その頭を、ほうさくさんが優しくなでている。
「ほな、そろそろ行きまっか。お2人さん」
「本場のチャイ、楽しみだわ!」
鳶色ふえきさんとりゅうこさんが、インドまで同行して、彼らのスタートアップをサポートしてくれる。海千山千の2人がついていれば、心配することはない。ある程度、運営が軌道に乗ったら、2人はまたここに帰ってきてくれる。
4人は空に舞い上がると、私たちに手を振った。私たちも、彼らが見えなくなるまで手を振った。
…名残惜しそうなみんなを促して、美術館に入ろうとして、私はもう一度空を見上げた。…あれは。
「見て!」
私は言った。指差した、その先には。
奇麗な虹がかかっていた。私にはその虹が、時空を超えた架け橋のように思えた。
【完】
※このお話はフィクションです。
※実在の人物・団体とは無関係です。
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