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第7章 改装のホトトギス
それから1か月。
私は、転卵館がある場所に寄ってみた。閑静な住宅街。塀は長く、高い。それらは変わっていなかったが、門の間から覗く敷地には、…何も無かった。草がぼうぼうで、建物の姿が見えない。門には、いつから掛かっていたのか分からない「立ち入り禁止」の札が、風に吹かれている。
…転卵館の時間と、この世界の時間は、違うのね。
私は、ぼうっと門を眺めていた。その時、後ろで羽の音が聞こえた気がした。
「…後ろを振り向いてはならぬ! そのまま前を見ろ」
「…振り向いてはならぬ、と言われると、後ろばかりが気になります」
私は、そう言うと、ゆっくりと振り向いた。黒い装束の男。…黒羽くろうさんが、そこにいた。
「今日は、竹光は突きつけないんですね」
「今のおぬしには、必要なかろう?」
彼は、かすかに笑うと、真顔になった。
「お屋形様と大御所様が、わしを使いに出した。何かあれば、言うがいい」
決断までには、あと1か月ある。しかし、私の心は、ある方向へと進んでいた。
「黒羽さん。お願いがあるのですが…」
「うん?」
私は、彼に、あるものを用意してもらうことにした。
「心得た」
短く答えると、彼は風のように去っていった。…あの日、駅前の雑踏で、私に転卵館のチラシを渡してくれたものも、おそらく彼なのだろう。
朽ちかけた門の中では、草がさわさわと音を立てていた。風が出てきた。
…私は、自分の部屋へと戻っていった。あと1か月のうちに、やるべきことが山のように、私を待っている。
その日が来た。準備は、万端に整えた、はずである。
私は自分の部屋で、最終確認をしていた。うん、やるべきことは、すべてやり終えた。
がらんとした部屋の中で、私は一人たたずむ。この部屋も、荷物がなくなると、意外と広かったのね。初めての一人暮らし。不安と期待のないまぜの気持ちを、いつしか忘れ去っていた。しかし今、私はその時と同じ気持ちを抱いていた。不安と期待。…不安のほうが少し強いかな…。
家具などはすべて、一時預かりのトランクルームに預けてある。
私は施錠をして、部屋の鍵を不動産屋に返却した。…これで文字通り、身軽になった。
少しの間とはいえ、自分の部屋がない状態というのは、何とも心細いものだ。身の回りのものは、最低限キャリーバッグに詰めている。あのフルートも。会社の送別会でもらった花束は、知り合いの女友達にあげた。彼女には「実家に帰ることになった」という説明をした。…まるっきりの嘘、ではないよね。私は、頭につけたプロテアの髪飾りを、そっとなでた。
さて、行くか。転卵館のある場所へ。今日は、門は開くだろうか。
歩き始めた私の前に、気にはなっていたけど、まだ入っていないカフェが見えた。…会社を退職してから、心残りの常連店や、気になる宿題店をいくつか回っておいたが、ここはまだだった。焦ってもしょうがないよね。景気づけのおやつタイムとしゃれこみますか。
…ケーキを食べ終わって、コーヒーを飲み干して、ふう、と一息ついた時である。
前のテーブルの男女が、こちらに顔を向けて手を振っていた。それまでは背中しか見えなかったので気が付かなかったが、私はその2人を知っていた。まさか。
「鵲ケンブリッジさんと、鵲ポントワールさん…?」
そう、カササギの双子。転卵館で、私を助けてくれた2人だった。白と黒のコーディネートはそのままだが、さすがに今日は戦う格好ではない。ケンブリッジさんはお洒落なセーターにジーンズ。ポントワールさんはポンチョを着ていて、いかにも可愛らしい。どうやら2人とも、私と同じケーキセットを食べていたようね。3つのうち、どのケーキにしたのかな。それにしても…なぜこの店に?
「ご無沙汰しておりましタ、レディー」
「ここのケーキは、美味しいですネ。さすがはマドモアゼルの選ぶお店でス」
「…あなたたちも、おやつタイム?」
「シショウが私たちに言いましタ。あなたのお迎えに行くようにト」
「師匠…、ああ、黒羽さんのことね」
「ついでにケーキを食べておいで、と言われましタ」
…意外と弟子には優しいのかしら。この2人、素直だし、ハンサムだし可愛いし、自慢の弟子なのかもね。…私は祖母の自慢の孫なのだろうか。ともすれば弱気になる気持ちを、私は振り払った。
「夜にならないと、転卵館に入れないのかと思っていたわ」
「そんなことはありませン。ただ、外の世界とは、時間の流れが違うのデ」
「昼だと大丈夫なのですが、夜だとまた、影たちと戦わなくてはなりませんかラ…」
「…そうだ。あの時のお礼、まだ言ってなかったわね。本当にありがとう。おかげで、館長にも祖母にも会うことができたわ。あなたたちのおかげよ」
「そのようなお言葉を賜り、ありがたき幸せでス、レディー」
「御身をお守りすることができて、光栄に存じまス、マドモアゼル」
…時々、時代劇みたいな言葉になるのは、師匠の黒羽さんの影響だろうか。
支払いを済ませて、私たちは店を出た。師匠から私の分も預かっているから、と、2人は私の分までお代をまとめて払ってくれた。…おそらく、黒羽さんというよりも、黒羽さんは経由しただけで、本当は祖母が出してくれたお金なのだろう。そういうさりげない気の回し方をする人だということを、私は知っていた。私はお言葉に甘えた。…今日はしっかりやれ、ということね。
「さて、どうやって転卵館に行くの?」
「私にお任せくださイ」
ポントワールさんは、杖を取り出した。
「会議室に直接向かいまス。会議室の壁にかかっていた、あの絵のことを思い浮かべてくださイ」
私たちは、人目につかないようにビルの陰に入り、目をつぶって、館長たちが描かれていた、あの絵を思い浮かべた。零前さん、青羽さん、赤羽さん、白羽さん、黒羽さん…。
6人の姿を脳裏に浮かべた私の姿は、ゆっくりと消えていく。こうして私は、2人とともに、転卵館へと再び戻っていった。
私たち3人が、ポントワールさんの魔法で会議室に突然現れた時、一斉に視線が飛んできた。
そこには、6人×4つの季節、つまり24人が集まっていた。円卓を取り囲むように置いてある、壁際の椅子に座っている。彼らはいずれも双子。四季の4つの展示室に飾ってあった、あの絵に描かれた人たちだ。絵の中でしか見たことがない人たちが多いが、一緒に時間旅行をした人も、いる。
ツバメ世代。ラムネを飲んでいた十八田すわろうくんは、斜め向きに座っていたが、こちらを見ると「ふふん」と笑い、ぐっと親指を立てて「いいね」ポーズをしてくれた。その横で、みつばさんがはらはらした表情で「頑張って下さいね」と言いたげに、うんうんうなずいている。
ニワトリ世代。三十田にわとさんとこけこさんは、温かい視線で私を見守ってくれている。…今度は、3人でパリのクロワッサンを食べに行きたいものだ。
横のほうを見ると、シチメンチョウ世代がいる。五四田やしちさんが大袈裟なジェスチャーで、深呼吸をしたり、肩を回したりして「リラックスしろ! リラックスだ!」という感じ。…グキッといったのか、肩を押さえて、おしちさんに叱られている。その様子を見て、私は笑顔になった。もちろん、これはやしちさんなりのネタに違いない。私の気持ちをほぐしてくれているのだろう。
部屋の隅では、ツル世代の七二田みつるさんとつるよさんが、私を見つめている。私と目が合うと、小さくうなずいた。私は、勇気をもらえた。
その時である。ケンブリッジさんとポントワールさんが立ち上がった。
「お屋形様と大御所様、それに先生方のおなりでス」
「皆様、どうぞご起立くださイ」
みんなが一斉に立ち上がった。会議室のドアから入ってきたのは、祖母、館長、それに零前さん、展示室の4人。計7人が円卓につく。祖母は3歳なので、ファミレスに置いてあるような、子ども用の高くした椅子が用意されている。それを見て笑うものはおらず、むしろピリッと緊迫した空気が流れた。24人の傍聴人。7人の会議メンバー。そしてカササギの2人と、私の3人。計34人が、会議室に揃ったのである。…予想以上の舞台だ。私のペルソナは、仮面は、大丈夫か。うまく演じきることができるのか…?
「お集まりいただき、ありがとうございます。どうぞ、ご着席ください」
館長が口火を切った。司会なのだろう。皆がそれに従った。私とカササギの2人も、椅子に腰を下ろす。
「それでは、これより転卵館の運営会議を始めます。初めに、七三上おうかオーナーより」
「みんな忙しいだろうからね。簡潔に言うよ!」
祖母が、待ってましたとばかりに機関銃のように喋り出した。…ここではオーナーなのか。
「別館だ。いよいよこの転卵館の別館を建てる。場所は、この館長小屋が建っている、ドーナツの穴の中庭の部分。この場所に増築して、受付のドアからプロムナードをつなげてしまうのさ。いちいち影どもと戦うのも面倒だろ? 建物をつなげてしまえば、あいつらに邪魔されずに入ってこれる。来館者も、安心安全に自分の人生を回想できるってこった」
「オーナー。一つ質問してよろしいでしょうか。この転卵館は、どうなるのでしょうか…?」
恐る恐る、といった感じで、それでもしっかりと、青羽さんが質問した。傍聴人のみんなも、そのことが気がかりだったのだろう。うんうんとうなずいて、彼女の質問に同意する。
「いい質問だ」
祖母は、青羽さんに笑顔を向けた。
「転卵館は、残す。その上での別館だ。つまり、来館者は、どちらも鑑賞できるようにする」
「…そうなると、ねえ、絵が2枚ずつ必要じゃないの?」
赤羽さんが鋭く質問する。オネエ言葉は変わらないが、目は真剣だ。
「その通り。転卵館用のいまの絵と、同じ絵が必要さ。…館長、そちらは?」
「問題ありません。瀬戸黒画伯に、同じ絵を描いてもらっています。あの方もお忙しい身。ですが、別館ができるまでに、絵はすべて揃うでしょう」
…せとぐろがはく? その人が、この転卵館の絵を描いたのだろうか。
「あの、料理スペースは、あるのでしょうか?」
白羽さんが、白羽さんらしい質問をした。丁寧な口調なのは、祖母が彼女の師匠だからか。
「すわん。心配ないよ。今よりもっと設備の良い厨房を用意するさ。私が大きくなるまでは、お前の腕が頼りだ。期待しているよ」
白羽さんは、嬉しそうにうんうんとうなずいた。
「…大御所様、お屋形様。そろそろ肝心かなめのことをお聞きしたいのですが」
黒羽さんが、ゆらりと口を開き、ちらりとこちらを見た。…ついに、来たか。
「そこにおられる、時鳥みれる殿。彼女が、その別館の館長になられるのですか?」
私を除く、33人の顔がこちらを向いた。私は、祖母と目を見かわすと、立ち上がって、言った。
「そのことについて、皆様にお話ししたいことがございます」
「私は、時鳥みれると申します。そこにいるオーナー、七三上おうかの、孫です。ここには、すでにお会いした人もいらっしゃいますが、初めての方もいらっしゃいますね。ですが、私はすでに皆様全員のことを、この転卵館の絵を通して、知っております」
会議室の熱気が、増した。私は、結論から言った。
「私は、ここに来て、別館の館長候補となります」
祖母は、館長と顔を合わせ、嬉しそうにうなずいた。
ここで、私は黒羽さんに言った。
「あの…黒羽さん、準備していただいたものを、お願いできますか」
「承知した。…ポンの字! ご用意して差し上げろ」
「合点承知でス」
ポントワールさんは、杖を一振りする。すると、会議室にプロジェクターとスクリーンが現れた。…いや、凄いな。というか黒羽さん、自分だと機械類を用意できないから、ポントワールさんに丸投げしたのだろうか…。私は、荷物からパソコンを取り出すと、プロジェクターに接続した。
「ケンの字。明かりを消せ」
「承知しましタ」
ケンブリッジさんが、会議室の明かりを消す。スクリーンに、私が作った会議資料が浮かび上がる。…この2か月間、この勝負プレゼンの準備と練習に明け暮れた。…大丈夫。
「先日、私は、この転卵館を、ここにいる皆様のご案内で、鑑賞させて頂きました。その経験を踏まえて、あえて改善すべき点を2つ挙げ、別館のコンセプトをご提案したいと思います」
プレゼン自体は、前の会社の企画会議でさんざんやってきた。…それを活かすんだ。
「まず、改善すべき1点目」
「私は、春・夏・秋・冬の順番でプロムナードを回ってきましたが、いささか固定的過ぎるように思います。別館では、順番にとらわれずに、自由に鑑賞できるようにしたい」
「具体的には、一つの大広間に、4枚の絵をすべて飾ります。来館者は、先に冬の絵を見ても良いし、後から春の絵を見ても良い」
「その理由を申し上げます。これからの時代は、キャリアの流れがとても柔軟になっていくからです。18歳までに学んで、後は学ばなくても良い、ということはありません。生涯学習。それも、定年後の趣味などではなく、生きるために学ぶ必要があるでしょう。アウトプットも重要です。いかに表現していくか。インプットだけの学びでは難しくなってきています。それは、仕事も同じ。支援も同じ。どうやってつながるか。どうやって他人に引継ぎ、どうやって他人から引き継ぐか。それこそが重要になってきます」
ここで、零前さんが口を挟んだ。挑戦的な口調で、私に問いかける。
「じゃあ、これまでやってきた、転卵館方式の一方通行の進み方は、なしにするってこと?」
傍聴人も同じことを考えていたのだろう。零前さんの質問にうなずいている。私は説明する。
「いえ、今までの一方通行の鑑賞も、同じくらい重要です。なしにはしません」
「なぜ?」
「時間は、基本、元には戻らないからです。この転卵館では、過去の姿を見せることによって振り返りを促しますが、過去そのものに戻ってやり直すことはできません。生まれて死ぬまで、人生は続きます。リアルタイムで、待ったなしで、進んでいくのです。積み重なっていくのです。逆説的になりますが、だからこそ、未来のために、明日のために、過去を振り返る時が必要なのです。別館は、その振り返る方法の選択肢を増やすための方法です。選択肢ですから、これまで通り、春・夏・秋・冬と進んでいく順路も必要なのです」
「なるほどね。過去は積み重なっていくけれど、その積み重ね方をこそ、身に付けてもらうってことか。そのためには、一つだけでなく、違う見方の方法も必要ってことね」
「その通りです」
私は補足した。…歴史は苦手だったが、私なりに必死に調べてきた。
「中国における歴史の書き方には、色々な書き方があるそうです。昔から今へ、時間の順に書く方法。これは、転卵館の進み方に似ています。それとは別に、人物にスポットを当てて書く方法、事件にスポットを当てて書く方法などもある。別館では、来館者の方は、自分の興味に基づいて、自分なりの見方で、自由に鑑賞できます」
…私には、零前さんの心遣いがありがたかった。今までのやり方を全否定されたように感じると、どんな人でもやる気がなくなる。みんなにそう捉えられないように、あえてこのタイミングで質問してくれたのだろう。内心で、私は零前さんに感謝した。
「次に、改善すべき2点目。来館者の年齢です。これまでの来館者は、原則、73歳以上の方でした。しかし、私も回ってみて非常に得るものが大きかった。私は、25歳です。若い人にこそ、この振り返りが必要なのではないでしょうか?」
「ほう? 年寄りよりも若いもんの方が、振り返りが必要だってのかい? みれる」
祖母が口を挟む。…口調は高齢者だが、外見は3歳児である。
「…正確に申し上げます。齢を取っていようが、取っていまいが、振り返りは必要です。つまり、生きている限り、振り返りは必要なのです。若いからやらなくてよい。定年退職したから必要だ。そういうものではありません。なぜなら、生きている限り、私たちは変わっていくからです」
ここでいったん間を置く。
「選択の連続、と言っても良いかもしれません。私もこの転卵館を進んでいく中で、多くの選択肢に出会いました。どの世代を選ぶか、それによって出会える人が変わっていきました」
私と出会った世代の傍聴人たちが、うんうんとうなずく。
「しかし、考えてみれば、今日は何のご飯を食べるか、ケーキセットなら、どのケーキを選ぶか、そういう些細なことから、どの学校に行くか、どの職場を選ぶか、どのパートナーとともに歩むか、終の棲家をどうするか、という大きなことまで、人生は選択の連続です。いや、選択こそが人生、と言ってもいい」
ケーキセットのくだりで、「ポンの字」ことポントワールさんと、「ケンの字」ことケンブリッジさんが、嬉しそうにうなずいていた。
「人生を深く歩んでいる人は、選択を疎かに扱いません。過去の選択を、意識的あるいは無意識的に振り返って、次の選択に活かしているのです。小さいうちから振り返っている人、年老いてから初めて振り返る人、どちらが大きく自分の人生に活かせるかと言えば、当然、早くから振り返っている人でしょう」
「そうは言うけどね、若いもんは、振り返るべき人生経験が、そもそも短いんじゃあないか?」
「その通りです。ですが、短いなら短いなりに、振り返るべきことはたくさんあります。そもそも、時間が経つにつれて、思い出は美化され、嫌なことは記憶から抹消されるもの。であれば、早いうちから、過去を振り返って、それを明日に活かす方法を身に付けたほうが、良いのではないでしょうか?」
「ふむ、長さではなく、濃度の問題と言いたいのかい…。それもそうだね」
祖母も、零前さんと同じく、私の説明を豊かにしてくれた。…ありがたい。
「以上、2つの改善点を踏まえて、別館のコンセプトをご説明します。と、その前に」
私は、スクリーンの資料に、とっておきの仕掛けを映し出した。そこには、こう表示している。
別館の名前をみんなで決めよう
それまで静かに聞いていたみんなが、ざわざわと隣の人と話し出した。
これこそ、私の過去のプレゼン経験から導き出した、とっておきの仕掛けである。あえて全部を言わない。聞く人に考えさせる。当事者意識を持ってもらう。もちろん、完全に自由に討議してしまうと、百年たっても決まらない危険性がある。だが、この場ですべてを決めなくてもいい。ただ、方向性を周知することが、重要なのだ。名前を自分たちで考えさせることによって、一方的に聞くだけであった相手の行動を変え、思考を活発化させ、聞く耳のコップを上に向けさせる。どんなに良いプレゼンをしても、コップが下向きだと、水は入っていかないから…。
「別館の名前を決める叩き台として、3つの案をご用意しました」
みんなが口を閉ざし、一斉にスクリーンに目を向ける。
「1、漂鳥館 ひょうちょうかん」
「2、プロティ館 ぷろてぃかん」
「3、巡鳥館 じゅんちょうかん」
ここで、館長が、穏やかな声で質問をしてきた。
「聞いてもよろしいですか? 1の漂鳥館は、ただよう鳥。これは分かる。3の巡鳥館は、めぐる鳥だね。これも分かります。ですが、2のプロティ館とは、どういう意味なんでしょうか?」
「はい。私は今、祖母からもらったプロテアの髪飾りをしております。この花の名前の由来は、ギリシア神話のプロテウス、変幻自在に姿を変える神様から来ております」
「ほう」
「同様に、自由自在、変幻自在に変わるキャリアのことを、プロティアン・キャリアと言ったりします。そこから考えてみました」
…私の脳裏には、鳶色ふえきさんが教えてくれた話が蘇っていた。
「そうだったんですね。これは、面白い問いかけだ! 別館の名前は、今すぐに決めることではない。だが、ここにいるスタッフみんなで、しっかり考えていきたいところですね」
「ありがとうございます。いずれにしましても」
私は、最後にプレゼンをまとめるべく、声を張った。
「別館のコンセプトは、柔軟に、変幻自在に、しかし軸足をしっかり保って、来館者の方がその方自身の過去を振り返るような、そんな美術館にしていきたいと思います」
ここで、1人1人の顔を見回す。最後に、祖母を見る。その視線に励まされて、私は言う。
「全力でやります! 皆さんとご一緒に、別館を作り上げていきたい。どうか、私を館長候補にしていただくことを、お認めいただけないでしょうか。お願いします!」
深々と頭を下げる。や、やりきった…!
…沈黙。果てしなく思えた沈黙は、拍手の音に破られた。
その音は次第に大きくなり、会議室全体を包み込んだ。私は顔を上げた。
全員が、スタンディングオベーションをしてくれていた。
「よっ! 大統領!」
傍聴人の中から、嬉しそうな声が上がる。どっと場が沸き立つ。見るまでもない、やしちさんだ。おしちさんにたしなめられている姿を見て、また場が盛り上がった。
「よし、決まりだね!」
祖母が立ち上がって、言った。
「ここにいる時鳥みれる、私の孫だよ。自慢の孫だ! 別館の初代館長は、オーナーの私が兼任する。みれるには、副館長として私の下で働いてもらおう。こき使うから覚悟しな! そしてゆくゆくは、館長として思う存分、やってもらうからね!」
「はい…、はい! ありがとう、おばあちゃん!」
「…館長だろ」
「はい、館長…!」
再び、拍手が巻き起こった。
「そうと決まれば、祝杯だ! ほうさく、あんたの自慢のカクテル、作っておくれ。ちっちゃい子たちには、ノンアルコールカクテルだからね!」
「…おうか、あなたもまだ3歳なんだから、アルコールはダメですよ」
館長のツッコミに、会議室が笑いに包まれた。
「はいはい、わかってるよ。すわん! 料理の支度はできてるだろうね」
「もちろんです。何日も前から、2人で仕込みをやってきたじゃありませんか」
「腹が減っては別館は作れぬ、ってね。みんな、思う存分、食べておくれ!」
伝説の料理人とまで呼ばれた祖母。手ずからの料理を味わえるとあって、みんな興奮している。緊迫した空気から一転。受付のある入り口ホールで、賑やかなパーティーが行われた。
…このようにして私は、別館の副館長に就任したのであった。
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