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「あたし、知らなかったよ」
鏑木緋奈は呟くと、周囲を見渡しながらさらに言葉を続ける。
「瑠璃ヶ丘商店街って、結構大きいんだね。今朝高校行くときにちょっとのぞいたけど、こんなに活気のあるところだとは思ってなかったよ」
「へへ、そう言ってもらえると、なんかわたしまで嬉しくなっちゃうよ」
希春は少し得意げになる。自分が気に入っているものを、自分が気に入っている人に認めてもらえるというのは、こんなにも心地いいものなのかと嬉しくなる。
「なんで希春が喜ぶのよ」
「だって、この商店街はわたしの宝物だもん」
緋奈が希春のことを、不思議そうにジロジロと眺める。
「希春って本当に今まで友達いなかったの?」
「えっ?」
「あっ、ごめん。すごい直球になっちゃった。――えっと、なんていうか、今のところ希春はそんな風に見えないし、すごく優しいのになんでだろうと思って」
入学式とオリエンテーションが終わり、希春は緋奈を誘って商店街に繰り出すことにした。母に『友達と一緒に寄り道して帰る』と伝えると、自分の事のように嬉しそうに微笑んでいた。
その商店街までの道中、緋奈が自身のことを話してくれたお返しではないが、希春も自分自身の話をした。今までろくに友達ができなかったこと、家族や知人の前以外では、緊張して上手く話せないことを。
「――本当だよ。わたしすごい人見知りで、なかなか自分から話しかけたり、話しかけてもそこから会話が続かなかったりで、全然仲の良い人いないんだ」
緋奈は首をかしげて言う。
「あたしとは普通に話せてるじゃん。最初に話した時も、『わざわざ敬語遣って律儀だな』くらいしか思わなかったけど」
希春も不思議な感覚だった。今までは話しかけることに成功しても、そこから全く発展しなかったり、話しかけた子が数日中にほかの子と仲良くなってしまったせいで、勝手に壁を感じて話しかけることをやめてしまったりと、他人との距離が縮まることがなかった。
しかし、緋奈だけは何かが違った。何が違ったのか、希春自身よく分かっていないが、明確に言語化できない、感覚的な違いがあることだけは分かっていた。
「なんかわかんないけど、緋奈ちゃんとは普通に話せたんだ。最初は、何か話さなきゃと思って口が勝手に動いちゃったんだけど、そこからはわたしの言葉で話せたんだよね」
緋奈が右手の人差し指を唇の真ん中に立てて考え込む。
「う~ん、はっきりとはわかんないけど、あたしが突然重い話しちゃったからかな。なんか希春がちゃんと話を聞いてくれる子だって直感的に分かったし、実際ちゃんと聞いてくれたから心が軽くなったし」
なるほど、一理ある。いつもは話すことに気を取られて、ちゃんと相手の話を聞こうという姿勢が足りていなかったかもしれない。よく会話のことをキャッチボールに譬える人がいるけれど、今までは投げることに集中しすぎて捕球を怠っていた。キャッチボールというよりピッチングになっていた。
「――でもあたし思うんだ」
緋奈が唇の真ん中に人差し指を押し当てたまま、希春を見て言う。
「こういうのって深く考えて言葉にするのは野暮だよ。お互いに気が合った。あたしはそれだけでいいと思うし、運命的な出会いって、言葉で説明できないから『運命的』って言葉で片づけるんじゃないかな。――なんて言ってみたり」
緋奈はこういう事をいうようなタイプには見えなかったが、実際そういうタイプではないようで、赤くなった顔を両手で覆い隠している。
「なんかクサいこと言っちゃった。恥ずかしいから忘れて」
「ううん、今の考え方わたしはすっごくいいと思う。それにわたしからすれば、こんな風に友達と一緒に商店街を歩けるだけで幸せだから、忘れようにも忘れられないよ」
「ふふっ。希春もクサいこと言うね」
緋奈がクシャッとした笑みで希春をからかう。
今までこういったやり取りをしてこなかった希春にとって、なにがクサい話なのかピンと来なかったが、この時間が心地よいことだけは確かだ。
他愛のない話をしながらしばらく歩いていると、目的の店が見えてくる。〈だんご宝船堂〉と書かれた年季の入った看板の隣で、その店の店主は木製のベンチに腰を下ろして茶トラの野良猫と戯れている。
「おばあちゃん、入学式終わったよ!」
店主の外薗美代子は希春の方に顔を向けると、猫を触る手を止めて「よっこいしょ」と言いながら、自らの膝を支えにしてゆっくりと立ち上がる。
猫が不満そうに、一つ大きなあくびをする。
「おかえり、希春ちゃん。――おや、そちらは?」
団子屋の店主は一瞬、ちらりと緋奈に視線を向けて希春に訊く。
「わたしの友達だよ! 今日仲良くなったんだ」
店主は店先に並ぶ団子のように目を丸くして、希春の両手をぎゅっと握る。
「本当かい? 希春ちゃん、お友達ができたのかい」
希春はコクコクと頷く。
「そうかぁ。やっと希春ちゃんのことを理解してくれる人が現れたんだねぇ。――あなた、お名前は?」
希春の手を握ったまま、店主の外薗美代子は嬉しそうに緋奈の方を向く。
「鏑木緋奈といいます」
緋奈が丁寧にお辞儀をしながら名を告げる。
「あらご丁寧にどうも。〈だんご宝船堂〉の店主、外薗美代子です。――希春ちゃんは人見知りだけど、本当にいい子だから仲良くしてあげてくださいね」
「はい。もちろんです」
緋奈は顔を綻ばせながら言う。
そんな様子を眺めていた希春は、「やめてよ、おばあちゃん。わたしもう子どもじゃないよ!」と店主に向かって抗議する。
「そうだったね。希春ちゃんも今日から高校生だもんね」
店主と緋奈は同時にクスクスと笑い始める。
初めてちゃんと友と呼べる存在と、自分の大好きな場所にいることができる喜び。そんな友の前で子ども扱いされた気恥ずかしさ。今までとは違う日常の始まりに、今までと変わらない日常をくれる商店街の温かさ。そして安堵感。千代紙のようにカラフルに色づいた感情で、希春の心が満たされる。
「そうだ、ふたりとも。よかったらウチのお団子食べていきなさい」
新米高校生二人に優しい笑顔を向けると、店主は二人の返事を聞く前に、店の裏口へと消えていく。その小さな背中を見送り、希春と緋奈が店の前に設えてあるベンチに座ると、甘えるような声を出しながら茶トラが二人の脚にすり寄ってくる。随分と人懐っこい猫だ。
緋奈が猫の顎を人差し指で撫でてやると、猫はゴロゴロと喉を鳴らす。
「希春ってさ、学校にいる時と全然態度違うんだね。ビックリしちゃった」
緋奈が猫を撫でながら希春の方を向き、揶揄うような笑顔を見せる。
「変だよね。家族とか商店街の人とかとは普通に話せるのにね」
「――あたし、希春が羨ましい」
「え?」
「ありのままの自分を受け入れてくれる場所があって、そこには無条件で自分を愛してくれる人たちがいる。それってすごく幸せなことだったんだって、最近になって気が付いた」
俯く緋奈の姿に、希春は言葉を失う。商店街に連れて来れば、緋奈の悲しみを少しは緩和することができるかもしれないと思っていたが、安易すぎたようだ。
誰かへ向けた優しさが裏目に出ることなど間々あるが、希春は自らの軽率さを悔いる。
――どうしよう……。なんて言ってあげるのが正解?
「二人とも、お待たせ。ばあちゃんからの入学祝いだよ」
緋奈に対して返すべき言葉を探していると、団子屋の店主がショーケースの後ろから声をかけてくる。ショーケースの上には温かい緑茶と三色団子が二本並んだ皿が、丸盆に載せられている。
店主に礼を述べ、丸盆をベンチに移動させると、並んで温かい緑茶をすすり、団子を口に運ぶ。手作り特有のうま味と甘みが口いっぱいに広がって、二人は幸福感に包まれる。おばあちゃんの優しさがそのまま詰め込まれたような、どこか懐かしい味わいだ。
「ん、美味しい。あたしこんなに美味しいお団子初めてかも」
緋奈が驚いたような表情で団子をほお張りながら、もごもごと呟く。
「でしょ! ここのお団子は一味違うんだよ」
希春は自慢げに言うと、ちらりと緋奈の顔を覗く。
今は団子に舌鼓を打っているが、先ほど緋奈が俯いた時に見せた悲しげな表情が、ずっと脳裡に焼き付いて離れない。どうにか緋奈に元気になってほしいが、彼女の抱える問題が一朝一夕に解決できるものではないのは目に見えている。
「二人とも、ちょっといいかい」
二人して振り返ると、宝船堂の店主がショーケースから身を乗り出すようにこちらを見ている。緋奈の抱える問題はいったん措いておき、今は店主の話を聞く。
「どうしたの、おばあちゃん」
希春が串の一番手元にある、緑の団子をかじりながら訊く。香り高いよもぎの風味が鼻を抜ける。
「ここに来る途中で、パズルのピースみたいなキーホルダーを手提げ鞄に付けた、小学三年生くらいの男の子を見なかったかい」
希春と緋奈は互いに顔を見合いながら、道中の記憶を探る。楽しいおしゃべりに夢中になっていたというのもあるが、そもそも普段から道行く人をいちいち記憶したりしない。顔を見合わせたまま、二人は同じようなタイミングで首をかしげる。
「ごめん、おばあちゃん。たぶんだけど見てないと思う」
「はぁ、そうかぁ……」
「その子がどうかしたんですか?」と緋奈。
「いや、実はねぇ――」
店主は思いつめた表情で、事の経緯を話し始めた。
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