冷やし中華はじめました

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 目の前には受け付けのカウンターがあった。その向こうに事務机が数台並んでいる。さらにその先にも部屋は広がっているようなのだが、間仕切りの衝立があるせいで向こう側は見えない。天井の照明はすべて消えていた。光源は事務机の電気スタンドだけだ。  応答がないのでもう一度「すみません」と声を掛けてから、店の名前を告げた。  しばらく待つと、衝立の向こう側から聞き覚えのあるだみ声が。 「今ちょっと手が離せないから、カウンターの上に置いといてもらえないかな。お金はそこにあるから」  よく見ればお釣りのいらないよう代金が置かれている。 「分かりました」と返事をして、カウンターの上に冷やし中華の皿を置き、小銭を取ってそのまま店に戻った。    翌日、店に出た僕の最初の仕事は前日に出前した皿やどんぶりの回収だった。何件か回ってから最後にヤマダ不動産へと向かう。  遠目に見えてきたその雑居ビルの姿に僕はギョッとなった。まだそこからは十数メートル離れているにも係わらず、思わず急ブレーキを掛ける。  住所は間違っていない。周りの景色にも見覚えがある。ところが目当てのビルは今にも崩れそうなほどにボロボロだった。それだけではない。道路に面した一階の窓ガラスは全て割れている。その代わり、侵入者を防ぐようにベニヤ板が打ちつけられていた。  バイクを押しながらそこへと歩み寄る。 玄関にはバリケードが張られていた。しかしその一部は壊れ、中へ入れるようになっている。そこから様子を伺う。誰かがいる気配はしない。明らかに廃墟だ。  嫌な予感を胸に僕はビルの中へと入った。 床には埃が厚く積もっていた。所々に小動物と思しき足跡が見える。その中に人間が往復した靴跡が一つ残っていた。念のために靴の裏を確かめると、その模様はぴたりと一致した。やはり昨夜の僕のものだ。  それをたどるように慎重に階段を昇っていくと、ヤマダ不動産と書かれたドアが見えてきた。ガラスの部分にはひびが入っている。 恐る恐るドアをノックしたが返事はない。  昨夜と同じようにドアを開ける。三十センチほどの隙間が出来たところでそっと中を覗き込んだ。
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