冷やし中華はじめました

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冷やし中華はじめました

 大学に入って初めての夏休み、叔父からアルバイトをしないかと誘われた。彼が経営する中華料理店だ。暇をもてあましていたのですぐさまOKした。  店頭には『冷やし中華はじめました』と書かれた幟が風にはためいていた。それを横目にガラス戸を開くと、見知った顔が出迎えてくれた。 「よく来てくれた。助かったよ」  相好を崩した叔父は僕を招き入れた。 「早速だけどバイクの免許、持ってるんだよね?」  はいと答えると、彼は訊いてもいないのに店の事情を話し始めた。 「実はさ、一人アルバイトがいたんだけど出前の途中でバイクで電柱に突っ込んじゃってね。事故を起こすような場所じゃないのに、何してんだろうねぇ、全く」  僕はその代わり、と言うことだろう。 「あいつは起用に何でもこなしてくれたから、いなくなると困る……」  話している途中でカウンターの上の電話が鳴った。それを受けた叔父はメモを走らせてから、 「さっそく出前だ。よろしくね」    三度目の出前から戻った頃には日が暮れていた。店に入ると叔父の姿が見えない。休憩でもしているのだろう。  電話が鳴った。店主がいないのだから仕方なく受話器をとると、中年のだみ声が聞こえてきた。 「ヤマダ不動産だけど、出前のお願いできるかな?」 「はい、いけますよ」と応じると、だみ声は「ほんとに?」と驚いたような声を上げた。  何を驚くことがあるのかと思いながら、 「ええ、もちろんです。ご注文は?」 「冷やし中華の大盛り一つ」  相手はそう答えた。それから配達先の住所を聞き、電話を切ると、ちょうど叔父がタバコの臭いをさせながら戻ってきた。 「出前の注文はいりました。冷やし中華の大盛り一つ」 「あいよ」と応じた叔父が厨房に立った。  出来たての冷やし中華を岡持ちに入れ、星空の下をバイクで走る。とある雑居ビルの二階が配達先だ。階段を駆け上がると、ヤマダ不動産と書かれたドアの前に行き着いた。  ノックをしても返事がないのでドアを開き、三十センチほどの隙間が出来たところで、 「毎度ありがとうございます」  と声をかけて中を覗いた。薄暗い。
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