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よくドラマなんかでは、遠距離恋愛中の彼氏の誕生日にサプライズ訪問したら、他の女が来ていたなんて修羅場が話題になってたけど、あたしは智を信じてる。
幼稚園からずっと一緒で、幼馴染みでもある智との付き合いは、もう十五年になっていた。男女のお付き合いを始めたのは、高校二年になってから。
奥手で草食系で、人見知りの激しい智には、あんまり親しい友だちは出来なくて。
高校二年の今日、つまり智の誕生日、カラオケで細やかな誕生日パーティーを開いて、
「智には、あたししか居ないんじゃない? 妥協しちゃえば?」
と冗談めかして言ったら、思いもかけない言葉が返ってきた。
「……うん。俺、美玲のこと、好きだよ。幼稚園の時から、ずっと好きだった。付き合ってください」
真っ直ぐにあたしの目を見てそう言った智の顔は、恐いくらいに真剣で。
確かにあたしも智と付き合えたらな、とぼんやり思っていたけれど、草食系だとばかり思っていた智から、そんな情熱的な告白が聞けるなんて思っていなかった。あたしの方が真っ赤に照れて黙りこくっていたら、
「十年、待ったよ」
まさかの壁ドンで、ファーストキスを奪われた。
とんでもなく男らしくて、格好良い智。付き合ったばかりだけど、あたしは改めて智に惚れ直したのだった。
それから二年。智は早稲田大学、あたしは札幌の短大に入った。智が早稲田志望なのは知ってたけど、あたしもどうしても行きたい保育科があって、遠距離恋愛になった。
LINEは毎日してたけど、智が北海道から東京に出て行って、初めてのデート。
さり気なく予定を聞いたら、講義は午前中だけだって言っていた。誕生日を祝うような友人が居ないとも。
用意周到、飛行機のチケットも随分前から取っていた。
智、喜んでくれるかなあ。
地味だった智が、この間テレビ通話したら、髪が少しだけ茶色になっていた。智と逢いたいという気持ちの反面、東京に染まってもうあたしなんか相手にしてくれなかったらどうしよう、とも思う。
東京の道は北海道みたいに碁盤の目じゃなくて、住所を頼りに随分迷って、暗くなり始めた頃、ようやくアパートのドアの前に辿り着いた。
チャイムを押す。
「はい」
懐かしい、智の声。あたしは待ちきれなくて、ドアを小刻みにコツコツ叩いた。
「あたし。美玲。来ちゃった」
「美玲!?」
あはは。サプライズ大成功。智、すっごくびっくりしてる。
「お誕生日、お祝いしに来たよ」
「ちょっと……待って。部屋汚いから、片付ける」
もっと喜んでくれるかと期待していたから、その言葉に少しガッカリする。
部屋なんか、片付けなくたって良いのに。まるでお客さんみたい。
五分が永遠に思えた。
まさか……本当に、他の女が居たりしないよね。
「お待たせ」
ようやく招き入れられるけど、何だか喜んでないみたい。キスも、抱き締めてさえくれない。
「どうしたの? いきなり来たらマズかった?」
「いや、そんなことないけど」
「じゃあ……キスしてよ。抱き締めてよ。好き、って言ってよ」
何だか、面倒臭いカノジョみたいな台詞が口からポンポン出てしまう。止められない。
「ああ……ごめん、美玲。凄くびっくりしたから……」
智は半べそをかいているあたしを柔らかく抱き締めて、額にそっとキスをくれた。
「愛してるよ、美玲」
「えっ?」
愛してるなんて言われたのは、初めてだった。
浮気をしている男は、罪悪感から急に優しくなるっていうエピソードも、ドラマ仕込みだ。
あたしは智の腕から抜け出して、部屋の中をくまなく探し始める。
「ちょっ……どうしたの、美玲」
「女が隠れてないか、調べてるの」
「馬鹿。俺には、お前だけだよ」
ベランダからバスルーム、トイレまで押し入って、最後に残ったクローゼットを開けた。
そこには急いで隠したように、中身がはみ出して蓋の閉まりきらないキャリーバッグが入っていた。
「旅行にでも行くの?」
「あ……ああ」
智の目が泳ぐ。
「誕生日に? 誰と? やっぱり、浮気してるんでしょ」
でもあたしのその言葉は、智は二年前みたいに真剣な顔で否定した。
「浮気はしない。俺には、美玲だけだよ」
「じゃあ、何を隠しているの?」
「実は……俺もこれから、北海道に行こうと思ってた。そうしたら美玲が来たから、凄く驚いた。凄く……」
そう言って、さっきとは別人みたいに、力強く抱き締められる。唇が触れ合った。そのまま、ベッドに押し倒されて、あたしたちは一年ぶりに愛し合った。
* * *
「……ええ。すみません。大事な用が出来て、間に合わなくなりました。ちょっと、いつ行けるか分かりません……」
ボソボソと背中を向けて喋る智の声で、緩く覚醒した。
ああ、やっぱり何処かに行く予定だったんだ。でもあたしを優先してくれるってことは、浮気じゃないのかな。
あたしは素肌の胸を布団で隠しながら、寝惚け眼を擦って、ジーパンだけの智がスマホ越しにしきりにお辞儀するのを眺める。
「本当にすみません。遅くなっても、必ずお線香はあげに行かせて頂きますので……」
「誰か、亡くなったの……?」
電話を終えた、智の背中に向かって尋ねる。智は飛び上がるほど驚いて、今更スマホを後ろに隠した。
「な、何でもない」
見たこともないような狼狽ぶりだった。あたしはまた、智に訊いた。
「何を隠してるの? 智、変だよ。愛してるなんて、言ったことないのに」
不意に智の顎の先から、涙がじわじわ上がってきて、瞳で決壊して流れ落ちた。また、抱き締められる。
「ごめん。でも、愛してる、って言うのが、俺の精一杯なんだ……美玲。美玲、愛してる……」
瞬間。VTRの逆再生みたいに、脳裏に走馬灯が流れ始めた。
そうだ。あたしは今朝、空港に向かうタクシーで、事故に遭ったんだ。大きなトラックとの、正面衝突。
でも飛行機に乗って、ここまで来たのも真実だった。
「あたし……」
右手を開いて見た。それは、半透明に透けていた。
「逝くな。逝くな、美玲! 幽霊でも何でも良いから……!!」
気付いてしまった。あたし、死んだんだ。智にきつく抱き締められたまま、あたしはどんどん透明になっていく。
「智……あたしも、愛してる。でもあたしのことは忘れて、幸せになってね……」
泡になって消えた人魚姫みたいに、あたしは仄かに輝く珠になって、ゆっくりと智を眼下に昇っていった。
End.
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