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一限目の授業は英語だった。 私は、一つ年下の学生たちに囲まれたいつもの席に腰を下ろした。 私と同じ落ちぶれ者で、留年をしてしまったごくわずかな学生を除いては、周りはキャンパスライフを謳歌している、留年というものを知らない、きらびやかな学生ばかりだ。 私は何の目的もなくスマホの画面を開いたり閉じたり、カバンの中を漁ったりして先生が講義室に入ってくるのを待った。 10分ほどが経って、先生が講義室に入ってくると、私が将来決して使わないであろう英語についての講義が始まった。 海外で暮らしてやろうなどという野心も無いのに、なぜ英語の授業なんて受けているのか。 大学というものには英語がつきものなのだろうけれど、私には大学に通う意味もイマイチ分からない。 ただ椅子に座って、講義の場にいるということを除けば、私はとても講義を受けていると呼べる状態ではなかった。 まず、先生の話は私の脳味噌を華麗に通過し、片耳からもう片方の耳へと抜けていった。 5秒前に先生が何を話していたのかも全く思い出せないレベルだ。 英語長文を通して先生が少子高齢社会だの人工知能だのについて熱く語っているが、そんなものにはこれっぽっちも関心が無かった。 私は模範的なクズ大学生なのだ。 おまけに、眠気もピークにまで達していた。 きっと全身麻酔を打たれたらこんな感覚なのだろう。 私が全く気づかぬうちに私は眠りの世界に引きずり込まれていた。 そんなようにして、両親が汗水流して働いて捻出した授業料のごく一部に相当する英語の授業が、何の収穫もなしに終わった。 最後に、気休めとして、前の黒板に書き連ねられた訳の分からない板書の写真を一枚パシャリと撮って、私は次の授業に向かった。 二限目の授業も大体同じような感じだった。 私が得たものは、授業終わりに撮った板書の写真だけだった。 板書は本来、先生の話ありきで理解されるものなのに、私は板書だけを切り取って、何かを得た気分になっているのだ。 二限目の授業が終わると、私は人が溢れかえった学食に向かった。 まったく、学食というものはなぜこうも混み合っているのか。 授業終了時間をずらすなりなんなりして、多少は混雑を解消できるはずなのに、一向に改善されない。 私は学生たちの波にもまれて、自らの意思とは関係なく麺類の売り場の前に流れ着いていた。 今さら学生たちの動きに逆行して他の売り場に行くのは面倒なので、私は適当にきつねうどんを頼み、レジ前でお皿に入ったサラダも取った。 会計を済ませ、空いている席はないかと、うどんとサラダの乗ったおぼんを持ちながら彷徨っていると、どこからか「結衣!」と呼ぶ声がした。 声に反応してきょろきょろとあたりを見回していると、10メートルばかり離れたところに3人の友達(そのうちの2人は友達と呼べるかは微妙だけれど)を見つけた。 彼女たちは私の学科の友達で、私が留年してしまったせいで、今は私より一つ学年が上だ。 私と最も親しい金田奈美(かねだなみ)が、彼女の隣の空いている椅子をぽんぽんと叩いている。 どうやら、ここに座れということだろう。 私は、なんだか中身の無い笑みを彼女たちに振りまきながらその椅子に座った。 「結衣、朝から授業だったの?」と奈美が尋ねた。 「うん。まあほとんど爆睡してたんだけどね。いびきも出たよ」 そう言うと残りの二人もフフッと笑った。 「相変わらずだね、結衣。どうなの?今年は大丈夫そうなの?」 私が留年したと知った人は、決まって私に、今年は大丈夫なのかと尋ねる。 「うーん、どうかな。さっきの授業の感じだと怪しいかもね…」 私はうっすらと笑いながら答えた。 「ヤバいね。まあでもなんとかなるよ。いざとなったら私たちが助けるしさ」 「そうだよ。過去問持ってる先輩とか私知ってるし、また必要になったら言ってよ」 残りの二人がそう言って何やら私を励ましてくれる。 その後は他愛も無い話をしながら昼食を取った。 三人は、昼以降の授業はないみたいなので、学食に居座って雑談を続けるようだったが、私は三限目も授業があるので席をたった。 「じゃあ、私は三限あるからそろそろ行くね」 「お、がんばってね。じゃあまたね」 私はまた亡霊のように次の講義室に向かって歩き始めた。 まともに勉強していれば、私だってあの三人の中にいたのだ。 けど、不本意な大学でまともに勉強するなんて無理だ。 でも、これも結局は自分で選んだ道じゃないか。 とぼとぼと歩いてると、後ろから肩をぽんぽんと叩かれた。奈美だった。 「結衣、なんか元気なさそう」 「それはいつもだよ」 「知ってる。でも今日はいつも以上だよ。なんだかめっちゃ思い悩んでそうだもん」 「悩みの多い年頃なんだよ」 「いやいや、大学生なんてみんな脳死で生きてるよ。結衣、本当に大丈夫なの?まず、留年しちゃった時点で相当心配なんだよ」 「私のお母さんみたいなことを言うね。平気平気。私は大丈夫。計画的留年っって言ったらどうする?」 「そんなはずはないね。だって結衣、留年が決まったとき相当焦ってたもん」 どういうつもりなのか、奈美はしつこく私のことを聞いてくる。 「よかったら今日、結衣が三限の授業終わった後にでもカフェに行かない?結衣が心配ってこと以外にも、私の悩みも聞いて欲しかったりね。結衣、相談に乗るの上手だからさ。悩みとか話しやすいんだよね」 「なに?おだててる?まあいいよ。結衣様におまかせ。じゃあ、三限が終わったら連絡するね」 そう言って私は三限目の講義室に向けて再び歩き始めた。 三限目は、一、二限目以上の惨状だった。 まず、昼食後の眠気にまんまとやられて、授業開始3分後には深い眠りに落ちていた。 そして、次に私が目を覚ましたときには、授業終了の10分前だった。 ずっと下を向いて寝ていたせいで、首が凄まじく痛かったし、無防備な私の口から垂れていたよだれが、服の胸元についていた。 周囲の視線をちらちらと確認しながら、ハンカチでこっそりと服についたよだれを拭き取った。 私がうつむくと、髪が私の横顔を隠してくれるので、横の人によだれを垂らしているところを見られたということはないだろう。多分。 完全に無駄な授業が終わると、私は奈美に「授業終わったよ」と連絡をし、キャンパス内で待ち合わせをして、近くのカフェに向かった。
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