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8
カフェに着くと、二人の用のテーブル席に案内されて、私たちは特に考えもせずに適当なアイスコーヒーと、ちょっとしたケーキを注文した。
オーダーを取り終えた店員が去って行くと、奈美は口を開いた。
「でさ、結衣、本当にいけてるわけ?」
「それ、お昼も聞いたよね。答えは変わらないよ。大丈夫」
「うーん、本当にそうだといいんだけどね」
「本当にそうだからそれでいいんだよ」
「まあ、なんか悩みあったら言っていいからね。ほんと。結衣って何考えてるのかイマイチ分からないんだよね」
「何も考えてないよ。寝て起きて、惰性で過ごしてるんだ」
「んー、何か深いこと考えてそうだけどなあ」
「深いこと考えてたら留年なんてしないよ」
やがて、注文していたものを店員が持ってきた。
そして、再び店員が去ると、奈美は話し始めた。
「実は、結衣に聞いてもらいたいことがあってね…」
どうやら、奈美は私に相談したかったようである。
というか、奈美は、私の悩みを聞くためにカフェに誘ったというよりは、奈美自身のことを聞いてもらいたかったのだろう。
「笑わないでね?割と真剣だから笑わないでよね?」
「笑わないよ」
「まあ確かに結衣は表情があんまりないもんね」
「心の中でも笑わないよ。だから早く言ってよ」
「ユーチューバーを始めようと思ってるんだ」
飲んでいたコーヒーを思わず吹き出しそうになってしまった。
もちろん、笑ってしまったという意味ではなく、驚いたという意味で。
「ユーチューバー!?」
私は思わず大きな声をあげていた。
周囲の客たちが私たちの方を何事かとちらっと見てきた。
私は咳払いをして続けた。
「待って、奈美。本気なの?」
「うん。なんか楽しそうじゃん。輝いてるじゃん。結衣、知ってるでしょ?私が女優になりたかったってこと」
確かに奈美からそういった話は聞いたことがあった。
事実、奈美はスタイルもいいし、顔立ちもかなり整っている。
「それで、奈美はユーチューブで生きていくつもりなの?」
「もちろん、最終的にはそうなれたら、それ以上のことはないね」
「待って、でも、ユーチューブで食べていくのって相当…」
と言いかけて、私は口を噤んだ。
絵で食っていくのは厳しい。かつて、父から言われたことだった。
そして、私は絵を諦めて、今のような自堕落な生活を送っている。
「相当…難しいかもしれない。でも、奈美は可愛いし、人気も出るかもしれない」
「私だってそんなに自分の容姿に自信があるわけじゃないよ。でも、なんだか今やらないと後悔するような気がしてさ」
「そうだね。やらないと後悔は絶対にすると思う。でも、奈美は大学を卒業するんでしょ?普通に就職したりはしないの?」
なんやかんや、私だって父と同じような考え方をしてしまうのだ。
誰かの人生の重大な局面で、軽々しく「君ならいけるよ」なんてことは言えない。
「どうだろう、分からない。でも、チャレンジしてみたいと思うんだよね。ねえ、結衣。いきなりこういうこと言っちゃって戸惑ってるとは思うけど、無理だと思うなら無理だってハッキリ言っていいよ。私は自分のことで精一杯で、視野がとても狭くなってるから。現実を見れない状況にいるんだ」
自分の目からは自分の顔や背中が見えないのと同じで、自分のことは誰しもあまり理解できないのだ。
だからこうやって、誰かに意見を求める。
私だって、自分のことはよく分かっていない。
けれど、私は奈美のようには簡単に人に悩みを打ち明けることはできない。
「さっきも言ったように、奈美は可愛いし、やればそれなりの人気が出ることもあると思う。だから…」
「だから…?」
「大学の勉強とか就活とかと並行してなら、チャレンジするのもありだと思う。考えたくないけど、もし万が一失敗しちゃったとして、勉強も就活もしてないってなったら、大変じゃん…?だから、ユーチューブ一本でというよりは、他のことも視野に入れながらやるといいとおもう…ごめん、なんか当たり前みたいなことしか言えなくて」
奈美はしばらく少し笑みを浮かべながら黙って私の目を見つめていたが、やがてこう言った。
「ありがとう、結衣。なんか、やる気出てきた!実は他の子にも言ったんだけどさ、無理だよとかばっか言われてへこんでたのね。結衣にそうやって背中を押してもらえるとすごい助かる。ありがとう」
よかった。私の助言は奈美を励ますことができていたのだ。
少なくとも、私の夢を破った父の言葉のようにはならなかった。
けれど、なんとなく父が私に絵の道を諦めるように言ったのも無理ない気がしてきた。
やはり、相手のことが心配なのだ。
もし失敗して、お金もなくなって、路上でのたうち回ることになったらどうしようだとか、考えてしまうから。
友人とかではなく自分の娘ときたら、なおさら心配だろう。
父が私を思ってああいうことを言っていたのだとしたら、私が父を完全に拒否してしまうのも、やはりなんだか申し訳ない気がしてきた。
なんとなく、父を理解してみようという気持ちが起こってきた。
「いいよいいよ全然。私は空っぽの言葉なんか言わない。本当に奈美ならやっていけるかもしれないって思ったから、そう言ったんだよ。そりゃ私だって、絶対に無理だと思ったら無理だって言うよ。けど、奈美は違う。だから自信持って!」
その後は、下らない話(まあ話なんて基本は下らないけれど)に何時間か花を咲かせて、日が落ちてきた頃に帰ることにした。
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