3.Ωの戦闘員は悩む

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3.Ωの戦闘員は悩む

   任務を終え研究所に帰還すると尽元は、規定通り抑制剤を服用した。これはビョウハスイハ医療部門が、特別に調合した一点物。  Ωだという事が誰にも悟られぬよう、Ωとしてのフェロモンを完全に打ち消すものだ。特に尽元は燐光と鉄石の比ではない程Ωとしての特性が強く、フェロモン量も通常の倍以上。    Ωという立場の生き辛さは、理解が広がっているとはいえまだまだ緩和されていない。  しかも、尽元は対特殊能力者を相手にする戦闘員。  Ωという立場、ヒートの存在。  それらが戦闘の足枷、最悪の場合命取りにも成りかねなかった。  冷たい水で飲み下した大量の薬。溜息を吐きながら、テーブルにコップを叩きつける。 「はあ……、間に合ったぞ畜生……」  厳格に決められた尽元専用の薬を服用する時間は、1日5回前後。先ほどの戦闘時が丁度その時で、時間通り服用できなかったが為に規定より多く使用する羽目になった。  武器開発部門に所属しているが、自ら望んで前線に立っている。それに不満は無い。  しかし、こんな風に毎回Ωとしての自分自身と、薬に振り回されてしまえば嫌気もしてくるというもの。 「どっかに運命の番落ちてねぇかな……」  般若面には顔を隠す以外にも変声装置の機能もついており、戦闘を終え面を外した声は加工されていない地声。コンプレックスであるやや高い声が、億劫そうな声を出す。    戦闘の気疲れ、服用が遅れた事でフェロモンが漏れてしまう恐怖。  その二つによる精神的な部分と、肉体的な意味での疲れが事件現場から離れた今になって押し寄せてくる。  投げやりな気持ちになりながら弱音を吐き、床に蹲ると倒れるようにぐったりと横たわった。 「紫電般若が伴侶募集ですか。αが入れ食い状態でしょうし、選び放題ですよ」  ぴた、と頬に冷たいペットボトルが当てられる。目だけを上に向けると、そこには室内着の上に白衣を羽織った燐光。耳に髪を掛けながら腰を屈めて、こちらを見下ろしている。  傷だらけの手を伸ばして、苦笑いをしながらペットボトルを受け取る。 「台詞はともかく、おっぱいがある年上美女にやって欲しかったなぁ……今の仕種」 「35歳のおじさんで申し訳ないですね。……具合は?」  緩慢な動きで体を起こし、ペットボトルに口を付けた。薬を飲む為ではなく、喉の渇きを潤す水。半分ほどを流し込むと、意識が少し冴えてくる。   「ん、さっきより良くなった」 「顔色は幾分マシになりましたね」    服用タイミングを把握している燐光も心配していたようで、先ほどより体調が良くなった様子に安堵の表情を見せた。  しかし、尽元の表情は明るくなれない。膝の間に顔を埋めてから、深いため息を吐く。  それから顔を上げ、燐光と視線を交わした。   「師匠、多分もうすぐヒート来る」 「また、間隔が短くなって……。1ヶ月に一度のペース、これでは尽元の負担が増える一方ではないですか……」  通常Ωの発情期は3ヶ月に一度程度と言われている。しかし、現在はその半分程度の周期で、発情期を迎えるようになってしまっていた。    成長と共に強くなっていくΩ特性。  それを抑えて戦場に立とうとすればするほど、反発は大きくなるばかり。  Ωとしての自分を受け入れαの庇護下に入る事が正しい、と言わんばかりの体の反応。   「抑制剤飲みまくって、ヒートで1週間近く閉じこもって。俺は常に現場に立ちたいってのに……。Ωが……俺が戦おうとする事はおかしいのか。こんなに毎回毎回体調もしんどくてさ……」 「尽元……」 「助けられる奴が居ないと、助けてもらえないんだよ……。あの時みたいに……」  薬が上手く服用できない事に加えて、ヒート前倒しの予兆。あまり湿っぽい事が苦手だというのに珍しく、気分が落ち込んでしまう。尽元が消沈してしまうと燐光も悲しげに目を伏せ、余計に気分が重くなる悪循環。    中上尽元がΩを公表すれば、マスコミは面白おかしくそれを囃し立てるだろう。  Ωである尽元に性的いやがらせや、危害を加えようとする一般人。富裕層は尽元の存在に算盤を叩き、Ωとしての利用価値を画策するかもしれない。    何より一番の脅威は、真具赫焉。  Ωである事が判明するや否や、組織を上げて保護……というよりも捕獲しようとするに違いないだろう。  もっともそれは、尽元が能力者として自他ともに認める戦闘能力を所持するが故の事。  ビョウハスイハの戦力を真具赫焉が少しでも削ぎたいと考えるのは、妥当なはずだ。    少し考えただけでも尽元がΩをカミングアウトするには、デメリットが多すぎる。  かといって、Ωフェロモン緩和の為に適当な番を見繕う。などという情の薄い事が出来る様な性格で無い事は、自分がよく分かっているのだ。    中上尽元として19歳から現場に立ち、今年で5年目。  活動初期に比べて薬とフェロモン分泌量は、犯人の確保率と共に右肩上がりとなっている。    成長に伴うフェロモン増加、ストレスによる精神不安。性欲発散方法が自慰のみである事、パートナーが居ない事。  それらが原因である事は分かっていた。    簡単に解決出来る事ならば、周囲も協力しただろう。しかし、ストレスは犯罪者を相手にしていれば、必然的に発生する。フェロモンに関しては、医療部門が研究と調整を続けているが芳しい成果は出ていない。   「……なーんてな」    場を支配する息苦しい沈黙を破る為に、尽元は底抜けに明るい声を意図的に腹の底から出しておどけてみせた。 「おかしいも何も俺がやりたいと思ってる事なんだから、やる。それだけ」  苦笑しながら、思いっきり背伸びをして立ち上がる。弱音と自問は一瞬だけにしたい。これ以上この空気を引き摺りたくはなかったからだ。    苦しそうな表情をしていた燐光には、既に番が居る。フェロモンによる弊害や、苦しみを、味わう事はもう無いのだろう。  それを羨ましく思う気持ち、互いにΩであるというのに立ち位置が大きく違う事をもどかしく思う気持ち。それは互いの心中に存在していた。    そういった理由もあり、尽元はあまりΩとしての悩みを打ち明ける事は無い。  しかし、今回こうして口に出すほど、強いストレスだと感じてしまった事実。  その僅かなサインを、燐光が見逃すことは無かった。尽元が話題を切り替えようとするより早く、何かの合図なのか手をパンパンと叩いたのだ。   「鉄石、連行です」 「はいよー、っす」  キッチンの入口には、成り行きを見守っていた尽元の弟弟子である鉄石。  燐光に名を呼ばれた鉄石は、びしっと敬礼してみせる。すると、ふわりと――尽元の体が風を操る鉄石の能力で、床から浮いた。   「ちょ……鉄!?」    抗おうとする尽元はそのまま宙に留められたまま、キッチンの隣にあるリビング兼作戦室へと文字通り連行される。  鉄石は尽元をソファーに横たえると毛布をかけて、少し強めに腹を叩く。   「ぐえ」  尽元が体を起こすより早く、肩を燐光に押さえられソファーに戻される。   「ぐええ」 「ようやく弱音を吐いてくれましたね、貴方の不調はいつも心配していましたから」 「はいはい、大人しく休むっすよ。ヒート前であそこまで大立ち回りするってのが、そもそも元ちゃんは規格外っす」  19歳にしては少し童顔な顔を険しく歪めながら、鉄石は尽元の胴体を両手で押さえてくる。振り払う事は簡単だが、鉄石と燐光相手にその選択肢は選べない。  尽元は低い呻き声を発しながら、ソファーの上で二人に見下ろされた。   「やりたい事をやるのは、大いに結構。ですが、自分が出来る事を見極めるのも実力の内でしょう。やりたい、だけでは実際通用しなくなっていますから――貴方のΩとしての性質は」 「まあ、な。実際ヒートは早くなった。それをストレスに感じて、さっきみたいな凡ミスがあるのは自覚してる」 「そこまで分かってるってのに、何もないような顔して犯人確保に出てるからあんた本当に性質悪いっす。さっきも着地失敗しそうになって、心臓に悪いから勘弁っす……」  尽元は少し癖のある鉄石の黒髪へと手を伸ばし、頭を撫でた。二人からの配慮――力づくではあるが、に無理矢理強がろうとしていた自分自身が情けなくすら思えてくる。 「すまん」 「……元ちゃんはさ、もう何をすれば良いか分かってるはずっすよ? あんただけが中上班じゃねえっす……」  燐光と鉄石が発する言葉の節々から伝わってくる気遣いと、自惚れるなという言外の意思。   「焦りは禁物、ってか」    尽元の表情から憂いが消え、照れくさそうに頬を掻く。  見下ろしてくる二人の表情が期待するようなものに変化する様子を目の当たりにし、尽元は自分に対して周りが何を思っているのかを感じ取ることが出来た。   「その通りです。少しだけ、休憩してみませんか尽元」 「……おう」  フェロモンの件もそうだが、現場の最前線に立つストレスは尽元の中に蓄積していたのだ。  事件がいつ発生するかは分からず、纏まった休暇を取るなんて至難の業。  ましてや尽元は、重大犯罪相手の切り札的存在になっている。燐光と鉄石に比べて、その現場への出動率は自然と高くなってしまう。    尽元に圧し掛かる負担は鉄石も燐光も良く理解しているようで、尽元自身が多少気まずく思う程気遣いもされていた。  ただ尽元が戦闘に立ち続ける事へ固執して無理をしていた為に、仲間達からそれを強く止めるような真似はされた事が無い。  今回ようやく尽元が自ら隙(・)を見せた事により、説得の余地が出来たようだ。 「あんたは、今までが過労気味だったから。フェロモンの事もあるし、一回仕事から離れた方が良いっすよ」 「……おう」 「ビョウハスイハには優秀な戦闘員が貴方以外にも沢山居ます、うぬぼれないように。……つまりはあまり無理をする必要は、ありませんということです」 「師匠、すんません……」 「沢山の人達を守る力と強さが、元ちゃんにある事は分かってるっす。でも、元ちゃんが壊れちゃったら、俺の大好きな元ちゃんの代わりは居ないから」 「ありがとな、鉄」  燐光と鉄石はその隙を逃すまいと畳み掛けてくる、尽元はそれを全て受け止める姿勢を見せる。 「ビョウハスイハに入ってから長期休暇も無かったですし、1ヶ月くらいいただきましょう。今の三人体制になる前は尽元と二人でやっていたわけですし、鉄石と私だけでも1ヶ月くらい十分任務を全うできますよ」 「俺も今年で現場2年目。フレッシュなスーパールーキーにお任せっす」  ここまで背中を押されてしまっては、戦場の外へ一歩踏み出す度胸と決心くらい簡単に生まれるもの。 「休んでフェロモンやストレスが、すぐどうにかなる……なんて事は思ってねぇ。師匠達の仕事量も増えちまうけど」    力を抜きソファーに体を預けて、降参とでも言わんばかりに両手を上げる。  表情は先程より清々しい 「お言葉に甘えて……休暇をいただくのも悪くないか」    燐光と鉄石が顔を見合わせ、嬉しそうにハイタッチをする光景。それを見て、ようやく尽元も心の底から笑みをこぼす事が出来たのだった。  
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