氷哀オメガエンドレス1

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氷哀オメガエンドレス1

※残酷表現、グロテスク、テロ・死亡表現あり ※本編より10年前。尽元の弟、閑の過去編。  休日を楽しむ人々で賑わっていた日曜日の昼下がりは、爆破テロにより一変した。  凄惨な有り様となってしまったショッピングモール、その中を一人で彷徨う少年。  要屋閑(かなめやしずか)は、脚を引き摺りながら進む。  はぐれてしまった兄を探し、物言わぬ肉塊となってしまった人々の合間を縫い前へ前へと。  もうこのフロアで生きている人間は、自分だけなのかもしれない。そう思ってしまう程に、地獄のような光景が広がっていた。 (お兄ちゃん)  父と母の優しい顔を思い出そうとする。けれど、目の前で自分達を庇って絶命をしたあの光景が蘇ってしまう。  零れ落ちそうになる涙を堪え、唇を噛み締めた。爆発から逃げる内に散り散りになった兄の顔を思い出し、きっと生きていると願いながら――それだけを頼りに地獄を行く。  暫く歩いてからようやく、エスカレーターが設置してある吹き抜け部へと辿り着いた。辺りを見回せるようになったせいで、残酷な状況をより把握してしまい思わず目を伏せる。  目に入ってきたのは、誕生日に買ってもらったお気に入りのスニーカー。他人の血と足の傷から零れた血で真っ赤に染まっており、血の気が失せた唇から小さな悲鳴が漏れた。    ショップで売られていた服は焦げ、黒い塊がマネキンなのか人間なのか。もう判別がつかない。  下の階からも、上の階からも、爆発音が聞こえてくる。    絶望で満ちている光景。恐ろしい空間。  その場に立ち止まって(うずくま)り、泣き出してしまいそうになる。それでも自分を奮い立たたせようと、たった一人大切な兄の姿を思い描いた。  恐怖と孤独に歯をガチガチと打ち鳴らし、涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながら。それでも閑は歩みを止める事は出来ない。   (お父さん、お母さん)    両親に助けを求めた、その時。   「誰か! 誰か、助けてくれーーーー!」    上の階から兄の声が聞こえてきたのだ。  目を見開き、涙をポロポロと零しながら声のする方へと駆けていこうとする。    しかし、耳障りな爆発音が右側から体の中に流れ込んだ。肌を焼く様な熱風と黒い煙が押し寄せ、未成熟である体は簡単に呑みこまれてしまう。   (やめて、いやだ、僕は、僕は……!)  しかし、爆炎に吹き飛ばされた体から、水色の淡い光が溢れていく。光は天井と床に張り付き、体をその場に固定してくれた。  さらには、凄まじい爆風から身を守るかのように閑の周囲に光が収束する。      熱いはずなのに、冷たく。  体の奥底から、ピシリ、パシリ、と、何かが砕ける音がした。  閑の瞳が澄んだ水色へと変化し、高揚感に耐え切れず唇は蠱惑的に笑んだような気がする。  その時、地獄に新しい生き物(ケダモノ)が生を得たのかもしれない。      暫くすると嵐のような爆発は終わり、徐々に煙が薄くなった。  閑は突如として自分の体に湧き上がってきた、不思議な力に戸惑う。  水色の光はの壁となり、炎と爆発から守る役割を果たしていたのだ。    もう氷は必要ないと心中で呟いてみる。すると、壁はパリンと音を立てて砕け散った。    突然使えるようになった特殊能力に驚きはしたが、それを深く追求する暇はない。  ただ一つだけ、確かな事。  その力は自分が前に進んでいける、希望だという事実。   「……お兄ちゃん」    疲れ果てた脚から力を振り絞り、もう一度足を踏み出す。すぐそこに居るであろう兄を思い、閑は顔をふわりと春の日差しのように綻ばせた。  機能を停止しているエスカレーターを一歩ずつ、ゆっくりと上る。  生きている、お兄ちゃんが生きている……!  もうすぐ……!!    頭上から降ってくる瓦礫やよく分からないがぶつかりそうになるも、兄が生きていると分かったお蔭で構わず足を進めることが出来た。  行く手を阻もうとする塊やを、まるで虫を追い払うように手で軽く払い除ける。それらはとなり、地へと落下した。そんな事、今の状況においては、些末なことなのだ。    燃え盛る炎、立ち込める異臭、遠くで聞こえる絶叫。    阿鼻叫喚の最中、閑は嬉しそうに笑みながら上へ上へと向かっていく。    正常な精神の人間が此処に居たのならば、誰かが閑の歩みを止めたのかもしれない。  ただ生憎この場は、大量虐殺が行われてしまったテロ現場。  既にそういった人間達は、物言わぬ骸となっている事くらい。  閑が、一番良く分かっていた。   「お兄ちゃん……」    もうすぐ、次のフロアに辿り着くという所で、閑の体が宙に浮く。    爆風で体が反転し、目に映るのは下層階のエスカレーターが悉く破壊された光景。  一度宙に投げ出され、浮いてから、落下する。    あと少しで兄の元へと、辿り着くはずだったというのに。  希望と目標が直前で潰えてしまった絶望に苛まれ、先程のように力を使う事さえ出来ない。    虚ろな表情のまま涙を流し、悲鳴一つ上げる間もなく落ちていく。    しかし、ボロボロの体は突如としてその場に制止した。見えない壁にぶつかったような感触、立ち上がろうとするが頭に何かが当たってしまい体を起こす事は出来ない。  徐々に閑の体が高層階へと向かって、上昇していく。  投げ出していた足が見えない壁に押されたので氷を纏わせて恐る恐る蹴ってみたが、びくともしない。  手を伸ばして周囲を触ると、四方を囲むように見えない壁が存在しているようだ。  透明な四角い箱、それは閑を炎や爆発から守りながらエレベーターのように真上へとゆっくり昇る。    ――兄をこの場所に置き去りにしたまま、閑だけがまた一人で。  閑は得たばかりの能力を駆使して箱を破壊しようと試みたが、見えない壁は頑丈で自分の手や足が傷付くばかり。    眼下に見える破壊されたショッピングモールと、命を失った亡骸の群れ。その光景を切り裂くように、眩い雷が一筋煌めいた。  箱の底部分に顔を押し付け、それを食い入るように閑は見つめる。   「……あ、ああ……」    そこには凛々しい表情をした兄が、涙を頬に一筋流しながら仁王立ちで立っていた。  兄の背後には見知らぬ少年。きっと彼と自身を守る為に、兄もまた特殊能力を覚醒させたのだろう。    お兄ちゃん、そう叫ぼうとして口を閉ざす。    自分に危険が及ばない場所。そこで兄の無事を確認した今になって、先程の自分の狂った精神状況を改めて理解してしまったのだ。  兄の元へと向かう最中、上層階から落ちてくるを凍らせた。  しかし、それは本当にだったのか?  生きている人間は居なかったにしても、それは生きていた人間だったり、人間の一部だったはずのもの。  自分を見つめていた虚ろな瞳、焼けただれた肌、子供服の切れ端。それらを何の考えも無く、兄の元へ行くための障害になると判断し――全てを凍らせた。    現実から精神が離れ、兄の事だけを考えて行動してしまっていた時の記憶が閑の中に戻ってくる。  込み上げてくる吐き気と罪悪感。  兄は、この地獄のような場所でも自分を見失う事は無かった。  眩く輝きながら自身と見も知らぬ少年を生かす為、覚悟とそれに相応しい力を以って此処に居る。    それに比べて自分は、なんと弱い人間なのだろうか。  だというのに、どうして、自分だけがこうしてこの場所から解放されることが許されてしまうのか。    まだ氷の力を上手くコントロールできていないようで、流した涙はすぐに凍ってしまう。  箱の底にコロン、カラン、と氷の粒が落ちた。    遠ざかっていく兄の姿を見つめながら、閑はただ祈る。 「……誰か、お兄ちゃんとあの子を早く迎えに来て上げて……。お願いだから……、早く……」  兄と少年がどうか無事にこの場所から――生きて、解放されますように、と。  
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