氷哀オメガエンドレス2

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氷哀オメガエンドレス2

   歪な形をした氷の粒が、箱の底を埋め尽くした頃。  閑は建物の最上部まで運ばれ、兄よりも先に外の世界へと生還を果たした。  何故か車が一台も無い屋上駐車場には、多数のヘリ。そこから武装した人間や武器が次々と出てきては、店内へと突入していく。  丁寧な降下でコンクリートの上に体が触れると、見えない箱が霧散し粒が四方に弾け飛んだ。  屋上では炎や煙に怯える必要は無く、死の気配が漂ってもいない。  閑は震える足で立ち上がり、空を見上げる。  雲一つない快晴、絶好の洗濯日和だろう。  本当なら自分も買い物を済ませた後、両親達と洗濯を干して昼ご飯を食べて、呑気に昼寝やゲームでもしていた未来もあり得たはずだ。    たった一人、助かってしまった今。  あの地獄から解放されたというのに、幸福な気持ちや安堵はほんの少しだけ。  寧ろ、湧き上がってくるのはやり場のない怒りと後悔。  そして、苦しい気持ち。    ここからまた日常を生きていく必要があるというのに、弱い自分に対しての絶望。    感情の昂ぶりと呼応するように特殊能力が発動し、閑の周囲に再び水色の光がふわりと淡く灯る。  吐く息が、白い。体温が下がっていくと意識は朦朧としたが、それを今は心地よく感じた。    死にたいわけではない、はずだ。  父と母、そして兄。家族によって生かされたこの命を、捨てる事など出来るはずがない。しかし、最後に見た兄の姿と自身がした行動が頭を過ぎり、自責の念が心を苛む。  他者を蔑ろにした自分が、どうして生を得たのか。   「お兄ちゃん……」    屋上から店内へ続く扉、それを見張る人間は二人。  寒さに震える足を一歩踏み出して、その場に崩れ落ちた。    兄を迎えに行きたい、兄に会いたい。そう願っているはずだが体は震え、涙が止まらない。  正気を失う程、兄を切望した。  けれど、生と外の世界を手に入れてしまった今は――あの地獄へ舞い戻る事が怖くて堪らなかった。    正気にもなりきれず、狂人に堕ちる程の度胸も無い。どっちつかずの半端者。それを思うと情けなくて、涙が押し寄せてきてしまう。    コンクリートの上に座り込み、天を仰いで悲しみに咽ぶ。  涙は氷の粒となり、日の光を浴びながらコンクリートの上に転がり落ちていった。   「あ……う、ぁっ……くっ」  子供らしくただ泣き喚けるような性格では無く、体を丸めて蹲る。  弱くて、どうしようもない、臆病な自分を隠すように、声を押し殺して泣いた。   「……ひ……くっ、ふ……ぅっ」 「…………おい、ウヌキ。子供の扱い分かるか? 取り急ぎ、泣き止ませる方法を」 「小生(しょうせい)もさっぱりだ、雷同(らいどう)。かといって無理に連れて行くのは……流石に酷だろう」  閑の微かな嗚咽を掻き消す、困惑した大人の声が二つ現れた。  それに閑も気付いたが、一度あふれ出した悲しみをすぐに止める事は出来ない。   「雷同、とりあえず少年を背負え。怪我をしているようだから、小生達でまずは応急手当をせねば」 「……嫌だ」 「…………何故」 「………………俺は、変態ではない」 「そんな事は知っている。何を馬鹿な事を言って、…………おい。まさか、雷同」 「……………………ち、違う……俺は……俺は……!!」  涙が引っ込むというのは、まさに今この瞬間。  聞き耳を立てていた訳ではない。しかし、耳に届く会話の何と緊張感の無い事か。  自分はまだ成人していない学生だが、大人達の会話も随分子供染みていた。  閑はそろりと体を起こして、屋上に座り込みながら目の前の男達を見上げた。   「あ……」    一人は痩身で背が高く、白衣を着た男。  完全に顔を隠す形で首から上には、真っ赤な林檎がそこにある。  光沢を放つ林檎の被り物。髪や表情、顔の輪郭。それらを何も察する事ができない容貌は、見る者の不安を妙に掻き立てた。    林檎頭とは対照的に黒づくめの格好をした、フルフェイスヘルメットの大男。黒のレザーロングコートの裾が、屋上の激しい風に揺れている。    外見に癖がある二人は閑が顔を上げている事に気付いていないようで、言い争いの真っ最中。大男が前屈みになって股間を隠している光景が、やけに印象的だった。   「貴様は非常事態に何を考えている!! この変態無節操雷同!」 「お前と違って俺は番無しのα、反応は生理現象! それに俺は未成年に食指は動かない!」 「実際に動いただろう! でかい食指が!」 「不可抗力だ!!!!」  とりあえず声を掛けていいものか悩み戸惑いつつも、体育座りで待機する。ふと閑の目に入ったのは隣に置いてあったペットボトル飲料。『Ω用抑制剤』と書かれた薬袋。    薬袋と大人達を何度か見比べてから、勝手に錠剤を拝借した。  閑は約半年前にΩ認定をされたばかりで、発情期やフェロモン等に悩まされたことはまだ無かった。何故自分の事をΩだと判別できたのかは謎だが、彼等は見るからにαだと分かったのでそういう事なのかもしれない。    中でも外でもそれなりに泣いていたからか喉が渇いていたようで、音を立てながら水を体の中へ入れていく。   「俺の好みはもっと、こう強いけど物わかりが良い奴だ! …………お」 「貴様の好みなど知るものか! ……おや」  そこでようやく気付いた大人二人が言い合いを止めて、閑を見た。  急に注目された閑はビクッと身を竦ませ、ペットボトルを両手で持ちながらおずおずと頭を下げる。   「あの……薬、ありがとうございました。勝手に飲んでしまってごめんなさい」 「いや、その、飲んでくれて助かった。小生は、ウヌキ。騒がしくしてすまなかったな。少年、名前は?」 「閑、です」  林檎頭――ウヌキの声は加工され更にノイズが入っている。棒読みで時折音が外れる独特な喋り方が、見た目の不気味さと不安を増長させる。しかし、気遣っているような様子があるのは分かった。  ウヌキは腰を落として閑と目線を合わせてから、髪を撫でてくる。  生きている人間の体温がじわりと染み込み泣きそうになるが、枯れてしまったのかもう涙は溢れない。   「俺の名は雷同。すまなかった、閑。信じてもらえないのは承知だが……、お前に何かするつもりは無い。今の会話で不快や不安に思わせてしまったのなら、謝罪する」 「いえ、僕も薬をたまに飲み忘れていたので……。フェロモン、のせいですよね?」 「……ああ、俺もウヌキもαだからな」    ウヌキが退くと、今度は大男――雷同が閑の前へ。身を屈め居心地が悪そうに大きな体を曲げて頭を下げてくる彼に、閑の方が申し訳ない気分になってしまう。  雷同は膝を床に置いたまま、体の向きを変えて背中を見せてくる。  普段ならば見ず知らずの人間に対して、接触をしようとは思わない。けれど、この状況で大人が差し伸べた善意の手を拒む理由は無かった。  閑は大きな背中に体を寄せて、雷同の肩を掴む。重そうな素振りなど微塵も見せず、雷同は軽々と閑を背負って歩き出した。  閑からペットボトルを受け取ったウヌキが隣を歩きながら、雷同の股間をその林檎頭で覗き見る。 「ふむ、今度は勃起しなかったようだな」 「人をケダモノみたいに言うんじゃない」  雷同の肩越しに見えた大きなテント。閑は背負われたまま、そこに向かって運ばれていく。温かく大きな背中にそっと頬を寄せ、閑は目を閉じた。  ウヌキと雷同は相変わらず漫才のように言い争いを続けているが、今はその声が心地よい。もしかしたらこの重い状況を一瞬でも忘れさせようとして、わざとやってくれているのかもしれないと閑は思った。    ヘリコプターの音、風の音、雷同の鼓動、背中を撫でてくれるウヌキの掌の熱。  まだ非日常からは抜け出せていないが、やっとほんの少しだけ生きている事を幸せに思えた。    閑は暫く雷同の背中で束の間の安らぎに身を委ねていたが、ふいに日光の感覚が無くなる。  目を瞬かせながら、顔を上げるとそこは薄暗い空間。目的地のテントに着いたようだった。   「まずは治療からだな。小生の部下達に任せておくと良い」 「ありがとうございます……」 「そう緊張しなくても大丈夫だ。見た目はアレだが、ウヌキの部下には治癒系能力者が揃っている。安心して身を任せておけ」    ウヌキの手を借り雷同の背から下りると、今度はふかふかとしたソファーに座らされた。  ウヌキの物より小振りな青林檎の被り物をした白衣の人物達が、閑が傷を負った脚の治療を手早く始めていく。  居心地の悪さに身を縮こまらせていると、両脇にウヌキと雷同がどっかりと座った。気にするなとでも言わんばかりに、頭と背中を撫でられる。出会って間もないにも関わらず、その行為によって安心する事が出来るのだから不思議だ。  ソファーに体を預けようやく周りを確認できる程に落ち着くと、前方の人だかりに気が付いた。    王様が使うような立派な椅子に座っているスーツ姿の男性、彼の周囲には年齢もバラバラな五人の男女が群がっている。  その内の二人は彼の腕を掴み、もう一人は背後に立ち彼の目元を両手で覆う。後の3人は彼の体にしなだれかかり、肌を密着させていた。  一人の男性に数人が身を寄せている姿は、兄が見ていたハーレムアニメの場面を思わせる。  一見異様な光景だが、彼等からいやらしい雰囲気はまったく感じない。寧ろ伝わってくるのは、緊迫した空気。  閑は声を絞りながら、ウヌキ達に問いかける。   「あの方達は、一体?」 「大体は透視系の特殊能力者だ。個々に店内の様子を見ている。それを一つに統合して、真ん中に座っている男の視界と共有させ……」 「ウヌキ、分かりにくい説明をするな。まあ、簡単に言うと。椅子に座った男が監視カメラの映像を一つの大きなモニターで一気に纏めて見る為に、周りの奴らが能力を使っている……という説明で分かるか?」 「…………な、何となくは」    突然飛び交う小難しい言葉に少し混乱しながらも、閑は説明を理解しようとする。ようやく自分の中にそれを落とし込んでから返事をすると、ウヌキが先生のように良く出来ましたと褒めてくれた。  黒い手袋を嵌めた雷同の指が横から伸び、椅子に座った男性のみを示す。  
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