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氷哀オメガエンドレス3
「あの男……弥久(びきゅう)って奴が、店内を見て一般人を100人単位で常に救出し続けている」
「つまり、閑が思っている以上に生存者は多数いる。小生達も手は尽くしているからな、そこは安心して欲しい」
「……良かった。でも、……どうやって?」
「弥久の特殊能力と救出方法については、小生でも詳細説明が難解になる為すまんが省略する。だが、あいつの能力をもう少年は経験しているはずだ」
「……もしかして、あの人が僕を助けて下さったのでしょうか……?」
二人の沈黙は、肯定のようだった。戸惑う閑の視線がもう一度――弥久を捉える。
目元は見えないが、彼が美しい顔立ちをしているのは分かった。椅子に座っていて分かりにくいが、恐らく長身で無駄の無い肉体をしているように見える。こざっぱりと揃えられた黒髪が、彼の美しい顔の輪郭に恐ろしい程似合っていた。
観察して分かったのは、容姿が整った男性だろうこと程度。しかし、それだけではない何か胸の奥がザワザワするような、そんな感覚が閑の中に芽生える。
「弥久、様」
恩人だからというわけではなく、自然と唇から零れ落ちた甘い声、甘い言葉。
自分の声に反応してか、瞳を覆う指の隙間から彼の視線が送られる。
その瞬間、甘く官能的な痺れと今まで感じたことの無い多幸感が閑を包んだ。
それは、まるで能力を初めて使ったあの時のような。
そして、感じる。
魂の番。運命の相手、あるいは魂が結びつく唯一無二の存在。
出会えるかは分からない、存在しているかも定かではない。
けれど、出会えば分かってしまう。
オメガバース検査の際に聞いた言葉が、閑の中で思い起こされる。
目の前に居る彼、弥久こそが自分というΩにとって、絶対的な運命を持つαなのだろうと本能的に思い知ったのだ。
愛しい、どうして、愛しい、何故、初めて、出会ったばかりで。
――彼が、欲しい。
閑は顔を両手で覆い体を丸めて、自分の中に去来する唐突で初めての感情に戸惑う。
ウヌキが背中を曲げて顔を覗き込んできたが、何も面白いものなどないだろう。
初対面の相手に対して、うっとりと頬を染めてしまっている男子学生の表情なんてものは。……と、閑は思っていたが、ウヌキにとってはそうでは無かったようだ。
「ふむふむ。魂の番だと認識した後の初々しい反応、一種感動すら覚える。小生の時は、もっと情熱的だったのでな」
「情熱的というより即物的だった、お前とあいつの時は」
「そういえば、小生達はすぐセックスしたな。そのまま発情期(ヒート)に突入して、愛欲の日々だ。羨ましいか?」
「はあ……。お前も俺の事を、批難できる立場ではないだろう」
再びのウヌキと雷同の漫才に顔を真っ赤にしたまま飛び起きた。顔は見えないが雷同はウヌキの発言に呆れていて、ウヌキはニヤニヤとしている様子をしているに違いない。
「そう慌てるな、冗談だ」
「じょ冗談……」
「よし、さっきより随分人間らしくなってきたじゃないか閑」
ウヌキに頭をぐしゃぐしゃと掻き乱され火照った顔のまま不貞腐れた表情になってしまうが、言われた通り『感情』が戻ってきたように閑も感じることが出来た。
「小生は有り難い事にも魂の番に出会い、残りの生を共に過ごす事を許された。しかし、たまに思う。魂が惹かれる程の恋、なんてメンドクサイと」
「メンドクサイ?」
「ああ、そうだ。おかしいだろう、人間が行為を抱く際、容姿や性格、はたまた金や権力。何かしらの理由があるはずだ。しかし、魂の番にはそれがない。本当に魂だけで惹かれあう」
正気では無かった時に比べて、まだ幾分冷静というか人間味のある思考になっている事に安堵する。
ウヌキの部下が飲み物を差し出してくれたので、ありがたくそれを受け取りお礼を言うゆとりもあったほどだ。
けれど、喉を滑り落ちていく水に体を冷やされながら、ウヌキの言葉が頭の隅に熱を持ったまま居座る。
「理由が無い愛なんてものほど、メンドクサク愛おしいモノは無い」
ウヌキが出す本当の声ではないはずだったが、閑には幾つもの感情が混ざり合った複雑な音に聞こえた。
目が無い林檎頭と視線が交差したような、感覚がする。
閑は何かを口にしようとして、もう一度口を閉じた。
「さて、そろそろか」
白衣とコートを翻しながらウヌキ達は立ち上がり、閑の手前にあるソファーに座り直した。
そして、遂に核心について触れてきたのだ。
店内の様子、被害の状況、テロを引き起こした犯人たちの情報。そして、閑の身に起こった悲劇。
つい先ほどまで地獄に身を置いていた閑にとって、酷な質問ばかりだった。
散々涙を流し尽くした為か、感情が戻ってきたからなのか。あまり話していても辛く感じなかった事は、救いだったのかもしれない。
質問に答えながらもすぐ側に居る魂の番について詮索したいと焦る気持ちはあったが、それはウヌキ達の会話で徐々に紐解かれる事となる。
閑はウヌキの姿とヘリに描かれていた紋様をニュースで見た事があったような気がしたのだが、それは間違いではなかったのだ。
対能力者特化組織 真具赫焉。
その名が雷同の口から出てきた時には、驚くより納得してしまった。どう見ても彼等は一般人には見えない。
真具赫焉と似ている組織にビョウハスイハがある。特殊性分類――オメガバース性にこだわっていないビョウハスイハ。そちらは正統派ヒーローといった人材が多く揃っており、テレビやマスコミへの露出も高い。
しかし、真具赫焉は組織として謎が多いらしかった。会社として成り立っているビョウハスイハとは違い、どのように資金確保が行われているのかも不明だとニュースで見たことがある。
「俺は裏方、目立つ行動はウヌキがやってる。ウヌキを見た事があるなら、真具赫焉の事も少しは分かっているか」
「小生達が一般市民にどう見られているのかくらいは、把握している。簡単に言えばαとΩ贔屓の暴れ者といった感じだろうか」
座っているソファーの周囲には、同じデザインの赤ジャケットを着用した集団。彼等はマスクや被り物等で顔を隠しており、膝をつき微動だにもせず控えている。
ウヌキ、雷同、弥久だけは個性的な格好をしている所を見ると、彼等が真具赫焉で上の立場に居る人物だという事も察せられた。
自分の面倒を見てくれた大人が凄い組織に居る人達だと、改めて認識した途端。自分のような子供が発言しても良いのかと、尻込みしてしまう。
それでも伝えたいと思い、暫く無言で悩んでから口を開いた。
「Ωとαを贔屓していても」
「ん?」
「弥久様達は僕を助けてくれました。今だって沢山の人を助けてくれているって……。お礼遅くなってごめんなさい、助けてくれてありがとうございました」
両親を喪った事、階下で起きている惨劇、あまりにも多すぎる犠牲者。
正直、今はまだそこまで現実味が無い。
ただ、もう少し時間が経てば嫌でも実感をせざるを得ないはずだ。このテロ事件の被害者としての実感に、押し潰され苛まれ苦しむ事になってしまうのだろう。
けれど、いま命がある幸せと感謝を、彼等に伝えなければ後悔すると閑は思ったのだ。
まだ救出は続いている中で失礼かもしれないとは思いつつ、ゆっくりと言葉を選んで発言して頭を下げた。
二人が何かを言うよりも早く、少し離れた場所から声が返ってくる。
「どういたしまして。こんな状況でも感謝を出来るなんて、君は強い子ですね――閑」
その言葉を合図に、テント内が騒がしくなった。
前方に居た弥久。その周りの人間達は満身創痍といった様子で、床に倒れ伏し次々と担架で搬送されていくような状態だった。閑達の会話に割り込んできた弥久も額に汗を滲ませ、疲れたように背もたれへと凭れ掛かり声にも覇気が無い。
人に囲まれ断片的にしか見えなかった容姿が露わになっているが、予想通りの美丈夫。
しかし、閑はその姿に既視感を覚える。それは魂の番相手に感じる嬉しさといった類ではなく、確実に彼の姿を何処かで見た事がある――そんな既視感だった。
「弥久! すぐに休息を……!」
雷同が立ち上がり駆け寄ろうとするが、弥久はそれを手で制し閑から視線を外そうとしない。
「現状報告、1Fから3Fまで集団生存者の屋外搬送が完了しました。最低人数を残し、残りは地上への応援に向かって下さい」
「店内への増員は?」
「警察と自衛隊が到着していました、そちらはもう大丈夫でしょう」
弥久の号令でテント内が更に慌ただしく動き、控えていた赤ジャケットのメンバー達は次々と外へ飛び出していく。
胸ポケットから眼鏡を取り出し、それを着用しながら弥久は閑に微笑んだ。
「ビョウハスイハの中上燐光が単身で突入してきたため、2名ほど救出し損ねました」
「……え?」
「雷を使う少年と、風を使う少年。どちらも中上燐光に保護され、外傷も特に無いようでした」
「……お、お兄ちゃんたちが……?」
「二人共、無事ですよ。屋外へと3人で移動した事を確認しました」
「ほ……本当に……、生きて……?」
「ウヌキ、映像出せますか? そろそろビョウハスイハの災害本部付近へ、到着した頃だと思うのですが」
何も無い空間でウヌキが指を動かせば、テントの天井に映像が映る。
映し出されたのは忙しなく多数の人間が駆け回り、怒号と指示が飛び交う光景。
しかし、白衣の男性が二人の少年と抱き合っている場所の周囲にはぽっかりと人が居ない。
幼い子供のような嗚咽が聞こえる。カメラの映像が切り替わるとそこには確かに兄が存在しており、閑は息を呑む。
『兄と少年がどうか無事にこの場所から生きて、解放されますように』
二人も、自分と同じように救出された。
閑の願いは叶ったのだ。
真具赫焉に救出され安息を得てもなお、片隅で燻っていた物が閑の中で弾けた。
顔を真っ赤にしながら涙と鼻水を垂れ流し、人目も憚らず年相応に声が枯れそうな程に閑は泣きじゃくる。
「本物は何をしても可愛いですね。雷同、閑を僕の所まで運んで下さい」
「…………手、出すなよ?」
「抑制剤の効果が出ているようですし、僕だってそこまで鬼畜ではありません」
何かを話している事は断片的に聴こえていたが詳細は分からぬまま、体が浮く感覚がした。と思えば閑はいつの間にか、ソファーから弥久の膝の上へと移動させられていた。
それでも泣き止むことは出来ずしゃくりあげるが、弥久は気にした様子もなく閑の背中を撫でながら額や髪へと唇を接触させてくる。
「最初はあの少年二人を。次に閑を発見しました。しかし、多人数移送をしている最中には、君一人だけを助ける程度の余力しかなかったんです」
「……び、きゅ……っさまっ」
「中上燐光が彼等を保護出来たので良かったですが、僕の判断で君に辛い思いをさせてしまいましたね……。ごめんなさい」
弥久の謝罪に閑は何度も首を横に振り、言葉の代わりに大きな胸へと顔を埋めて背中へと手を回した。
今なら理解できるが、きっと弥久にとっても苦渋の決断だったのだろう。一瞬でも『たった一人だけで助かってしまう』という感情を抱いてしまった事を、閑は心の底から恥じた。
そして、弥久の口ぶりからすれば、きっとあの非人道的な自分の行いも見られていたのだろう。
「……謝るのは、僕の……ほうで……。……凍ら、っせてひどい、ことを…っ…。ごめ……ごめんなさ……っい」
今更謝っても悔やんでも遅い事は分かっていた、けれど弥久はきちんと謝罪をしてくれた。
自分だけが黙って被害者のような顔をして、弥久にとって魂の番であるという理由だけで保護されている事は出来なかったのだ。
「ですが、凍らせなければ……僕はこうして、閑と出会えていませんでした」
「でも、僕のしたことは、っ」
「……閑は自分の行いを、後悔していますか?」
弥久の問いかけに、今度は首を縦に振った。
後悔はしているし、今は半ばトラウマのようにも思える。能力を覚醒したばかりだったとはいえ、同じく被害者の人間に力を使ってしまったのだから。
何度もごめんなさいと謝罪する閑の両頬に大きな手が触れ、俯いていた顔を無理矢理上に向かされた。
弥久は目を細めて閑を見据えながら、口を開いた。
「もしも。またこのような事があった時、再び同じことを繰り返したいと思いますか?」
「思い……、ません」
「では、その為にはどうした良いのでしょう。改善策は?」
改善策という言葉に閑は固まり、急に背筋が寒くなる。弥久は暗に『凄惨な事件がこれから先も起こり得る』と言っている。そのことが、分かってしまったからだ。
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