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外は寒い。雪が降り積もっていて、市松は後悔した。
何で自分がこんな事をしなければならないんだろう。たった一人の男娼の所為で、自分がこんなに寒い思いをしなければならないのはこりごりだ。そう思う。徐々に草履よりも雪が積もって来て、足袋が濡れていくのが分かった。
アイツ、見つけたら殴ってやる。
そう思いつつも、顔を傷付けたらババアにどやされるな、ともぼんやりと思う。雪の粒が口の中に入って来て、冷たい欠片が溶けていく。いよいよ冷えて来た、早く見つけないと自分も風邪をひいてしまいそうだった。
その男娼がいるところは目星がついている。前にもそこで見つけたのだ。前は暑い夏だったので汗だくで発見したものだったが、おそらく今日のような日は凍えているだろう。港が近いこの横浜の外れ、倉庫の中の寒さは尋常ではない。真っ白な倉庫が並ぶその一角に、市松は目星をつけた。
きっと、前に見つけた倉庫にはいないだろう。
わざと違う倉庫に居るとしたら―市松はその男娼の気持ちになって考える。寒さが凌げて、自分にも見つからない―そう考えると、海風が当たらない、一番手前の倉庫に違いなかった。
ギイ、と重たいドアを開ける。すでに市松の草履と足袋、着物の裾は濡れてしまっていて、悴んだ足の指が麻痺して動かなくなっていた。チッ、と舌打ちをする。
その市松の出した音に反応するように、衣擦れの音がする。市松はニヤリ、と嗤った。大きな木の箱が重なっている、その物陰にじっと隠れているその男を―見つけた。
「…あ…」
「テメー。何度も何度も同じことしやがって…追いかける俺の身にもなって欲しいもんだぜ」
「後生だ、もう…俺はあそこに戻るのは嫌だ」
「…そりゃあ知らねェけどよ。俺の任務はお前を連れて帰る事だ。帰ったらしっかり逃げられるように算段するンだなァ」
ガタガタと震えて必死で言うその男の姿に、市松は多少心が揺らぐ。それでも、このまま此処に居たらコイツは死ぬしかない。死ぬより酷いことなんて無いだろう、そう思いつつ立ち上がらせた。
「市松…頼む、よ…」
光る涙に揺れる心に蓋をして、市松は駄目だ、と言う。すると突然、市松の頬に重い拳が放たれた。
市松は一歩、後ろに下がった。
「てめェ、商品だと思っておとなしくしてりゃァつけあがりやがって…雛、許さねェぞっ」
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