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「上等だァ、お前なんてババアの右腕とか言われて調子乗ってるだけの馬鹿の癖に…この金髪野郎!」
市松は雛、と呼ばれた男の頬に拳をお見舞いする。それが当たる瞬間、今度は雛の放った拳が市松の腹に命中した。
「うっ…このォ、カマ野郎…」
「好きでやってるわけじゃねェ、全部金の為だっ…」
まるで泣きそうな顔で雛が腕を振り上げるのを見ると市松は胸が痛む。自分と変わらない、しかも年下の男が、大人の男に身を捧げなければいけない恐怖。それをこの雛次という男娼は知っている、でも自分には何もできない。連れ戻せばまた誰かに抱かれなければいけないのに、市松はそれを承知で雛次を連れ戻すのだ。
そのまま倉庫の外に逃げられて、市松は雛次を追いかける。雪の白は更に追い打ちをかけて、二人の足元を邪魔していた。雪の中で腕を掴まれて、雛次はもがく。そのまま雪の中に二人で倒れ込んだ。
「はあっ…はあっ…」
息も途切れ途切れに、二人は雪の中で揉み合う。雛次の切れ長で、しかも大きな目が、自分を睨んでいる。自分が殴った傷が痛々しい。口からは血が滲んでいた。
「…いい加減諦めろ、テメーは男に抱かれることで生きてかなきゃいけねェんだよ。それ以外何がある?お前に何ができるんだ」
「できる、できる…畑がありゃあ、俺だって…」
「…」
市松は雛次の腫れあがった左頬を撫でた。いた、と声をあげる雛次は、まだ少し声が高い。そのまま流れ落ちていく涙に紛れて、市松は自分の指を雛次の目元に掬い上げた。
雛次の家は豪農だったそうだ。
しかし村で労咳が流行り、村から出て行かざるを得なくなった。元々農家の生まれの家族は、散り散りになったが抱えた借金は払えず、泣く泣く雛次を奉公に出したのだ。しかし美少年だった雛次をお富が放っておく訳もなく、この横浜の男娼宿に売られてきた、という訳だった。
「借金返して、畑を買い取りに戻れ。できねェと決めつけんな」
「…ヒック…ひっ…ううっ…」
「身体張ってやってみてよ、それでも駄目ならしょうがねェけどよ…まだ分かんねェだろ」
「…俺…もうやだ…やだ…抱かれんのやだよゥ」
「…」
市松は何も言えない。言えないどころか、市松には抱かれる気持ちは分からないのだ。
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