グラスの音 腕時計の針

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「あのさ、いい加減帰っていいかな?」  僕は目の前で酔っ払ている女友達二人に迷惑そうに聞いた。手元の腕時計はもうすぐ日付を跨ごうとしている。 「いいじゃーん。折角久しぶりの再会なのに。ねぇ、柚美」  晴香は同意を求めるように、隣に座っている柚美の肩に頭を預けながら答えた。薬指に指輪がはめられた右手で飲み干したカクテルのグラスを回すと、グラスの中の氷がガラガラと音を立てた。まるでブーイングに聞こえた。 「そうよ、もう少し……付き合ってよ」  柚美の顔は真っ赤になっている。ろれつの回ってない口で大きなあくびをしながら言ったからどうにも聞き取りづらい。眠いのを必死に堪えている。  大学2年の夏休み、地元の同級生同士の小さな同窓会が開催された。僕はそこで都会から帰省した晴香と柚美に再会した。二人は小学校からずっと同じ学校に通った同級生で、会うのは高校の卒業式の翌日に開催された謝恩会以来だった。二人とも髪を染めてきたのを覚えている。  久しぶりに会った彼女たちは都会に出てからすっかり化粧とお洒落を覚え、見違えて綺麗になっていた。ノーメイクで日焼けして自転車を全力で漕いでいた野暮ったい田舎娘はもうそこにはいなかった。  地元の大学にただ何となく進学した僕を見て「何にも変わらないね」と、都会に出た同級生たちは口を揃えていた。  どうやらサークルに入らず、アルバイトもしていない僕の時間はあまり進んでいないらしい。  一次会が終わって解散になったところで帰ろうとしたが、晴香と柚美に声を掛けられて僕たち三人だけで二次会を開催することになった。  繁華街にある雰囲気の良さそうな居酒屋と喫茶店を何件か回ってみたけれど、どこも満席で「地元に居るんだから店くらい知っとけ」とか「女の子をちゃんとエスコートしろ」と文句を言われながら歩き続けた。結局、駅前にあるあまり人気のない全国チェーンの居酒屋に落ち着いた。店に入ってからもうすぐ二時間が経とうとしている。  二人の会話は僕の知らない都会の学生の恋の話ばかりだ。正直に言うと、しんどい。  晴香の今の彼氏は二人目らしく、一人目の馴れ初めから別れ、そして二人目の馴れ初めまで、聞いてもないのにご丁寧に事細かく教えてくれた。  柚美は初めて出来た彼氏と別れたばかりらしく、やけ酒をしていた。知らない男の話の為に、こんな時間まで付き合わされているのが理解出来ない。家に帰ってシャワーでも浴びたい。  腕を組んでうつむいている柚美が 「あのさぁ、一次会から気になってたんだけど……お酒飲まないの?」 と、聞いてきた。やっぱりろれつは回ってない。喋ったと思ったら目を閉じて船を漕ぎ始めている。もういい加減お開きにした方が良い気がする。 「言っておくけど僕らはまだ未成年なの!。お前ら誕生日まだ先だろ。晴香に至っては来年だろうが。眠たいならもう帰ろうよ。僕ら近所なんだからタクシー呼ぼうか?」 「君は真面目すぎるんだよ。学生なんだから楽しまないと。未成年は十八歳未満だってニュースで言ってたよ。大丈夫、缶チューハイの一本や二本飲んだところで誰も文句なんて言わないって。そんなんだから彼女の一人も出来ないんだよ」  それとこれとは関係無い気がするが痛いところを突かれた。晴香の言葉に言い返す言葉が出て来ない。 「バイトするなり、サークルの一つにでも入れば良いじゃん。あんた面白くは無いけど優しいんだからすぐに彼女出来るって。楽しいと思うよ」  面白くないは余計だ。 「もしかして本当に今日までお酒飲んだことないとか?」  晴香の質問に僕は目を閉じて、腕を組んで、うーんとしぶしぶ頷いた。 「あんた、どんだけ真面目なの……もう未成年なんて辞めちまえ!」  あきれ果てた晴香にひどく説教されていると突然、柚美が顔を上げて店員の呼び出しボタンを押した。あまり客のいない店内に呼び出し音が鳴り響く。  ふすまをノックして失礼します、と言って僕らの座敷に来たアルバイト店員に 「瓶ビール一つ、あとグラス三つで」  柚美が手短に注文すると、店員は頭を下げて厨房へ帰っていった。 「付き合ってくれたお礼に今日は私たち二人の奢りだよ。君は本当に幸せ者だねぇ。こんな事してくれる優しい女友達よそにはいないよ」  すっかり目を覚ました柚美が自慢げに言ってきた。してやったり、というにやけ顔で目が爛々と輝いている。 「昔、そういう約束したって晴香と話してたんだよねぇ」  ようやく僕はこの二次会の意味を理解した。そんな約束したかどうかは覚えていない。と、言うより勝手に約束した事にされている。けれど今夜はそういう事にしておこう。  半分は馬鹿にされているみたいだけど、それでもこのサプライズは嬉しい。  一分くらいで運ばれてきたグラスを柚美に「急げ急げ」と渡されると、晴香がすぐにビールの栓を開けた。 「手酌する男は出世しないらしいよ。次は私以外の女の子に注いでもらいな」  晴香は笑いながらビールを注いで、柚美はうんうんと頷いている。手の中で震えるグラスの口元で泡が綺麗に止まった。慣れているのがよく分かる。 「それでは、何か決意表明をお願いします!」  二人の口が揃っている。 「ええぇ。えーっと、僕は……只今を持ちまして……」  突然のことでうろたえる僕に二人の視線が集まる。 「十九歳を辞めます!」  二人が笑って、僕もつられて笑った。  おめでとうの声が居酒屋に響き渡る。  グラスの音と腕時計の針が重なって、僕の二十歳が始まった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!