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私の初仕事は、先輩の総評いわく「迫力不足」だったそうだ。
「ひとついいかな……」事務所のきしむ椅子に座りながらもう一本、タバコを取り出し、「いまどき『うらめしや~』はないと思います、俺は」
「だって、ほかに幽霊がどう現われるっていうんですか」
「ホラー映画とか観たことないの?」
「怖いので……」
「勉強したほうがいいよ。事務所のビデオデッキで観られるから」
「ネット配信のほうがいいです。加入してないんですか?」
「なんか小豆野くんって何かと情緒がないよね……」
焦げ臭い煙を吐きつつ、「とにかく、こういうのは怖がらせたほうがいいんだよ。恐ろしい怨霊が必死の格闘のうえ除霊された、って経験を人間にしてもらったほうが向こうも安心するし。半端な除霊に見えたら、また依頼人がうっかり霊障を起こしたときに『やっぱりあんなんじゃ除霊されてない!』って人間に思われるだろう。それじゃまずいの。インパクトが大事なんだ」
懇々と説く先輩に、「じゃあ先輩って、いつもどうされてるんですか?」
先輩が黙って煙草を置いた。その首がゆっくり、百二十五度くらい回転したあたりで私は止めた。
「これにはなかなかコツがいる……」
「ご教示感謝します、別の方向を探ります」
深々と頭を下げた、そのすれすれにアルミ製の薄い灰皿が落ちてきた。とっさに頭を上げ、
「先輩ひどくないですか!?」叫ぶ声が少し裏返ってしまった。
「謝ってるところに灰皿を落としてくるなんてパワハラ、生前でも受けませんでしたよ」
「いや誤解、待って待って」椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま、「これ、ノックだ」
「ノック?」
扉のほうを見ると、確かにすりガラスの向こうに小さい影が見えた。
「幽霊ってよくノックのつもりでポルターガイスト起こしちゃうんだよな。死んでる期間が長いのは特に」
生きてたときの常識を忘れちゃうからねぇ、と気軽な足取りで扉に近付き、どうぞ、と開ける。
扉の向こうには、十歳くらいの女の子が少し怯えた顔で立っていた。ギンガムチェックのワンピースときっちりしたおさげはいかにも時代がかっていて、なるほどもし生きていたら、私の母親より年上かもしれない。
私が前に寝かされていたソファをすすめられ、おとなしく座る。
「ご依頼ですね」先輩がにっこりと問いかける。「お名前は」
「春日部かすか」
「なるほど、かすかちゃん……かすかさんか」先輩は名刺を取り出し、女の子に手渡した。
「ここに来たということは、除霊されそうなんですね。お住まいはどこで」
かすかの話によると、彼女は九歳で死んでから五十年間、彼女が生まれ育った家に住んできたそうだ。ずっと彼女の家族やその子どもたちが住んでいたのが、半年前に売り渡され、まったく知らない一家が住むようになったのだという。
「別にそのひとたちがどうというわけじゃないんだけど……なんだかさびしくて。思い出のものもひとつ残らずなくなってしまったし、何より知らないひとが家に住んでるのが不安で」
彼女からしてみたら、ある日突然他人と同居するようになった気分なのだろう。悪意を持って、というよりも、抱えた不安から無意識のうちに、何度かポルターガイストを起こしてしまったのだという。
「迷惑をかけるつもりじゃなかったんです」かすかは悲しそうに顔をゆがめ、「でもその家に住むひとが、霊媒師を連れてきて……なんだか嫌な予感がしたから、ここに」
「インチキ霊媒師じゃないかもな……名前とか盗み聞きました?」
「ちょっと変な名前。確か、化化之川剥枯」
それを聞いた先輩だけでなく、机の前で新聞紙を顔に乗せてお昼寝をしていた所長までがたりと音を立てて立ち上がった。
「化化之川かぁ……」
と声をそろえて言う。そんな反応を見たら嫌な予感しかしない。
「強力な霊媒師なんですね」
「この辺の幽霊ネットワークの間でよく話題にのぼるよ。霊能力はあるし、性格も悪い」
「お受けしていただけないですか」
かすかが声を震わせて言うのに胸が痛くなる。たとえ実際は六十年近く存在していても、見た目は九歳の女の子だ。
「先輩、なんとかなりません? 私、身代わりにはなれるでしょう」
「受けるけれども……」先輩はタバコを取り出しかけ、かすかのほうを見てポケットに戻した。「いや、この際はっきり言っておいたほうがいいな。あなたの件はとても厄介です。もし職員が本当に除霊されそうになったら即撤退しますし、あなたは今のお宅から退去してもらうことになるかもしれません」
かすかはすぐには答えなかった。おそらく、自分が家で過ごしてきた六十年の日々を思い出しているのだろうという、そんな表情をしていた。
分かりました、と答える声は、ごく小さかった。
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