第1話 汐田の海

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第1話 汐田の海

 ざー ざざーー  波が打ち寄せ、汀の貝殻や海藻のかけらを転がす。佐々佳月(さっさ かつき)は浜辺に打ち上げられた板切れに腰を下ろして、じっと夜の海を見ていた。こんな時間には漁港の外れのちっぽけな浜辺に人影もなく、道路の街灯がぼやっと光るだけだ。 それでも佳月には波のうねり具合が見えた。浜に降りた時はよく見えなくても、10分も経てば夜目が利くようになるのだ。人の目はよく出来ている。  『ちょっと浜辺まで行って来る』  佳月はそう言って出てきたのだが、母は頷いただけだった。いつものことだ。娘が海で(さら)われたって『あ、そう』で済ませそうな人なのだ。佳月は肩に掛けていたリュックからペットボトルを取り出した。そこら辺の自販機やコンビニには置いていない、USゲータレードのペットボトル。ずんぐりむっくりという形容がぴったりの広口サイズだ。  中に入っていたスポドリは石鹸水かと見紛うばかりのグリーンで、さすがの佳月も抵抗はあったのだが、MBAの選手も飲んでいるのだから成分的には問題ない筈。そう思って一気に飲んで洗った空っぽのボトルだった。今日はこれじゃないと役に立たない。佳月はよっこらしょと立上がり、波打ち際で貝殻を拾い始めた。南関東に位置する汐田の浜辺には宝石のような貝殻が転がっている訳ではない。しかし、なるべくなら明るい色の、サクラ貝のようなインテリアとしても飾れるような貝殻がいい。だってもしかしたら誰かが手にするかも知れないから…。  寄せ来る波を躱しながら、佳月は根気よく探し、見つけては海水で砂を流し、ティッシュで拭き取ってペットボトルに入れる作業を繰り返した。30分強でペットボトルの3分の1程度が貝殻で埋まり、佳月は先程座っていた板切れに戻った。今度はリュックから紙を2枚取り出す。膝の上でペットボトルの口に合わせて細く折畳み、紙を押し込む。  1枚はレポート用紙だから簡単に押し込めた。もう一枚はカラー刷りの厚めの紙だ。高校受験のための県内統一模擬試験の成績表。中には点数は勿論、表やグラフがぎっしり印刷されている。佳月は公立学区内トップ校を志望校に書いていた。判定はA。ふふん、みんなもうちょっと頑張らないと…。受け取った時、佳月は心で呟いて、そして席に戻り印字された名前を黒く塗りつぶした。その成績表を畳み、押し込める。紙を入れてから貝殻を入れるべきだったかな…、佳月はちょびっと後悔したが力ずくで押し込んだ。ペットボトルを横から眺め、頷いた佳月はキャップを力いっぱい締めた。  そしてペットボトルをぶら下げて、傍らの突堤を先まで歩く。滑らないよう足下に気を付けながら、突堤の端で佳月はペットボトルを思いっ切り沖へ投げた。貝殻の詰まったゲータレードは放物線を描きながら少し先に着水。このまま引き潮が持って行ってくれるだろう。上手く黒潮に乗れば、どこまで行くのかな…  東北? 丁度三陸沖の潮目の辺りでドンブラコッコと彷徨うかも知れない。 水に流すってこう言う事でいいのだろうか。消える訳じゃないけど。  15歳、中学3年生の佳月は手を(はた)いて、突堤を後にした。
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