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第27話 潮の涙
高校生活も1学期が終わろうとしていた。また夏が来る。今年は母さんを連れていくと佳月は決めていた。
「母さん、ウミガメの赤ちゃん生まれるの、見に行こう」
「ああ、去年佳月が尾白先生と見に行ったってやつ?」
「そう、明日か明後日の夜なんだって」
佳月は昨年浜辺から送ってもらった地元のテレビ局の人の名刺を見て、密かに連絡を取って状況を教えてもらっていた。今年もみんなで見守ると言うので佳月も仲間に加えてもらったのだ。尾白先生の後継ぎですねぇとテレビ局の人は笑っていた。
翌日、佳月は麗華を連れて、診療所の目の前の浜辺に降りた。昨年のメンバーは既に砂浜で見守っている。テレビ局の人が小声で教えてくれた。
「さっき、砂が動いていたから、もうすぐ出て来ますよ」
その言葉通り、間もなく砂の一角が崩れたかと思うと、小さな頭が出てきた。暫く様子を窺っていた子ガメだったが、意を決したように前足で砂を掻いて這い出すと、一心に汀の方へ這い出した。すると、その後から次の子が出て来る。後から後から重なるように、わらわらと子ガメたちが這い出して、次々に汀に向かう。
佳月は駈け出した。汀の手前で、1年前と同じように声に出さない声で子ガメたち一人一人を励ました。
そうそう、その調子、ああ…ちょっと、そっちじゃなくて、もうちょっとほら、ちゃんと前見て、上手上手・・・・
また涙が湧いて来る。波に浚われるように大海原へ漕ぎ出した子への嬉しさなのか、力尽きたように砂浜に蹲る子への悲哀なのか、何だか判らないけど、まるで砂から這い出す子ガメたちのように、後から後からポロポロ涙が湧いて来る。
いつの間にか麗華が後ろに来ていた。同じようにハンカチを握りしめ、子ガメたちを見守っている。きっと心の中では佳月みたいに叫んでいるのだろう。
その時だ。果敢に波に挑む子ガメを見ていた佳月の視界に、大きくて黒いものが入って来た。
え? まさか…
大きくて黒いものは子ガメと真逆に、汀から砂に向けて上がって来る。
ウミガメ?
きっとそうだ。同じ母ガメが同じ浜辺に帰って来るってジジィが言ってた。
じゃあ、じゃあ、あのウミガメは、今必死に海に向かっている子ガメたちの…
お母さん?
佳月は声を出していた。子ガメたちに呼びかけていた。
「みんなー、お母さんだよ! お母さんが来てくれたよー! みんなのお母さんなんだよ! ねぇ、ねぇってば!」
しかし子ガメたちは脇目もふらず海を目指す。そして母ガメも子ガメを振り返ることもなく砂の上を這ってゆく。佳月の目から涙がボロボロ零れ落ちた。
せっかく、せっかく来てくれて…せっかく出会えたのに…、みんな知らんぷりですれ違う。もう一生会えないかも知れないのに…。なんで?
麗華が佳月の肩にそっと手を掛けた。
「お母さんガメも今は必死なのよ。卵産まなきゃだから」
「判ってるよ。そんなの判ってる。でも、子ガメたち、みんな死んじゃうかもなんだよ。この中の誰も生き残れないかも知れないんだよ。だから今しかチャンスはないのに…、今しかお母さんって言えないのに…」
声を上げて泣く佳月を麗華はぐっと抱きしめた。
その間も子ガメたちはひたすら海を目指し、やがて砂浜に動くものは無くなった。浜辺の奥では大人たちが見守る中で、先程の母ガメが産卵を始めたようだ。麗華はそっと佳月を促した。
涙を拭いた佳月は大人たちに混じって母ガメの産卵を見守る。自分で掘った穴に次々にピンポン玉のような卵が呑み込まれていく。人々は固唾をのんでじっと見守る。
やっぱり、お母さんガメ、泣いてる。佳月は母ガメの目から流れる涙を見た。やがて母ガメは穴に砂をかけ始めた。平たい足で器用に砂を掻き集めて穴を埋め、更にその上をならす。
上陸から1時間少しで母ガメは海に戻って行った。佳月は後を追う気になれなかった。母ガメは何を想って涙を流していたんだろう。すれ違った子どもたち? これから生まれて来る子どもたち? そのどれでもないように佳月は感じた。
観察を終えて帰ってゆく人たちに頭を下げながら佳月は考えた。
ジジィならなんて答えてくれるのだろう。
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