NORMAL END

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NORMAL END

「え? 先輩、分かったんですか? この脱出ゲームの謎が!」  あまりの驚きに俺が大声を上げると、N先輩は黙って頷いた。 「あぁ、結構、簡単な謎だったよ。君は駄作と言っていたが、俺はこう評価しよう。『小説』としては確かに駄作だが、『脱出ゲーム』としては優秀だとね」  そして、N先輩は部室内を歩き始めた。探偵が推理中によく行う、推理しながらの徘徊だ。 「そもそも、ミステリーの謎は大まかに分けると二種類ある。一つは登場人物と読者の両方が分からない謎。もう一つは登場人物には分かっているが、読者には分からない謎だ。例えば、読者はずっと男だと思い込んでいた登場人物が実は女だったとか、ナレーターみたいな神の視点かと思いきや、実は登場人物の視点でソイツが犯人だった……とかね」  俺だって、推理研の部員なのだから、その程度は分かってる。 「いわゆる、叙述トリックってやつですよね」  俺の答えに先輩は満足そうに頷いた。 「よく勉強しているね。これが七条君だったら、もっと察しが悪くて頓珍漢なことを言っていただろうけどね。それは、ともかく。田中さんの小説では『考えるまでもないこと』と主人公の親君は言っており、実際に最後のシーンで脱出は出来ているんだ。つまり、これは読者側に対して提示された謎なんだよ。そして、『読者への挑戦』を謳っている推理小説のトリックは統計的に叙述トリックであることが多いんだ。つまり……」  先輩がここまで言った時に、俺は先輩が何を言いたいのかが分かった。 「成る程! 手掛かりは既に作中に登場しているってことですね!」  先輩は満足そうに頷いた。 「何だ。よく分かっているじゃないか。その事が分かっていれば、手掛かりを見つけられる筈だけど……」 「いやいや、でも、この短い文章の何処に手掛かりがあるって言うんです?」 俺の言葉に先輩は少しの間、腕組みをして何かを考え始めたが、しばらくしてパチンと指を鳴らし、こちらを見た。 「山本君。君、社会は苦手かい? 歴史とか時事問題とか……」 その言葉に俺は頭を抱えた。 「あ! もしかして、今回の謎はそういうのが絡んでいるんですか? じゃあ、お手上げですよ。僕、そういうのは結構、苦手でして……」 「成る程な! じゃあ、この文章に違和感を持たなかったのも頷ける」  ようやく分かったという感じで、N先輩は原稿の後半部分を指差した。 「俺が最初に違和感を感じたのはココだ。『背後の壁には2020年のカレンダーが』の部分だよ。つまり、この作品の舞台は2020年だということになる。今は2086年だ。何故、662020んだろうね」  この言葉でようやく俺は、その部分に違和感を覚えた。確かに、少年と少女の脱出劇がやりたいだけなら、他にも時代はいくらでもあった筈だ。中世でも昭和でも、それこそ2086年現在を舞台にしていれば面倒は無いだろうに。ということは…… 「この作品の舞台は、2020?」  俺の曖昧な答えに、N先輩はパチンと指を鳴らす。 「そうだ。歴史の苦手な君に説明しておくと、この時代は新型コロナウイルスが猛威を奮った年だ。東京オリンピックも中止になり、外出や営業の自粛で経済は大混乱。感染者や死亡者も相当な人数になった。だから、この時代、。ましてや、カレンダーは6月だった。この時期は、小学校も中学校も高校も大学も『パソコンを用いた遠隔授業』を行っている筈だ。当然、学校が開いている筈がない」  俺はハッと思い出した。そうだ、確かに、社会の授業で習ったことがある。そして、その事実を思い出し、この主人公とヒロインのやり取りがだと分かった時に自分の頭を悩ませていた謎がガラガラと崩れていくように感じた。  俺が至った結論を、N先輩が口に出して説明してくれた。 「そう、この小説は論理的に破綻していないし、手掛かりは既に出ていたんだ。ここで言う『教室』は『現地の教室』と『オンライン上の教室』の二つの意味を持ち合わせていたのだから。コロナ禍で現地の教室では当然、鍵が掛けられていた筈だ。そして、主人公はオンライン上の教室から、『退出』のボタンを押して自分の家へと帰って来たんだ。現地の教室から脱出したのなら、当然、学校からの帰り道がある筈だろ。『次の瞬間、俺は脱出し、自分の家へと帰ってきた』という部分で変だなって思ったんだ」  N先輩は徘徊をやめ、近くのパイプ椅子に腰を下ろす。そして、推理を続けた。 「最初の部分でも手掛かりはあった。『僕は帰るから』って言った先生が他の生徒が何人か帰るのを確認してから帰ったっていう部分。そして、愛というヒロインが『先生に教室の管理を任されている』っていう台詞さ。先生が教室に残っている生徒をいちいち確認する理由は分からなかったし、こういう場合は『先生から鍵を預かっている』っていう台詞が正しいんじゃないかなって思った。だが、オンライン上の出来事だと分かれば説明が付く。オンライン上の授業だと、先生が『ホスト』という役割を持ち、授業を始めたり、終了したりしなくてはならない。だが、このホストの権限は他者に移行できるんだよ。その先生は生徒の自主性を重んじるタイプなんだろうね。放課後にオンライン上で友達と話せる機会を奪いたくないと、生徒の一人にホストの権限を与えたんだろうね。『教室を終了できる』という意味では確かに鍵の役割だが、物質としての鍵ではないから『管理を任されている』という言い方になったんだ」  あぁ、そうだったのか……。自分の頭の中にあった靄が段々と晴れてゆく。だが、まだ違和感に感じる箇所があった。 「じゃあ、先輩。他に文章でおかしな箇所もあるんですけど……。これも、オンラインだからですかね?」  俺の問いに、先輩は「あぁ」と軽く頷いた。 「『特に机の下だったらバレない』の所にある傍点とか、『得意そうに画面に見せつける』の『画面に』の部分かな?」 「そうですよ! わざわざ、『特に』に傍点を付ける意味が分からないですし、『スマホの画面を』得意そうに見せつけたって部分も『てにをは』の使い方がなってないって思ったんですけど……」  チッチッチと先輩は人差し指を振る。多少、腹が立つ態度だが、今の俺は指摘できる立場にない。 「いいかい、山本君。これはオンライン上でのやり取りなんだ。当然、その前の物理の授業中もね。現地の教室なら、流石に机の下でも怪しげな挙動を続けていれば分かるだろう。ましてや、先生の話を聞かずにクリア直前まで進める程、ゲームに集中していたのなら確実にバレていただろうね。だが、オンライン上なら? 映像を切っていれば、相手には自分の様子は分かりっこないし、顔を映す義務があったとしても、自分の机の下でスマホを弄っているなんて先生が気付くことは絶対に無いだろうね。30人くらいの大人数で授業を受けていたのなら、一人一人の映像に目を配る余裕なんて先生には無かっただろうから。そして、この場合の『画面に』は『スマホの画面をパソコンの画面見せつけた』ということだったんだよ。これらの箇所の傍点や『てにをは』の誤解されるような使い方は『この作品の舞台がオンライン上であることを暗に示す為のヒント』だったという訳さ」  な、成る程! あまりにも理路整然な推理に、普段のだらしないN先輩の面影は一切ない。いつもの数十倍くらい、N先輩格好良く見えた。やはり、七条が言ったことは本当だったんだ。 「先輩! ありがとうございます! これで田中から原稿が手に入りそうです!」  と俺は全力で、先輩に頭を下げた。だが、先輩は 「おい、まだ終わりじゃないよ。脱出ゲームにはノーマルエンドだけじゃなく、トゥルーエンドもあるだろ」 「え?」 呆けた顔をする俺に先輩はニヤリと笑った。 「ここからは俺の憶測だが……。もしかしたら、こっちがトゥルーエンドかもな」
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