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「あらあら、大変ねえ。我慢できなかったの?」
つい数分前まで猿になっていた女が駆け寄ってきて、スーパーの袋からティッシュ箱を取りだし、床を掃除し始めた。
「やさしいな、お前」
「さっきのケンちゃんには負けるわよ」
「よし、じゃあ帰ったら第二ラウンドだ」
女は笑いながら、左手で床を拭き、右手で人面犬の背中を撫で、
「明日早いのになー」
「今夜は寝かさないぜ」
男が指を鳴らした。僕は思わず眉を潜めてしまったが気づかれることはなかった。
その時バスが大きく揺れた。やっと発車したのか、と思ったが違った。となりにいたはずの車の姿が消え、窓の外に星空が広がった。ビルの大きさが豆粒くらいになった。バスは空に浮かんでいた。
「きっとキジがバスを掴んで、飛び立ったんですよ」
人面犬が笑う。バスはまだ荒波に飲まれているゆりかごのように激しく揺れている。
「すごーい浮いてる」女が窓の外を眺めながら言う。
「これから鬼退治だ」人面犬が叫んだ。
携帯が鳴った。また叩きつけてやろうとしたが、思いとどまる。どうせ壊れないのだ。粘着質なため息が漏れでる。思わず「疲れた」と声にだしてしまった。
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