永遠の一秒

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永遠の一秒

 それはまるでスローモーション。  私の前を静かに通り過ぎてゆく。  見上げる位の長身。  そして線の細い人。  私の目を奪う切れ長の涼やかな瞳。  陽に透ける柔らかな茶色い髪。  オリンポス神の彫像のように整ったフェイス。  とても理知的で、落ち着いた年上の人。  通り過ぎていく。  それは一瞬の時。  でも、私には永遠の一秒だった。 「(あん)! 杏」  背後から声をかけられた。 「……え? 何。恭平(きょうへい)」  上田(うえだ)恭平(きょうへい)が、そこに立っていた。 「何、呆けてんだよ」 「え、うん。ううん、何でも……」  とくん……と脈打つ音を意識しながら、私はその想いを隠している。  そう言えば。  さっきの人、恭平と同じくらいの身長・体格。  なのに……。  何故、あんなに私の目を引いたんだろう。  二人、並んで歩き始めた。 「今日の入学式、凄かったよな」 「ブラバンの演奏、上手かったわね」 「毎年、全国に出場してるからな。それに、先輩有志の校歌斉唱。迫力あったよな」 「うん。さすが創立百周年の西菱(せいりょう)高校! あの歌詞の節回し、現代歌とは違うわね。良かったあ」  私は頬を紅潮させながら話す。 「頑張って勉強して、西菱に来てほんと良かった」 「だろー。お前の勉強見たの俺だかんな。感謝しろよ」 「何、えばってんの! 恭平」  そうやって、私達はお互いの顔を見て笑った。  恭平と私は幼馴染み。家が隣同士で、幼稚園、小学校、中学、そして高校まで一緒になった。  だから登下校は一緒。朝、早く起きた方がお互いの家に登校を誘いに行く。  恭平は、優しくて、おおらかで、頭が良くて。  見た目も格好いい。身長177㎝で細身のルックス。ブルージーンズと白いTシャツが抜群によく似合う。破顔一笑するときに覗く八重歯は密かなチャームポイント。  だから、女子にも結構もてる。  この時まで、私達は何の悩みも胸に抱える痛みもなく、ただ楽しいだけの時を享受していた。 「杏!」  放課後、靴箱に向かっている私を呼ぶ声がした。 「何ぼーっと物思いに耽ってんの」  と、声をかけてきたのは、小学校から親友の八木(やぎ)桐子(とうこ)だった。 「ああ。桐子」 「なーに。元気ないわね、杏らしくもない」 「ちょっと……人を。探していて……」 「誰を?」 「う、ん。入学式の時、見かけた多分……先輩」 「何なに?! オトコ?」 「もー、桐子ってば」  あからさまな桐子の好奇心に私は眉をひそめる。  しかし私は、桐子に入学式のことを包み隠さず打ち明けた。 「うーん。そういうこと」  桐子は、大仰に腕組みをした。 「校内の先輩だから、北校舎に行けば会えるかも。だけど、西菱は生徒数多いからね。一学年五百人。全校生徒合わせて千五百人の中から探し出すのは、ちょっと……」 「でしょう?」  私は溜息をついた。 「で、どんな感じだったの?」 「どんな、て」 「顔よ、顔! イケメン?!」 「もー、桐子には関係ないでしょ!」 「関係あるわよ。他ならない杏のことだもん。……でも。杏ってば」  その時、桐子は不意にその軽い雰囲気を変えた。 「上田君はどうするのよ?」 「恭平? 恭平がどうかしたの?」  きょとんとした私に桐子は、はーっと大きな溜息をついた。 「上田君、可哀想……」 「恭平が? 何で」 「そういう無自覚なとこ、杏の罪よ」 「イタイ!」  桐子は私にデコピンをした。  その後で、ふふっと笑い、 「ま、杏はその天然なとこが可愛いんだけどね」  とウインクしてみせた。 「なによー、無自覚とか天然とか」 「だーかーら。そういう……あ! 上田君!」  靴箱の前で恭平がスクバ片手に私を待っていた。 「上田君、杏をしっかり掴まえとかないと。杏、どこともわからないイケメン先輩にもってかれちゃうわよ」 「桐子!」 「何のことだよ、八木」  恭平は不機嫌そうな声を出した。 「おお、怖い。じゃ、お二人さん。またね!」  そう言って、桐子は先に南校舎を出て行った。 「帰ろっか」  私はのんびりとした声で言った。 「ああ」  そうやって小・中学校の時と同じように、私は恭平と登下校を共にする。 「お前。まだあの先輩(オトコ)、探してんのか」 「うん……」  私は、恭平に全てを打ち明けていた。  あれから、私はわけのわからない焦燥感を感じていて、その想いを一人抱えるのは私には胸が苦し過ぎた。  そんな思いつめた顔の私を見つめ、恭平は一瞬、逡巡したが、ゆっくりと口を開いた。 「わかったぞ。そいつのこと」 「え?!」  だからその時、どれほど胸が轟いたか。  きっと恭平にはわからない。そう思った。 「朝賀(あさか)悠祥(ゆうしょう)。三年八組。松橋(まつばせ)流茶道宗家の出身で、西菱茶道部の部長。西菱茶道部は松橋流だそうだ」 「どうして、わかったの」 「俺の幅広い人脈。……それに、朝賀先輩て西菱では有名人みたいだぞ」 「何で」 「そりゃあ。茶道宗家の坊ちゃんだし……イケメンだし」  俺の方がイケてるけどな、と恭平はうそぶく。  その言葉も、もはや私の耳には届いていなかったかも知れない。  逢える。  逢える。  先輩に逢える……!  茶道部に入れば、きっと先輩に……。  そんな私をどういう思いで恭平が見ているのか、この時も私にはまるでわかっていなかった。
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