コンプレックスの先に

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 季節は夏に変わろうとしていた。  最近、慎は完全に自分の気持ちを持て余していた。先日の花火の帰り道、祐介にはまた怒られた。「なんで、すぐ怒っちゃうわけ」  自分でもよくわからない。でも、つぐみの言葉にどうしようもなく腹が立つことがある。  その後も、よく祐介がつぐみに話しかけるので、2人ではないもののつぐみと話す機会はあった。しかしつぐみが隣の友人達と言葉を交わすと、それがまた気に入らない。そして結局、悪態をついてしまうのだった。  慎はそれが、つぐみの人間性に対する自らのコンプレックスやプライドを傷つけられたことに対する苛立ちなんだと解釈していた。  じゃあ何故つぐみの口から杵淵の名前がでてきただけでこんなにも腹が立つのか?  慎はこの感情の正体を知ることに得体の知れない不安を感じ、なるべく考えないようにしていた。  その日慎はテニスサークルの部室に教材を忘れてきたことに気づき、昼食を取りに学食へ向かう一同と別れ部室に取りに戻っていた。  一ノ瀬先輩、と声をかけられ振り返るとそこにはなんとつぐみが立っていたので、慎は内心動揺した。  「先輩、これ」  つぐみは慎に一冊の漫画本を手渡した。慎はそれを受け取ったが、状況が掴めず困惑していた。なんとなく、その空気を察してか、 「祐介先輩から借りてたんですけど、次は一ノ瀬先輩に貸すことになってるから渡して来てって言われまして」と説明した。  どうしてつぐみがここに現れたのか話の流れはわかったが、慎は祐介から漫画を借りる約束などしていなかった。  (祐介のやつ、どういうつもりだ) 「先輩もこの漫画好きなんですか?なんか待ちきれないって言ってるから今すぐ渡して来てって祐介先輩が。先輩って漫画とか読むんですね」  と、つぐみが話を振ってきたので慎はそれに応えた。 「お前こそ、女のくせに少年漫画なんて読むのか」 「自分、少年漫画専なんですよね。少女漫画ってなんかむず痒くなってきちゃって」 「・・ああ。だからそんな女子力マイナスの仕上がりに・・」 「なんだとコラ」  と冗談を織りまぜながら、他にも好きな漫画あるんですかーなどと言い合い、和やかなムードだった。 「小説とかも結構読むな」 「先輩が読む小説って・・官能小説とかですか」 「アホか。・・俺は、想像派じゃなくて、実践派だから」 「うわーサイテー。クソ変態ー。まじ性格いいところ探すの難しいー」 「・・お前ほんと、俺の悪口いいたいだけだろ、おい」  つぐみといると会話が弾む。それは別に自分に限ったことではないだろうけど。そんな事を思いながらも、気づけば慎は楽しんでいた。 「あ、じゃあそろそろ行きますね。またサークルで」  と言ってつぐみが立ち去ろうとしたので、慎は頭で考えるより先につぐみを呼び止めていた。 「これからメシ行くの?」  つぐみは振り返って、はい、と答えた。 「・・一緒に、行く?」  思わず言った後、慎は自分が緊張していることに気がついた。が、つぐみの答えは・・ 「えぇぇ・・。先輩と、2人でですか?いや〜それは、遠慮しておきます。あらぬ嫌疑をかけられて先輩のファンの人達に嫌がらせされても嫌ですし」 と大袈裟に嫌そうな表情を作って言った。  瞬間、慎は、頭に血が昇るのを自分でも感じた。 「ああ、そうかよ!もうお前のことは絶対誘わないからな!」  と激昂し、つぐみを部室から追い出すとバタン!と乱暴にドアを閉めてしまった。  つぐみはしばらく呆気にとられていたが、ドアを開けて慎に謝って食事に同行しようかどうか迷い、そして、やめた。  奈江のこともある。慎は自分を恋愛対象とは見ていないだろうしやましいことは何一つ無いが、誤解を招くような行動は避けるべきだった。 (また一ノ瀬先輩を怒らせてしまったな・・)  珍しく和やかなムードだったのに。  なんだかんだ、つぐみは慎が苦手だった。なんというか、怒るポイントが他の人と違う感じがして難しいのだ。プライドが高く、ヒステリックで、傲慢で・・こんなに理解の範疇を超える人間は、つぐみにとっては初めてとも言えた。  さっきもあまり角が立たない断り方をしたつもりだったのに、まさかあんなに怒らせてしまうとは。一ノ瀬先輩はあまり誘った相手に断られたことがないからショックだったのかもしれないな、と思った。  まあ次にサークルで会ったときにでも謝ろう、と気を取り直し、その後は深く考えることはなかった。    部室に残された慎は、いまだに怒りをおさめられずにいた。    まただ、あの女、本当に自分の思い通りにならない。慎が自分から人を誘うのはかなり珍しい。誰でもいいから誘っているという訳ではないのだ。  この先何度あの女の答えにがっかりすればいいのだろう。いまだに一度もつぐみからは満足する答えを得られたことはないのだ。  ふと、自分で思ったことに気がついた。 (・・俺は、あの女に断られて、がっかりしている・・?)  その時、祐介が前に" 鮎川ちゃんにかまってもらいたいのか " と言ったことを思い出した。  そんな事はない!と言い聞かせたが、そう考えると辻褄があうような気がした。  自分以外の人間と楽しそうにしているときも、杵淵の名前が出たときも、もしかして自分は嫉妬していたのだろうか?  慎は今まで、つぐみに対する感情が負の感情ばかりであった為、自分はつぐみが嫌いなのだと思っていた。だけど祐介の言う通り、本当は逆で、好きだった・・?  慎はまた、あの言い知れぬ不安に苛まれた。  そしてその "好き " が、単に "人間として " なのか " 女として " なのか、突き詰めることをやめてしまった。  とりあえず、祐介達のところに戻ろう。もう時刻は13時近くになっていた。  それからしばらくしてからの事。  慎は自販機で飲み物を買おうとしたところ、財布に一万円冊しかない事に気がついた。仕方なく、崩すかキャッシュレス対応の自販機に移動しようかと思ったところ、遠くにつぐみとその友達達が歩いていく姿を見つけた。 「つぐみ!」  つぐみがこちらに気がついた。慎は駆け寄って 「100円貸して」  と言った。つぐみは、カツアゲじゃないですよね?返して下さいよぉ?と悪態をつきながら慎に100円を手渡した。 「ありがと」  そう言ってすぐ別れたのだが、その様子を見ていた人物がいた。美和子だ。  実は美和子はつぐみ達より慎の近くにいた。それなのに、美和子を素通りしてつぐみの方に走って行った慎を見ていた。美和子は慎に声をかけた。 「一ノ瀬君て、あの子と仲良いよね?実は付き合ってるとかなの?」  慎は否定した。すると美和子は 「そうだよね。さすがにね」  と言って笑った。その笑いには、つぐみを見下した色があったのを慎は感じ取った。 「ねぇ、前に連絡くれるって言ってたのに、全然じゃない。私、楽しみに待ってたんだよ」  と猫撫で声で誘ってきたので、慎はあの美しいが氷の様な冷たい眼差しで美和子を見つめた。 「そうだな。相手をするなら、お前のような美人に限る。中身からっぽのな。性格はどうであれ、見てくれがいい方が気分があがるというもんだ」  そう言い放った冷たい瞳は、明らかに美和子を蔑んでいた。  美和子はショックを受けた。 「な、なによ!せっかく誘ってあげてるのに!別にあんた以外にも男なんていっぱいいるんだからね!」  慎は冷酷な笑みを浮かべて、それを返した。  「お前、男どもの間でなんて言われてるか知ってるか? "みんなの美和子ちゃん " だぞ。美人のヤリマンは男にとっては有難い。それを本気で自分はもてているなんて、まさか思っているわけじゃないよな」  その一言は辛辣を極めた。美和子は氷ついた。わなわなと肩を震わせるが、口では敵わないと思ったのか、悔しそうに踵を返した。  慎は美和子の後ろ姿を見て、ふん、と鼻を鳴らした。見た目しか取り柄のないお前のような女が、つぐみを馬鹿にするからだ。つぐみはお前なんかより、ずっと賢くて魅力がある。  そう思って、ふと、自分の思ったことに焦った。  (な、なにを俺があいつの事で怒ってるんだ・・)  慎はまた、慌てて自分の思ったことを掻き消した。そしてまた、なるべくつぐみのことを考えないように努めた。  
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