星降る夜、それぞれの想い

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星降る夜、それぞれの想い

 9月末。テニスサークルは毎年恒例で合宿を行う。祐介曰く「テニス愛してる組」が毎年企画を行うので、ストイックなスケジュールであった。慎達は今まで参加したことはなかったし、今年も行く気はなかった。慎はあれ以来、つぐみを避けていた。自分の気持ちを自覚するのを無意識に恐れてのことだったが、お陰でテニスサークルからもめっきり足が遠のいていた。  しかし祐介が、 「テニス愛してる組が企画してるんだから、当然、杵淵は参加だろうねー。あと、鮎川ちゃんとかー・・」 と言ったので、どうしても気になって、遂には参加にマルをつけてしまった。    慎が参加する、とどこからか聞きつけて参加者が増えたのは言うまでもない。そして奈江もその中の1人だった。  あの夜以降、慎とはサークルほか学内で顔を合わせるものの、特に2人で会うような機会はなかった。奈江はずっと慎が誘ってくれるのを待っていたのだが、ついに今日まで声がかかることはなかった。  顔を合わせたとき、すごく親密に接してくれる日もあれば、まったく無視されることもあり、その落差があまりに激しいので奈江はいちいち翻弄されていた。それが何故なのかが不可解で余計に気になってしまい、ますます慎への想いは募るばかりだ。  奈江はあの夜のことを思い出していた。  奈江の身体に触れる慎の手の感触や、その息遣いが、いまだにリアルに思い出される。奈江にとっては夢のようなひとときだった。好きな人とのセックスが、あんなに幸せなものだということを知ることができた。  (・・また自分から抱いて欲しいとお願いしたら、いやらしい女だと思われるかな・・)  恥ずかしい。恥ずかしいけど、また勇気をだして、先輩に声をかけてみよう。一度できたのだから、今度もできるはず。奈江は決心した。  合宿は那須のテニスコート付きのペンションを貸し切って行われる。現地集合だったが、つぐみは祐介に「車出すから一緒に行かない?」と言われた。  祐介がということは当然、慎もいる・・つぐみは断りかけたが、奈江が慎との接点をつくるのに苦労していることを思い出し、ちょっと、奈江にも聞いてみていいですか、と答えた。  やはり奈江は行きたいと言うので、4人は車で那須を目指すことになった。  集合は午後だった。早めに出て那須のアウトレットに寄ってから行こう、と祐介が言い出したので、出発は7時と早かった。奈江は慎と一緒に買い物まで出来るとはと、とても楽しみにしていたし、次の約束を取り付けるには絶好の機会の様な気がした。  当日、那須までの道中は、祐介もつぐみも明るい性格なので2人にリードされて会話は盛り上がっていた。運転は慎がしていた。奈江はハンドルを握る慎の姿を見られるだけでドキドキしたし、慎の中学時代の話も聞けてすごく楽しかった。  アウトレットに着くと、つぐみは祐介に駆け寄り並んで歩いた。もちろん、奈江と慎を2人きりにするためだ。祐介もそのことを察してはいたが。  いい機会だし、祐介は少しつぐみに探りを入れてみることにした。 「鮎川ちゃんの好みのタイプって、どんな男?」 「好みのタイプですか・・。うーん、真面目で実直で、軽薄じゃなくて、男気のある人ですかね」 「あはは、慎とは真逆だね」祐介は本気で笑った。 「てゆーか、奈江ちゃんもそんな事言ってたけど、結果慎だもんね」 「あはは・・ですよね。私には、どこがいいのか正直わかんないですけど・・」  と言ってから、しまった、失言したと思った。祐介の友達なのに。しかし祐介には気を悪くした様子は見られなかった。 「鮎川ちゃんは、慎に興味ないの?なんだかんだ言っても、カッコいいでしょ?慎は」  つぐみは、今度は言葉を選んだ。  つぐみのこの時点での本心を言えば、つぐみにとって慎は、ただ "関わりたくない人" というのが正確な表現だった。つぐみにとって、容姿はあまり重要ではなかった。芸能人でさえも、いわゆるイケメン俳優や男性アイドルにはあまり心を惹かれたことはない。つぐみが好きなのはどちらかというと、雰囲気のある人というべきか、演技派俳優ばかりだった。  つぐみの、慎の容姿に対する評価は、女性アイドルに対するものに近かった。つぐみは女性アイドルも"好き"だったが、見た目の美しさを鑑賞しているだけで、もちろんそれは性的な意味のある"好き"ではない。そしてじゃあ慎の内面は・・というと、心惹かれる部分は全くと言っていい程、無かった。 だから、「んー・・。カッコよくて、綺麗な人だなと思います。」  と回答した。素直な気持ちだ。ただ、それだけ。 「ふーん、なるほど。鮎川ちゃんにはあんまり響かないんだねぇ」  つぐみの反応をみて、やはり手強い、と祐介は思った。これだけ慎に興味が無さそうな女性を、祐介はあまり知らない。最初からその気は感じていた。  初めて慎を見た女性はだいたい、無意識に慎を目で追ってしまっている。ずっと慎の隣にいる祐介は慎に対する女性の反応をずっと見てきた人間だ。でもつぐみにはそんな素振りは見られなかった。なかなかに珍しい反応だったので、初めて会った時からつぐみの事を覚えていた祐介だった。 (慎ちゃんは、よりによってってとこにいくねぇ)  そういうつぐみだから、慎も気になったのかもしれないが。  後ろの奈江と慎は、無言で歩いていた。  奈江は、晴れて良かったですね、と当たり障りのない事を言ったきり、話題を見つけられずにいた。  慎も、もともとあまり自分から話すタイプではないし、奈江に気を使って話題を探すこともしなかった。何故なら、車を降りてすぐ祐介に駆け寄っていったつぐみを見て、彼は大層機嫌を悪くしていた。  奈江は気まずい空気をどうすることも出来ず、また自己嫌悪に陥っていた。つぐみだったら、こんな事にはならないのだろう。彼女は心底つぐみを羨ましいと思った。  祐介は、そんな後ろの空気を察して、自業自得だろ、と思った。奈江に手を出したら、つぐみが気を使ってこういう行動に出ることは明白だった。  (あーあ、世話の焼ける。人生あんだけモテてきて、なんなんですかその仕上がりは。) 「鮎川ちゃん、4人で話そっか。鮎川ちゃんの気持ちはわかるけど、後ろの2人、あれじゃ逆効果だと思うよ」  祐介に言われて、後ろの奈江達が変な空気になっていることに気がついた。 「それにさ、慎、鮎川ちゃんにかまってもらえなくて、だいぶ拗ねちゃってるし」 「は?」  つぐみは意味がわからず、怪訝な顔をした。 「鮎川ちゃんにはわかんないだろうけど、昔から見てきた俺にはわかるんだよねぇ。だいぶ拗ねてるよ、あれは。そういうの、解ってくると、結構かわいいんだよね、慎って」  言われてつぐみは、ああ、祐介先輩を取られたから拗ねてるって意味なのかな、と解釈した。  そうして祐介とつぐみは後ろの2人に話しかけたのだった。  しばらく皆んなで店を回っていると、つぐみはピアスに目が行った。 (わー、かわいいなあ)  あんまりお洒落には興味のないつぐみだが、こうして眺めていると欲しくなってきてしまう。でもつけ替えるの面倒なんだよな、とか悩んでいると、 「欲しいの、それ」  と声がしたので振り返ると、慎がいた。 「あ、いや、ちょっと悩んでて」  と答えると、一瞬間を置いて、慎がそのピアスをとって会計に持って行ってしまった。  あまりに突然のことに状況を理解できずにいると、慎が戻ってきて、はい、とピアスの入った袋をつぐみに手渡した。  つぐみは頭が真っ白になっていたが、やっと状況を飲み込むと、 「いくらでした?お金払います!」と先に店を出た慎に声をかけたのだが、 「別にいいよ。いらない」  と言ってまた歩いて行ってしまった。つぐみは困惑した。慎にピアスを買ってもらう理由などない筈だった。 「あれ、つぐみ何買ったの?」  と奈江が話しかけてきたので、つぐみは焦った。 「ぴ、ピアスを少々・・」   奈江には、言えない。一ノ瀬先輩に買ってもらったなんてことは。なんだかつぐみは罪悪感を感じてしまった。それにしても、一ノ瀬先輩のこの行動は、一体・・。不可解すぎて、考えてもわからなかった。  一同は、食事をとって、合宿の先に移動しようとしていた。アウトレットの中に野菜なども売っていて、つぐみは夕食の食材を分担して持ってくることになっていたので、自分の担当の人参を購入することにした。2本入りの人参の袋を4つレジに持っていくと、会計を済ませた。    外に出ると、慎が待っていた。  祐介と奈江、トイレ寄るって。と慎は言ってから、無言でつぐみの手からレジ袋を取り上げた。 「え、いや、持ちます。大丈夫です」とつぐみが慌てて言うと、 「普通女に持たせないだろ、こういうの」  と言って笑った。自然な笑顔だった。  つぐみはうろたえた。照れ隠しのように、 「・・一ノ瀬先輩のなかで、一応自分も女のうちに入ってるんですね」と言った。  すると慎は・・ 「いちおうっていうか、ちゃんと女だろお前は」 と言ったので、つぐみは益々うろたえた。さっきの件といい、今の言葉といい、今日は一体・・? 「一ノ瀬先輩・・マジでホストかなんかになった方がいいんじゃないですか?」  今回は、完全に照れ隠しだった。 「まぁ、当然No. 1だろうな」  と冗談を言ったので、 「腹立つーー」とつぐみはツッコむことができた。    午後から合宿が始まった。 「あ、じゃあ慎、雑用係ねー。たまには雑用の大変さ感じた方がいいよー」  役割分担を決めていると祐介が言った。雑用係につぐみがいたからだ。  普通に決まりかけていたところ、なんと杵淵が口を出してきた。 「一ノ瀬に教わりたがってる子が多いから、一ノ瀬は指導に回ってくれればいい。雑用は俺がやるから」  周りも、そうだな、と納得してそのまま決まってしまった。慎は杵淵を睨みつけた。コイツはもしかして、自分をつぐみに近づけない為にああ言ったんじゃないだろうか。  慎は面白くない。さっきまで割と機嫌が良かった慎だったが、またいつもの仏頂面に戻ってしまった。  祐介も同じ事を考えた。そしてすぐさま杵淵を牽制した。 「随分とウチの慎ちゃんをこき使ってくれるじゃない。指導なら、テニスがお上手な杵淵先生が教えてあげればいーんじゃない?」   杵淵はそれぞれの持ち場に回ろうとしていたところを後ろから呼び止められ、2人は対峙した。祐介は笑顔だったがその声色には明らかに敵意が含まれていた。杵淵は警戒しながら返した。 「一ノ瀬に雑用なんかやらせたら、絶対あいつ目当ての女の子達から文句がでるだろ。言われるのはこっちなんだ」 「とかなんとか言っちゃって。杵淵は確か、昔から付き合ってる彼女がいたよねぇ。それなのにまさか、鮎川ちゃん狙いとか言わないよねぇ?」  杵淵は目を見開いた。そしてすぐに踵を返して 「なんだよそれ、訳わかんねぇ。もう行くぞ」 と言って足早に去って行った。 祐介はその後ろ姿をしばらく観察していた。 (あれは、ひょっとすると、ひょっとするかもな)  そして、小さく舌打ちした。 「ちっ・・邪魔すんなよ杵淵」 せっかく見つけた、俺のおもちゃなんだぞ。  9月末とはいえ、その日は夏かというくらいの陽気だった。日陰にいれば割と涼しく、風が心地よかったが、日差しが強く、長時間の炎天下での運動は危険を伴った。杵淵は皆んなにこまめに日陰で休息をとるよう指示し、給水用のタンクの用意など雑用に追われていた。  つぐみもまた、雑用に追われて忙しくしているのを杵淵は見ていた。タンクを取り替えるとき自販機があったので、杵淵はつぐみの為にスポーツ飲料を購入した。あまり休憩していないんじゃないかと心配してのことだった。杵淵は、つぐみが周りへの気配りが効く人間であることを知っていたが、その分自分のことを疎かにしがちであることも知っていた。  つぐみは一息ついていた。が、さっきから気分が悪かった。今日は生理で、貧血気味であったこともあり、少し休憩すれば治るかなと思った。  ふと、頰に冷たいものを感じてびっくりして振り向くと、杵淵がスポーツ飲料を手に立っていた。 「ちゃんと水分補給しろよ。ほら」  と言って改めてペットボトルを差し出すと、つぐみは慌てて立ち上がり、ありがとうございます、と言おうとしたのだが・・  急に立ち上がったせいか、目眩がして、目の前が白っぽくなっていくのを感じた。つぐみはそのままバランスを崩して倒れ込んだ。 「鮎川!!」  その声に慎は気づいた。そしてすぐに倒れこんだつぐみを見つけた。  慎は、考えるより先に、つぐみの方に走り出していた。 「つぐみ!?」  つぐみを抱える杵淵にどうした、と声をかける。 「多分、熱中症だ。あまり水分とって無さそうだったから・・。中に運ぶから、一ノ瀬、そっち持って・・」  と言いかけたときだった。  慎はつぐみを1人で抱き抱えると、軽々と持ち上げた。そしてペンションの方へ走り始めた。割と小柄な体格の杵淵には出来ない芸当だ。  杵淵は、一瞬呆気にとられたが、すぐに慎を追いかけた。慎の必死な様子を目の当たりにし、胸中に複雑な想いを抱きながら。  つぐみは、水分をとらされて、アイスノンで冷やされた。しばらくするとすぐ体調は回復したが、そのままここで休んでいるように杵淵に指示された。  慎は、心配だから横についていると申し出たが、つぐみはそれを逆に気をつかうから、と断った。 「あの、一ノ瀬先輩、ありがとうございました。すいません、重くて」 とつぐみは申し訳なさそうに言った。 「バカかお前は。変なこと気にせず、ちゃんと休めよ」  慎は優しかった。なんだか甲斐甲斐しく飲み物足りてるかとか欲しいものないかとか世話を焼く姿につぐみは驚いた。買い物中も優しかったし、意外と知らなかっただけで、優しい人なのかな、と思った。  そして慎のその態度に驚いたのは杵淵も同じであった。いつも女に対しては、どちらかというと冷たい慎だ。先程の必死な様子に加え、慎がつぐみに対して好意を抱いていることを感じとっていた。  慎と杵淵は部屋を出た。しばらく2人は無言で歩いていたが、やがて杵淵が沈黙を破った。 「一ノ瀬・・。お前、本気なのか?鮎川のこと」  少し間を置いて、前を歩いていた慎はゆっくりと振り返った。慎は先程とは打って変わり、その完璧に美しい顔に、氷のように冷たい表情を浮かべて杵淵を見た。それは敵意を含んだ、刺すような視線だったが、杵淵は怯まなかった。 「・・だったら、何?お前に何か関係あるの?」  杵淵はしばらく沈黙したが、真剣な表情のまま、意を決して言った。 「もし本気じゃないなら、鮎川はやめてくれ。あの子はお前がいつも遊んでるような女とは違うだろ」 そう言って、続けた。 「大事な後輩なんだ。・・頼む」  杵淵は慎に向かって、頭を下げた。   その姿は、慎の目には見覚えがあるように思えた。そうだ、あれは以前・・    奈江の為に頭を下げた、つぐみと重なった。    
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