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季節は秋真っ盛り、学園祭の準備が本格化してきていた。学園祭での模擬店はサークルの大事な収入源の一つとなっていた。なんせ慎を表に立たせておけば売れるので、慎の仲間達は稼いだ金をサークル後の飲み会などに当てるべく、燃えていた。
そして今年は、 " 慎ちゃんの恋の応援団 " としての活動もある。祐介を中心として仲間達は燃えていた。その姿を慎が冷めた目で見ていたのは言うまでもあるまい。
今年選んだ商品は "たい焼き"だ。粉物で減価率が低く、他とも被らなそうだからだ。
つぐみは看板用に頼んだベニヤ板を運ぼうと奮闘していた。意外と重量があるが、なんとか持てなくもない・・と思ったとき、ひょいとベニヤが宙を浮いた。驚いて後ろを振り返ると、そこには慎がいた。
「お前な・・こういうのは無理しないで、男呼べって」
お前はすぐ無理するからな、と小言を言いながら慎は軽々とベニヤ板を持ち上げた。
(一ノ瀬先輩は本当に優しいな・・)
こんなにいい人だと思っていなかった。最近はこうして色々世話を焼いてくれるが、いちいち悪態をついて素直じゃない感じが、今では微笑ましく思える。つぐみは微笑んだ。
しかし、その光はすぐに何か黒いものに飲み込まれてしまった。
つぐみは、一瞬、それが杵淵ではないかと思った。こんな風に何かとつぐみの前に現れては助けてくれるのは、昔から杵淵だったからだ。
杵淵じゃないかと・・期待した ー・・。
つぐみは自分の考えを打ち消すように、無意識にかぶりをふった。
「どうした?元気ないな」
はっとして、顔を上げる。そこには心配そうな慎の顔があった。
「い、いえ、そんなことないですよ?」
と言ったが、慎はジロジロとひとしきりつぐみを睨みつけた後、
「なんかあるならちゃんと言えよ」
と、すこぶる不機嫌そうに言ったので、つぐみは笑ってしまった。それじゃ脅しだよ、と。前に祐介が、" 解ってくると慎は可愛い " と言った意味が今ならわかる気がした。
一方杵淵は・・祐介達 " 慎ちゃんの恋の応援団"
によってつぐみから遠ざけられていた。祐介は「最重要要注意人物」として杵淵を指定していた。つぐみが場を離れる際など、団員達がわざと杵淵に話しかけるなどして後を追えないように妨害していたのだ。なかなかつぐみに近づけずにいる杵淵を見ては、祐介は楽しそうにほくそ笑んでいた。
学園祭の前日、慎とつぐみは2人で包装用紙など資材の買い出しに来ていた。
一通りのものが揃うと、慎が、
「お茶でもするか。付き合え」
と言い出し、2人は側にあったカフェに入ることにした。
慎が頼んだのは、" 贅沢苺のパンケーキ " だったので、つぐみはまた笑った。
「ああ、そっか。先輩、甘党でしたね」
とからかうと、慎はほっとけ、と不機嫌そうに言った。
「でも、全然太らないですね。」
「まぁ、いちおう運動してるしな」
「テニス以外にもなんかやってるんですか?」
「聞きたい?」
「なんかエロそうだからいいです」
「・・だからお前は、俺をなんだと思ってる訳?」
そういつもの漫才を繰り広げていると、つぐみはふと、慎が女遊びをやめたという噂を思い出した。
「・・先輩、女遊びやめたって聞きましたけど、なんかあったんですか?」
慎が、え?と顔をあげた。
それから、んー・・と少し考えてから言った。
「ちょっとは、気になる?」
と、小首を傾げながら上目遣いで聞いてきたので、つぐみはその小悪魔的とも言える仕草の美しさに、ドキリとはせずとも、見惚れてしまった。なんでこの人は無駄に色気振り撒くんですかね?そりゃあモテるだろうな。
「まぁ、ちょっとは、気になりますよそりゃ」
つぐみは素直にそう答えた。
慎はまた少し考えたようだったが、つぐみのその態度に色恋の色が見えなかったので、自分の気持ちを伝えるのはまだ早いと考えた。つぐみの性格を考えると、彼氏がいないからといってとりあえずOKを出すとは到底思えなかったし、振られてしまうと、こうしてただ一緒にいることも出来なくなってしまいそうだ。
「んー・・。もうちょっとしたら、言うわ」
そう言って話を終わらせた。つぐみは問い詰めようかと思ったが、慎が
「あ、これひと口食べる?」
と言って強引につぐみの口にパンケーキをねじ込んできたので、それきり機会を失ってしまった。
会計は慎が、付き合わせたから、と言って払おうとしたので、つぐみはそれを制した。
「私が払います。先輩には前にピアスも買ってもらいましたし、そのお礼と言うことで」
そう言ったのだが、手にした伝票を慎に強引に取り上げられてしまった。
「いーの、お前は年下なんだからそんなこと気にしないで」
そして、でも、と食い下がるつぐみにこう言った。
「あのピアス、つけてくれればいい」
至近距離からつぐみに向けられたのは、優しい笑顔だった。
つぐみは今度は、少し狼狽えた。
(・・せっかく女を絶ったのに、そんな感じだとまたモテちゃいますよ?)
わかってんのかねこの人。と呆れたあと、ふと、再びあの考えが頭をよぎる。
一ノ瀬先輩はゲームとして私を堕とそうとしている・・?
そんな事はない。つぐみは思い直した。一ノ瀬先輩を信じよう。
この優しさが、全て創りものだったとき、今度こそ自分は傷つくだろう。つぐみは自分がこの一ノ瀬慎という人物に対し、1人の人間としての親愛の情を抱きはじめていることに気がついていた。異性にむける類の恋心では、あり得なかったが。
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