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一ノ瀬慎という男について
2020年、春。
法明大学では今日から新年度が始まる。学内では新入生を歓迎しようと様々な催しが行われ、サークルや部活動のグループも勧誘のために出揃い、明るく盛り上がっていた。天候にも歓迎され、通り抜ける爽やかな風に皆それぞれの期待を乗せた事だろう。
一ノ瀬慎もその中にいた。今年で法明大学の3年となる。
横分けした艶のある黒髪から覗く顔立ちは女顔負けに美しく色気すら感じるが、長身で程よく引き締まった肉体は男らしさも充分に備えていた。服装は白いシャツにGパン、アクセサリーはピアスと腕に皮素材の腕輪のみとごく控えめだったが、どれも質の良さを感じさせる。シンプルにまとめることでモデルや俳優と並んでも引けを取らぬ程の自らの容姿がより引き立つということを良く理解しているかの様だった。
慎はその美男子ぶりで学内では有名であったが、今日もやはり一際注目を集めていた。またもう一つ、女遊びが激しいことでも有名だったが、それはいずれ彼に見惚れる新入生の女性達の耳にも届くことになろう。
彼は今日、自身の所属するテニスサークルの勧誘を行っていた。それほど熱心なメンバーでは無いものの、彼がいると女性ウケがいいので友人らに無理矢理連れてこられていた。慎は女に苦労したことはないのだが、他のメンバーにとってはサークル活動は女の子と出会う貴重な機会であるし、可愛い女の子が多ければつられて男子も入会するのでサークル自体が盛り上がるのだ。
「慎!あの子!あの子可愛い!声かけてきて!」
言われて背中を押され飛び出したので危うく転がりそうになった。
視線をあげると、そこには5人の女性グループがいた。突然目の前に飛び出してきたイケメンにやや面食らっているようだったが、慎はさして気にとめることもなく、男性にしては美しすぎる笑顔を浮かべて言った。
「俺テニスサークルの3年なんだけど、よかったら今度見学に来てみて。あと、新歓コンパやるから興味あれば」
と、ビラを1人ずつに配った。美しい顔立ちのせいなのか、その身ごなしがなんとも優雅で品が良く女性達は皆感心して慎を見つめた。
そのうちの1人、ストレートの長い黒髪の少女ーー 名を加藤奈江というが ーーは取り分け慎に釘付けとなっていた。美少女だった。ぱっちりとした二重と長いまつげが愛らしく、化粧はごく控えめで清楚な雰囲気だ。
(この子か、可愛い子って)
ビラを渡すときに目があうと、奈江は頬を染めて慌てて視線を泳がせながら「あ、ありがとう、ございます、、」と消え入りそうな声で言った。
見た目通りの清楚ぶりに、なるほど、これは男に人気がありそうだ、と得心する。
慎の好みはどちらかというと派手めの美女だ。男慣れしている方が楽だし、あとくされもないし、何かと都合がいいので。ただこの子のような清楚なアイドル系の女の方が男の中では需要が高いという事は理解している。
(とりあえずこの子をおさえればいいんだな)
「君さ」
「はっ、はい?」
「・・どっかで会ったこと、あったっけ?」
「え?」
奈江は思いがけない言葉に驚いて顔をあげた。
「い、いえ、無い・・と思いますけど・・」
慎と再び目が合う。奈江は再び頬が熱くなるのを感じた。
「そう、だよな。悪い。」
それだけ言うと慎は、じゃあ、と微笑みかけてあっさり去っていった。
これは実は慎がよく使う手だ。たったのあの一言で、ほとんどの女は勝手に慎を「運命の恋の相手」に仕立て上げてくれる。後は彼女達が勝手に願望と妄想を膨らませて、慎に好意を寄せるのを待てばいいだけだ。
女なんか簡単だ。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれるなどと本当に夢みているのだから。
友人らのところに戻ると、どうだった?と聞かれた。
「くるんじゃないか、あれは」
そう答えた。
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